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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「好奇心が猫だけを殺す」(11)

視線に気づいたハニカムウォーカーが振り返ると、結い直した髪が揺れた。

空気が変わったのは明確だ。牢の中からの返事もなく、ふう、と息をついて首を振る。先に口を開いたのはフランチェスカだった。


「つまらん探り合いはやめよう」

「同じ意見だね」

「今、グラスホーン、という名前を呼んだな」

「呼んだよ」


その事実を伝えるべきかどうか、少し悩んだようだが、グラスホーンがここに居ないのはどうせすぐにわかることだった。フランチェスカ自身も、その詳細を知っているわけではない。連絡会で破獄したものが出たということを聞いただけだ。グラスホーン・パトリックノーマンマクヘネシー。エルフ族はそれほど珍しい訳ではないとはいえ、全体で見れば少数である。何度か宮廷で見かけたことはあるが、フランチェスカはグラスホーンと親しく話すほどの仲ではなかった。本当はフルネームも覚えてはいない。牢抜けしたと聞いて、意外だという感想は出たが、それは投獄されたことも含めての感想だった。彼女は、グラスホーンのことを実質的には何も知らない。

言いかけ、躊躇い、彼女は諦めたように口を開いた。


「グラスホーン。昨日、ここを脱獄したエルフの名前だ」

「脱獄」

「さっきの房の壁の穴、それをあけたのもそいつだ」

「穴」


さすがにあっけにとられた顔で、自分が出て来た扉とフランチェスカを交互に眺める。一拍をおいて、ハニカムウォーカーは信じられないといった風に小さな笑い声をあげた。


「ウッソだろ」

「嘘はつかない」

「そんなガッツがあるタイプには見えなかった」

「同感だ」

「迎えに行くから待ってろって言ったのに」

「グラスホーンとは、どういう関係だ」

「おおっと」


ハニカムウォーカーはおどけたが、フランチェスカはにこりともしない。メイド服はしばらくその視線を受け止めていたが、やがて観念したように両手を挙げた。


「彼のこと、気になるのかい」


軽い唸り声にハニカムウォーカーは苦笑いで目をつぶる。


「ああ、そんな顔しないでほしい。こういうのさ、ジョーク言わないと死んじゃうんだよ、わたし」


反省している表情ではない。彼女はつかつかと歩き回りながら続ける。


「さっき伝えただろ。職業倫理上、あんまり詳しくは話せないが、彼からはとある仕事を請けてる。完全に合法なやつだ。これは龍の名に懸けて、つま先まで合法なやつだって誓える。わたしのリーガルチェック基準に疑問があるなら、リィンお嬢様から請けた非合法ど真ん中の依頼の話でもしようか?それが幾つの法に違反しているか、わたしがちゃんと数を数えられるってところも見せろっていうなら見せるよ。1、2、3、ええと、難しいな、その次は4かな。でも次は自信ある。5だ。たぶん絶対合ってる。4の次は5。たぶん」

「脱獄するような男からの依頼が、合法だというのを信じろと?」

「チェッカ、ここは保護房であって牢獄じゃないって言ったの、君の方だよ。それに、今夜、わたしは君に嘘をつかないってさっき言ったはずだ」


沈黙。

冷静には、現在の状況で暗殺者を追及するための建前がないことにフランチェスカも気付いたようだった。


いまだグラスホーンが収監されていれば、彼の脱獄に手を貸そうとしたということになるのかもしれないが、本人が脱獄済となればその企みは実現不可能だ。

犯していない罪で裁くことも、犯罪者一味のレッテルを貼るのもフェアではない。

それに、フランチェスカ自身、グラスホーンが何の罪を犯したのかを把握しているわけではなかった。宮廷会議の一員ではない彼女の持っている情報は、ただ、何某というエルフが脱獄したという情報だけである。


「わたしは、罪のない善良な市民だよ、チェッカ。そして君はそんなわたしを守れってボスから言われてる。そうだろ」


そうなのだ。何よりも現時点でハニカムウォーカーの身柄は正式には「リィンと係争中の市民」であり、なおかつ今となっては「ロイヤルガードから謂れのない襲撃を受けて殺されかけた被害者」なのだ。

腑に落ちない点、わだかまり、そういったものがあるにはあるが、依然として警護対象であることには代わりがなかった。


「ひとつだけ明確にしておこう。メアリ。やつの脱獄に貴女は関与していない、信じていいんだな?」


ハニカムウォーカーは頷く。もちろん、と彼女は踵を揃えてから背を伸ばすような仕草をして、誓うよ、と付け足した。


「それから…あー」


だん、ばん、と騒がしい足音がした。音がおかしいが確かに足音だ。

まるで壊そうとしたみたいに勢いよく扉が開き、奥の階段から誰かが飛び込んできた。突風のような勢いだ。まるで靴底で火を起こしているような音で着地しながら、立ち上がったのは赤毛のホビットだった。


「ベティ・モー!」


フランチェスカとハニカムウォーカーの声が揃った。

赤毛のホビット、ベティ・モーは膝の埃を払いながら二方向からの声に首を傾げる。背格好はプラムプラムより少し背が高く髪も長い。髪質が太いのか、黒いニット帽から伸びる三つ編みが文字通り鎖のようである。


「え。なんで掃除屋さんまでここに居るんですか」


猛烈な勢いで降りてきたくせに、やけに落ち着いた調子でベティ・モーは二人を不思議そうに見る。声のトーンも低く、眠たそうな声。彼女はいつもそうだ。行動と言動の温度差がひどい。


「ちっちゃい暴力」とハニカムウォーカーは彼女のことを呼んだが、概ね他の誰もが似たようなあだ名で彼女のことを呼ぶ。

まあまあ礼儀正しく、教養もある。会話での解決を優先する性質ではあるが、最後のところでは問答無用のレベルが高い。彼女が関わるととにかく物事が単純化するというのは大きなメリットであり、そして「たいてい何かが壊れる」という点では大きなデメリットとも言える。用心棒は彼女の天職だ。


組織やしがらみというものは彼女にとってあまり意味をなさないが、荒事の絶対量の多さから、傭兵社会との関わりは深い。ハニカムウォーカーが目当てでないとなると、フランチェスカに用事ということになる。当然、赤襟の用事だろう。


「私に用事…」


言いながらフランチェスカは眼帯を押さえた。息が詰まった様子だ。逆の手で自分の手をさらに押さえ、まるで自分を抱くような仕草でしばらく動きを止める。

その様子は痛々しくはあったが、ベティ・モーはそれに触れなかった。おそらく、既にその症状を見たことがあるのだろう。フランチェスカ自身が言っていた、自分の意思と関係なく動くという“発作”だ。

絞り出すように、フランチェスカは言い直す。


「私に、用、だな」


そうですよ、と剣士に短く返事をして、モーは首だけをハニカムウォーカーに向けた。


「掃除屋さん、お仕事でこちらに?」

「いや、済んだ。今から帰るとこだよ」

「なら都合がいいです。赤襟さんだけじゃなくて、掃除屋さんも一緒に来てくれませんか。個人的に報酬も出します」


怪訝そうな顔になった二人に、ベティ・モーが告げる。


「なんか、死体が歩いてるんですって。本当ならゾンビちゃんです。嫌な予感がします」

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