表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
97/116

「鉄血」(3)

しばらくの前。

ベティ・モーがその異変に気付いたのは深夜のことだった。日課のトレーニングを済ませ、さあ寝ようというタイミングだった。

パートタイムの用心棒として契約している酒場からの定時連絡、シェイドコールが「なかった」のだ。


シェイドコールというのはそれほど複雑な通信ができる仕組みではない。魔術的な繋がりのある「影」を通じて、ごく単純な内容を任意のタイミングで別の地点に一方的に「報せる」だけの仕組だ。

トークンが影を落とす地点は、魔術を通して相対的に固定する必要があるため、基本的に持ち運べるものではないが有用なシステムではある。


その特性のため、迷宮探索や旅行などには使えないが、事前に通信内容の取り決めをしておけば地点間の緊急通信としてはきわめて安価で、便利といっても良い。勿論この仕組みは、応用すれば複数の影のオンオフを利用してデジタル信号のような「意味伝達が可能な通信」の実現も可能ではある。

ただ現状、世界ではそのようなネットワークが求められてはいない。情報の多寡を、質量や物量の差を、あらゆる「優位」を、異常個体が覆しうる世界であった。


国家間の明確な戦争が失われて久しい。

他国を支配して得られる旨味はすでに世界になく、緩やかな惰性と互恵関係、いくつかの怨恨と恩讐で世の中は回っている。そのありようは、領土を切り取り合うものではなく、恒星間の距離感に似ていた。世界には未踏、未開発の土地がまだ多いが、未知の土地の全てを開発し尽くせるだけのリソースもない。


使える時間、労力には限りがある。それは国家でも、個人でも同じことだ。

あるはずの定時連絡がないことを確認したモーは、特に嫌な顔をするでも心配をするでもなく、淡々と着替え直して部屋を出た。彼女は契約通り酒場の様子を確認し、ため息をついてフランチェスカの元へ向かった。


その酒場、『左脚亭』の店主は引退した詐欺師だった。生国で悪事が露見し、両手足を手酷く折られて入国してきた。龍の国に移ってからもその性根はなかなか治らず、酒に混ぜ物を始めたのが露見して、有志のカンパによってもう一度足を折られた。

流石に二度目の制裁には彼も懲りたようである。

足を折られたその場で店主は、当初竜骨亭という名だった屋号を「左脚亭」に改名して、以降は比較的真っ当な酒場商売に目覚めたようだった。

ちなみにその時、店主の右足をポッキリやったのは依頼によって派遣されたベティ・モーで、残った左側の足を折らずに済ませてもらえるよう、交渉の仲介をしたのもモーだった。屋号の由来は無論、自身の左脚。「望外にも残った幸運」という意味だ。


店主は小狡い男だったが憎めない人物だった。


実際交渉の時、最後まで一度も謝罪せずに「誤解だ」で乗り切ったのはなかなかの胆力と話術だし、数分前に自分の右足をへし折ったモーに対して、用心棒契約を交渉して取り付けるところまで進めたのもなかなか出来ることではない。

結果、彼は加害者自身による丁寧な足の手当と、彼女を差し向けた相手との交渉に対して、有能な仲介役を手に入れた。


モーは、ある意味ではこのタフな詐欺師を気に入っていたと言ってもいい。


左脚亭との契約は、即応を謳うものではなかった。契約金額との兼ね合いで、一日に一度、定期連絡が「行われなかった場合」にのみモーが様子を見に行くというタイプのものだった。当時、モーの用心棒サービスにはまだ存在していなかったプランだ。

ケチんぼですね、とモーは微笑み、詐欺師は「こちとら治療費がかかるんだ」と嘯いて応えた。完治してからもプランが見直されたことはないが、左脚亭と同じプランを選ぶ酒場は増えた。その度に、引退した詐欺師は自分をコンサルタントとして雇うべきだとモーに説き、モーは、いいです、と毎回首を振った。


一度、この契約が左脚亭を救ったことがある。

ある晩、閉店の時間帯を狙った強盗団が店を襲った。店主は強盗たちに縛り上げられたまま、得意の話術で時間を稼いだ。結果、定時連絡の時間が過ぎた。

やがて、うっそりと登場したベティ・モーによって四人組は瞬く間に重傷を負い、そして、そのうちの一人は頭蓋を割られて死んだ。

生き残った強盗たちは、自分達が床に這いつくばった後にモーが始めた「審判の時間」を覚えている。

おそろしく淡々として、無慈悲さや残酷さですら排除したその血圧の低そうな声色を、彼らはおそらく生涯忘れないだろう。まだやりますか、と問うのと同じ調子で彼女は、地に這いつくばるものたちの言質を取った。

受け答えに失敗して、即座にとどめを刺された仲間の死に様を全員が見た。彼らはもう、モーにも、勿論店に対してさえも決して復讐しようとは思わない。

圧倒的な暴力は、どんな交渉よりもシンプルに物事を解決する場合がある。


そしてモーは、今、同じ夜に二度目の左脚亭の前に立っている。


うっすらと明かりの漏れる窓。声はしない。しん、と静まった店内には何ものかの気配がある。蠢き、這いずる何ものか。決して少ない数ではない。


彼女は一人ではない。彼女のそばには眼帯のフランチェスカと、胡乱なハニカムウォーカーが立っている。

押し黙ったモーが指す先、左脚亭の鉄扉には、中から開かないように即席の閂が外側からかけてある。モーの仕事だった。

重苦しい、予感のような沈黙。ふう、とハニカムウォーカーが息を吐いた。


「エルエルのおじさん、馴れ馴れしくてわたし、苦手なんだよな」

「まあ、女性に好かれるタイプではないですよね」


顔も胡散臭いですし、とモーは付け足す。

レフトレッグ、頭文字を取ってエルエルというのは左脚亭の愛称だが店主の体格は小柄だ。L Lサイズではない。


「私は話しかけられたことはないぞ」

「チェッカはさ、気軽に話しかけにくいんだよ」

「なぜだ」

「赤襟屋さんは、いつも取り締まる方ですからね」

「私にだってオフの時くらいある」

「トイレとか?」


低く笑う暗殺者を押し退けて一歩、踏み出したフランチェスカが急に身をすくませた。う、と呻き、左半身を掴む。発作だ。だが、いつものそれとは少し様子が違った。


「平気かい」


ハニカムウォーカーが心配そうに肩に手をかけると、余計に女剣士は身体を硬くする。苦しそうというのとも、少し違う。


「わからん」


短く答えた彼女の、眼帯の下から涙が流れていた。自身でも驚いたように、彼女はそれを拭う。


「なんだか分からんが、とても…嫌な予感がする」

「ヤバそう?」

「うまく言えないが…一番近い感覚で言うと…『帰りたい』」

「蛮族さんでも帰りたいって思うことあるんですね」

「チェッカは赤襟だけど蛮族じゃないよ」


そっと女剣士の肩を叩いて、ハニカムウォーカーがベティ・モーと共に一歩前に出た。ひそ、とした囁き。


「ねえ、思うんだけどこれ、ちょっとだけ扉を開けて、松明投げ込んでさ、中のやつ全部まとめて焼いたらダメかな」

「ダメです」

「ダメだろ」


フランチェスカとモーの声が揃う。

ハニカムウォーカーは大袈裟に両手を上げた。


「分かってるって。冗談、冗談だよ」

「ここは市街地だ」

「まだ生きてる人がいるかも」


再び、二人の声が被る。

フランチェスカの発作は治まったようだった。彼女は相変わらず自らの左半身を抱き寄せるようにしているが、涙は止まったようだった。


「モーはちょっと怒ってるね」

「当たり前だ」

「違う、わたしにじゃないよ」

「……掃除屋さん、そういうの分かるんですか」

「まあね」

「もっと人の心とか、ないと思ってました」

「ンフ、失礼だなあ」

「ごめんですけど」


いいよ、慣れてるし、と暗殺者はゆっくりと伸びをした。その声に揶揄の色はない。


「怒るとよくない。冷静さを失くすと、途端に死が近づいてくるよ」


静かなハニカムウォーカーの声。

実際のところ、モーが少し腹を立てているのは本当だった。

ただそれはハニカムウォーカーの言う通り、彼女の提案に対してではない。

自分でも、どうしてなのかは少しよく分からない。うまく言葉にできない怒りのようなものだった。


店の前までは一度来た。中も覗いた。中では大規模な殺し合いの跡があり、そして、明らかに人のものではない呻き声が聞こえていた。助けを呼ぶ声は聞こえなかった。ずるずると這いずる、死体だったもの。あるいは、腕自慢だったものたち。生きているものの気配は感じない。呼気、きざし、そういった生物特有のものが、酒場の中にはなかった。そこには死が満ちていた。


この数は、自分の手には余る。


彼女はそう判断した。左脚亭にはセーフルームがある。カウンターの下、身を隠すだけの小さなスペースだ。かつて、彼女はそこから店主を引きずり出して右足をへし折った。店主が無事だとすればその中に隠れているはずだった。そこに逃げ込むのが間に合っていたのでなければ、店主が生きている可能性はないと彼女は判断した。そして、逃げ込めてさえいればまだ時間的な余裕はある、とも。


現時点で彼女にできることは、この死の箱から、歩く死体達が這い出るのを阻止することだけだ。彼女は、外から酒場を封じた。この店に裏口はない。死者には、そして生存者にも、逃げ場はどこにもない。


もしこれが緊急対応付きの用心棒契約であったなら、彼女はたとえ自分が死ぬ結果になることが明らかであっても、単身、店主の生死を確認するために即座に突入しただろう。

彼女にとって契約は自身の命よりも重い。しかしそれは、裏を返せば契約は、彼女が好ましく思っている人物の生死よりも重いということでもある。


そうか、と彼女は少し考える。


自分が腹を立てているのは、そういうことなのだ。

モーは冷徹に、店主の生死の可能性を判別して合理的な行動をとった。だが、本当のところは彼女は、この死の酒場に飛び込みたかったのだ。旧知の友人の生死を確認するため、危険を冒してでも即座に向かいたかったのだ。

店主は、強盗に遭った後もプランを変えなかった。けちんぼ、と彼女は店主をもう一度心の中で罵る。高い契約にしておいてくれさえ居れば、私は、あなたの為に命をかけられたのに。


命をかける理由が、そこに存在できたはずなのに。


「生きてるといいね、エルエルのおじさん」

「……そうですね」


ベティ・モーは両の拳を打ち付けた。

やってやろう。大暴れの時間だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ