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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「好奇心が猫だけを殺す」(4)

しばらくの間があって、くつくつくつ、と女騎士の低い笑い声が暗闇から響いた。愉快そうな笑いではない。自嘲めいた、泣き笑いのような奇妙な笑い声だ。

じじ、とランタンが焦げた音を出す。


「違う、と言ったらどうする?」

「わたしは、人の声を覚えるのが得意なんだ。好感を持っている相手なら特にね。君の声なら混んでる酒場でもきっと聞き分けられる。自信あるよ」

「つまり」

「違わない。暗いところからわたしを見ているのは、フランチェスカ・ピンストライプで間違いないよ。片角を賭けてもいい。ていうか、このやりとりって意味ある?」


長い沈黙。


「私にとっては重要な問題なんだ」


絞り出すように呟いたフランチェスカの声は、確かに苦しそうだった。ハニカムウォーカーは寝台の上で、あぐらを崩す。しばらく思案したような顔をしていたが、やがてまとめた髪をほどき、すこしかき回してから、もう一度結い始める。


「そっち、行ってもいいかな」

「駄目だ」


言い終わらないうちにフランチェスカはぴしゃりと塞いだ。その声は反射的で、そして、自分で言っておいて幾らか据わりの悪いような様子だった。もごもごと、何か言い訳めいたことを呟く。

相手が目を丸くしたのを見たのかもしれない。

まるで取り繕うように咳払いと、座り直す音が聞こえる。


「私は…少し、怪我をしていてね」

「怪我」

「そうなんだ。だからあまり、明るいところに出たくないんだ。それに、私は変わってしまった。その」


言い淀み。


「昔の私を知っている相手には、なるべく見られたくないんだ」


さっきから声が揺れている。聞こえてくるのは、ハニカムウォーカーの記憶にある、気丈な女騎士のイメージからは遠い。

二人は日常の付き合いが深いわけではなかったが、奇妙な接点があった。フランチェスカが赤襟の客分として龍の国に住まいを構えたのは、ハニカムウォーカーが流れてくるよりも幾分前になる。

二人の最初の出会いは決して良いものではなかった。


かつて、入国したてのハニカムウォーカーが巻き込まれた「泣き人形事件」の解決までの二週間。誤解によるものではあったが暗殺者と女騎士は二度激突した。真剣に争い、斬り合った。どちらが優勢とも劣勢とも言えない争いであった。一度はハニカムウォーカーが不意を衝き、一度はフランチェスカが正面から圧倒した。二度とも決着はつかなかった。

以来二人はお互いを意識して、ただ、衝突だけは避けるようにして付き合っている。深入りすればするほど、些細な違いから斬り合いに発展する可能性がある関係である。だが、

お互いに「許せない相手」ではなかった。

斬り合いといくつかの誤解を経て二人は、交わることを選んだ。

ハニカムウォーカーはいつものように軽口を叩いているが、はたして、そこにも目に見えない配慮のようなものがあるようにも見えた。


「見られたくない、か。それが、わたしであってもかい」


苦悩の色を隠さず、フランチェスカが頷く衣擦れの音。


「ねえ、フランチェスカ。ここで会ったのもなんかの縁だ。改めて仲良くしようよ。これもひとつのチャンスだと思うんだよ。お互い、牢屋にぶち込まれた身だ。そっちは何やったの?話したくないなら話さなくていいけどさ、わたしは君のことをもっと知りたいって思ってる。陳腐だけど、お互いファーストネームで呼び合ってみるところから始めてみないかい」

「…メアリ」


低く、低く名を呼んだフランチェスカに、メイド服の暗殺者は驚いた顔になった。一瞬だけ何かを言いかけては止め、それから前のめりの姿勢になる。


「こいつは驚くな。いや、気を悪くしたらごめんよ。でも、すごく意外だった。嬉しいよ。わたしも君のこと、ニックネームで呼んでもいい?」

「好きに呼んでくれて構わない。ただ、フランカ、とは呼ばないでほしい」

「勿論。意思を一番に尊重するよ。なんて呼ぼうかな。そうだね。あんまり捻ると訳が分からなくなるからな。チェスカ、チェッカ、その辺でどうだい」

「……構わない」


おしゃべりな暗殺者が言葉を切ると、重苦しい沈黙が上書きされる。

そこにあるのは、灯りと暗闇という以上の隔たりのようだった。手を伸ばしてもまるで届かない水の底のように、暗闇は静けさをたたえている。


「ねえ、ひとつ、約束をしよう。わたしは今夜、君に嘘をつかない。今夜に限っては一切の嘘をやめるよ。君がそれに応えるかどうかは任せるけど、これがわたしの出せる一番の誠意だと思ってほしい」


ハニカムウォーカーは先程の紙片をひらひらと振った。


「さっき言ったのは勿論嘘だよ。手紙の話は嘘だ。君の名前なんてどこにも書いてない。君のびっくりした声を聞きたかっただけなんだよ、チェッカ。これは、ただのわたしのお守りみたいな手紙だ。ここにぶち込まれる時に取り上げられなくてよかったって心から思ってる。枕元から取り出したように見えたろうけど、元々持っていたものだ。看破した通り、芝居だよ。」

「そうか」

「踏まえて、正直な話だ。わたしは一秒でも早くここを出たい。外で約束があるんだよ。君はどう?」

「……」


沈黙。


「嘘だろ?もしかしてそれって、わたしとここで一秒でもいいから、少しでも長く一緒に居たいってこと?」


くるりと首を回して暗殺者は寝台から足を下ろした。少し高い位置で結い直した髪。スカートの裾を直すと、そのエプロンドレスに点々とついた血の跡と傷が痛々しく目立った。

中身である本人は、気にした風でもない。とんとんとつま先を床に打ちつけ、体の感覚を確認しているようだ。


「まあ、そんなわけないよな。となると、可能性が絞られてくるんだけど、チェッカ。君の口から聞きたいな。答えてくれないか」


真剣な顔。


「わたしは、一体、何の罪でここにぶち込まれたんだろう?そして、君は?」

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