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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「鉄血」(2)

即席のパーティーだったが、連携は素早かった。


無言のモーが踏み出す舗装路の、逆側からフランチェスカは歩を進めた。背後でハニカムウォーカーはいつのまにか姿を消している。

今宵、フランチェスカから離れるつもりはないと語った言葉に嘘はないだろう。どこかに潜んでいるだけで、逃げたわけではないという、信頼に近いものがあった。

顔を向けた先の人影。隻眼のフランチェスカは前髪の隙間で目を細めた。


死体が、立っていた。


「たしかに」


死体、と表現するしかなかった。

明らかに折れた首、顎下から垂れる血は半ば乾いているが、古いものではない。死んだ男は冒険者のような風体だ。

だが、どう見ても立っていられるような怪我ではない。傾いた首と、ゆらゆらと揺れる影。だが、それはフランチェスカが探している死体ではない。彼女の知る人物ではない。

そっと息を吐き、彼女はそれを幸運と呼ぶべきか、それとも残念だと思うべきか、また少し考えた。何れにせよ詮のないことだ。


戦闘の景気づけか、ぱん、と拳を打ち合わせたモーを、待て、と制止してフランチェスカは一歩踏み出した。死体がゆっくりと振り向き、その顔を見たフランチェスカの動きが少し止まる。


「モー。意見を聞きたい」

「なんですか」

「彼は…この国の、市民だ」


フランチェスカの声は落ち着き、そして曇っている。


「見たことないか。彼、テクニカのメンバーだ。私が覚えているのは顔だけだが、何度か市場で見たことがある」

「言われてみれば…」

「死んでいるのに歩いているというだけでは、市民を斬っていい理由にはならん」

「えっ」

「そうだろ」

「そう…いうものなんですか」


モーの戸惑いはもっともであった。

フランチェスカから動く死体が居たら報せてくれと頼まれたのは、治安上の懸念だとばかり思っていた。

赤襟の傭兵は公式の治安維持部隊ではないが、もう何年も宮廷会議上席にいる当主、フェザーグラップ・アンデレックの方針により、龍の国における自警団の役目を担っている。彼らは精強な私兵として、怪物の討伐や暴徒の鎮圧をもう幾度もこなしている。


ゆらゆらと動く死体。


「ぶっ飛ばすんじゃ…ないんですか?」

「これは物事の手順と、ルールの問題だ」

「でも、あれ、どう見てもゾンビちゃん、ですよ」

「死んだ後に歩いたというのは、市民権や尊厳が即座に剥奪されるほどの罪だと解釈するには少し軽い。それに自分の意思で歩かされているのではないかもしれない。誰かに歩かされている、その可能性もある」

「うそでしょ」


モーは、信じられない、という顔でフランチェスカを見た。

完全に、思っていたのと違う展開だったようだ。

確かに、龍の国の法には「死体である」という罪も「死後に歩く」という罪も、どちらも存在しない。しないが、実際問題、歩く死体を前にして議論すべきことではないような気もする。


「モーは暴れたかったのか」

「いえ、その、そういう訳ではないんですけど」

「歯切れが悪いな」

「なんて言えば伝わってくれるんですかねえ」

「考えてみればさっき、ハニカムウォーカーに報酬を出す、といったのも気になる。これを私に報告するだけなら、彼女を同行させる意味がないだろう。何か隠しているな」


歩く死体の折れた首と生気のない目は、きちんと二人を捉えているのか定かではない。ただ、ずる、と足を引きずるように死体が二人に近付く。


「この程度、別に他人の手を借りるほどではないはずだ」


口ごもるモーは、どう切り出したものか迷いながら死体と、フランチェスカを交互に見る。フランチェスカは死体からモーを庇うように体を滑り込ませ、掌を相手に向けた。


「ああ、すまん、立て込んでいて貴方の名前が思い出せないのだが、拝見したところ大怪我のようだ。何か手当はご必要かな」


場違いにも聞こえる声をかけると、死体は不明瞭な声で低く唸った。それが返事かどうかは分からない。死体が手を伸ばす。


「私は医師ではないが、そちらの、手当を、ハハハ、掴むな」


フランチェスカは軽く笑いながらいなすが、死体は執拗に籠手を嵌めた彼女の手を掴もうとする。


「掴むな、止めろと言ったぞ」


その声が真剣な色に変わり、フランチェスカはモーの目を見た。意図を察したのか、モーが傍から一歩、斜めに飛んで死体の腰を突く。

鈍い音がした。

おそらく痛みではなく単純に関節の構造のせいで死体は屈む。丁度いい位置に降りてきた死体の鎖骨をモーは逆の手刀で躊躇なく折った。

間髪入れず、もう一度の強い突き。

ぼ、と風を受ける布のような音で転がった死体は、路地の壁にもたれ、動かない。

モーはあくまでも都市部での用心棒だ。殺し合いというより相手の無力化を第一目的にした戦闘のプロである。相手が痛みを感じない超戦士だったとしても、人体構造上、鎖骨を折られてはもはや片腕は上がらないはずだ。静かで、圧倒的な暴力であった。


「これ…いいんですよね。さっきの、そういう意味ですよね」


少し不安げにモーが見上げると、フランチェスカは頷いた。


「そうだ。私は市民に対話を試み、その拒絶と敵対的行動を確認した。君の行いは、私を救助しようとした善意の緊急避難にあたる。助かったよ。私は証言する」


頭上から口笛が聞こえた。


「わたしはそういうの、詭弁だと思うなあ」


ハニカムウォーカーだった。姿を消していた彼女は、いつのまにか路地に並び立つ建物の屋根の上にいたようだった。するすると、ベランダを伝って降りてくる。辺りに人は居ないね、と音を立てずに着地して、彼女は腰袋から拘束用のワイヤーを取り出した。


「決闘前のマナーとしては嫌いじゃないけど、少し乱暴すぎやしないかい」

「マナーは関係ない。これはルールだ」

「解釈の違いだね」


軽く返事して、ハニカムウォーカーは倒れている死体を拘束し始めた。手近な街灯を通した輪になるよう、死体の折れていない方の左腕と右足を拘束具で繋ぐ。かわいそうだけど連れてくわけにも、バラバラにするわけにもいかないもんね、と軽いため息のように呟く。


龍の国の法律では、決闘の前には必ずお互いの合意か、あるいは「当事者間で合意が形成できないことの証明」が必要だった。つまり、話し合いの機会を持ち、平和的な和解の道を模索し、拒絶されること。

フランチェスカがしたのは、この手順を簡略化したまさに「儀式」だった。まず相手を気遣う言葉をかけ、掴みかかられるのを制止し、いずれにおいても断られたので実力行使に出たという「形式」をとっている。


「それよりチェッカ。さっきまた、わたしがいないところでわたしのことをハニカムウォーカーって呼んだだろ。まあ、たしかにハニカムウォーカーではあるんだけど、メアリって呼んでくれる約束はどうしたんだ」

「メアリ」

「そうそう、それでいいんだ。こういうのは慣れが必要なんだよ。習慣として、継続していかないと親しみというのは湧いてこない。ねえ、そう思うだろ、モー」

「彼女のことはベティとは呼ばないのか」

「私と掃除屋さんは、そんなに親しくないんですよ」

「…だってさ。モーは仕事とプライベートをきっちり分ける方なんだ」


手際良く拘束を済ませたハニカムウォーカーと、ナックルを拭いているベティ・モーを見比べてフランチェスカが目を瞑った。暗殺者はくるりと目を回す。


「モー。当ててみようか」

「なんです?」

「こういうやつがもっと沢山居るところ、見つけたんだろ」

「やはり、本命が他にあるのか」

「バレました?」


モーは表情を変えずに小さく舌を出す。


「巣、というわけではないと思いますけど、ちょっと困ったことになってるっぽい酒場があるんですよね」

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