「鉄血」(1)
階段を駆け上がるにもベティ・モーは壁を蹴り、まるで稲妻のようだ。狭い室内において彼女の機動は恐ろしいものだろうと思う。階段での乱戦となった場合、無傷で勝てるイメージはフランチェスカには浮かばなかった。
背が低いと勢いつけた方がラクなんです、と彼女は言うが、蹴られる壁もたまったものではないし、そもそも決して楽ではないだろうとも思う。
ただ、身体のギアを上げたままにしておきたいというのはわかる気もした。階段の先で待ち伏せするというのは、素人相手には有効なセオリーではある。今の宮廷内にわかりやすい敵意はなかったが、先ほどの襲撃者の例もある。フランチェスカだけでなく、モーもまた今晩、戦闘体制にあるのだ。
道すがらベティ・モーが語ったのは簡単な状況説明だ。
市中に、歩く死体が現れた。
どう見ても致命傷を負った人間が手当てもせず、そのままよたよたと歩いていたのだという。
時刻は真夜中を過ぎていた。近隣の住人にはまだこれといって被害はなく、商店もすでにほとんどが閉まっていて今のところほとんど騒ぎにはなっていないという。というよりも、まだ気付いている者が少ない、という状態だ。
そんな夜中、死体が歩いているというのをどうして知ったのだと尋ねるとモーは曖昧に言葉を濁した。では、動きだしたのはモーが殺した相手なのかと問うとそうではないという。直接見たのか、と問うと、直接見たわけではないともいう。
どうも奇妙だ、という感触はあった。
フランチェスカが同業者や冒険者たちに募った情報提供依頼、『歩く死体を見たら教えてくれ』は、実はそこまで異常なものではない。
龍の国でなくとも戦闘職にあれば、通常のアンデッドの類、ゾンビだのスケルトンだのといったものと対峙するというのはそこまで特異な体験ではない。地下迷宮探索などを生業にしているケイブランナーであれば尚更だ。
ただ、『街中で』とフランチェスカは注釈をつけた。動く死体自体はそれほど珍しくはないが、街中で、となると途端に難度が上がる。
野良のアンデッドがどのように発生しているのかについては、諸説あってはっきりしない。
あるものは超常のものが憑依して動かしているというし、別のものは悪意のある神が人の死体をそのように作り変えるという。面白いところでは「人間の死体のように見えるだけの、まったく別の新種の生き物だ」という説などもある。この説の根拠としては、迷宮に現れるゾンビ、グールたちの「生前の記録」を特定できるものがないというものにあった。どのアンデッドも、いつ頃に生まれ、いつ頃に死んだのかはっきりしない。名のない存在だというのが論拠だ。名前と過去を持つものがアンデッドとして死後に歩き回るという話は確かに聞いたことがない。
しかし、そんな異端の説を採らずとも、街中にアンデッドが出現しないのは当然の理由があった。
龍の国においてもヒュームは火葬が基本である。通常、街中で死んだ者は公衆衛生上の問題もあって基本的には腐敗する前に荼毘に付され、そのまま埋葬される。身寄りがあれば誰かが引取り、出自の宗教に対応した葬儀や埋葬を行われる。宗教によっては土葬されることもあるが、身寄りがなければ問答無用で火葬だ。基本的に市民の死体は、「死後に動きだす余地」がないのだ。
龍の国は、無政府状態というほど無法ではない。大陸にある国の中では文明的な社会を構築できている方だ。確かに日常的な争いで人死にが出ることは多いが、そういった事件も、言うほど日常茶飯事に、頻繁に起こるわけではない。
フランチェスカが過去に体験したおぞましい死霊術、死体を使役する邪法については、実はそこまで実社会への脅威として認識されている訳ではない。実際のところ、その実在を疑う者もいる。
もっとも死体を「もの」として考えれば、人形遣いとそれほどの差があるものではない。倫理的な問題を抜きにすれば、技術的に解決すべき課題が幾らあるとしても原理的に不可能、というほどのものではない。
物言わぬ有機物のゴーレム。簡単な動作を繰り返す人に似たもの。生前のポテンシャルどおりの「動く死体」。その意味では、死霊術否定論者たちの認識どおりの「まやかし」は存在する。
では、死霊術師は死んだ人間を、本当の意味でよみがえらせることができるのか。
「魂」というものは存在するのか。
根源的な問題はそこだ。殆どの国での見解は、死霊術は「死体を素材にした傀儡師」あるいは「疑似アンデッドを作り出す法」だ。つまり、外連味で味付けされた傀儡術である。
不死者の扱いも「死から遠いもの」であって「死から戻ってくるもの」ではない。それは、生と死の境界を曖昧にしてしまうことを恐れる生物の本能的な忌避といってもよい。
生と死は、踏み越えられない境目として厳然と存在している。
しかし、フランチェスカの中には彼女のものではない記憶が宿っている。アスタミラ・チェイニー。フランチェスカではない彼女。死霊術師の手により、凄惨な拷問を受けて「道具」にされた、どこにでもいる彼女の記憶だ。
死後も尚、残響のように響き続ける死んだ女の声を、もう一人の自分の声を、フランチェスカは脳内で聞き続けている。
殆どがまやかしであったとしても、たしかに死者を使役する死霊術は存在するのだ。そして、死者の魂も。おそらく。
隻眼の剣姫、掃除屋、用心棒。
三人の女が立っているのは、暗い酒場通りの外れだ。
「居ないな」
フランチェスカが腕組みをする。右手は、刀の柄まで一掴みの距離だった。鼻をうごめかして、居ないが確かに血の臭いはする、と彼女は呟く。腐った血ではない。比較的新しい血だ。
ベティ・モーは壁面に何かを引きずったような跡を見つけ、無言で示してみせる。血の痕だ。いましたよ、という表情。
「だが今は居ない」
まるで強情な子供のようにフランチェスカは首を振った。その横では、道中で着替えたハニカムウォーカーがとんとんと軽く跳びながら靴の具合を確かめている。
深い赤色のスーツ。上着を脱いでいるので両肩はむき出しだが、肘から先に包帯のような何かを巻いている。今回は手甲はない。身体の線がぴったり出る上半身に対して、腰から下にはゆったりしたパンツだ。腰のところに横向きのナイフホルダーと、道具袋のようなものを巻き付けている。使い慣れたものなのだろう、その所作には一体感がある。
ベティ・モーは口を尖らせた。
「掃除屋さんが寄り道するからです」
「してない」
「しただろう」
「わたしのせいだって言うのか?ゾンビも生き物なんだ。移動くらいするだろ。ああ、この場合、死んでるから生きてるわけではないんだっけ。ともかくわたしは悪くない。たしかにアパートには寄ったが、シャワーだって我慢したんだ」
口調こそ不満そうだが、ハニカムウォーカーは終始、建物の上の方を眺めていて、非難にも弁解にも気持ちがこもっている様子はない。
「あの格好のままでいれば良かったじゃないか。なかなか似合っていたぞ」
「そうかい?じゃあ君の結婚式とか葬式にはあの、召使いの服で行くことにするよ。まあ、スカートの裾はもう少し長くするけど」
「今のところ葬式も祝言も、どちらも予定はないな」
「招待はしてあげるんですね」
「忘れていた。招待する予定もない」
「ひどい」
軽口を叩きながら、一行は血の跡をたどる。
引き摺った跡の向きからして、おそらくは死体が進んでいる方向へ向かう。血の跡は少なくはない。その乾き具合からして、出血はある程度止まっているか、あるいは「出し尽くした」という可能性もあった。
ベティ・モーはまるで散歩をするように、小さい身体でのしのしと先頭を歩く。その拳には、臨戦態勢を示す金属のブラスナックルが嵌められている。
フランチェスカ・ピンストライプもまた、束に手をかけてはいるがリラックスした様子でに歩いている。
メアリ・ハニカムウォーカーは何故だか建物の屋根の方を気にしながら、やはり二人の少し後をついて歩く。
ぴた、とモーが足を止めた。




