表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
83/116

「好奇心が猫だけを殺す」(1)

混雑する酒場を、背の低いフード姿がゆく。

あまり柄のよくない酒場だ。諍い、笑い声。皿の割れる音が目立たないほどの喧騒。賑やかといえば聞こえはいいが、無秩序というのが一番ぴったりくる形容詞だ。広間の壁に沿ってカウンターが続く。フード姿は少し急ぎ足で、人の間を縫って奥へ奥へと進んでいる。


奥のカウンター付近には、冒険者のパーティだろうか。数人が一塊になっている。バーテンは彼らから距離をとっている。グループは並んで座っているという感じではない。近くのテーブルから椅子を拝借し、ばらばらに座っている。よく見ると、一人だけ椅子に座っていない。立っているのは、左耳の先が欠けているエルフだった。断面には肉が盛り上がっている。古い傷らしい。格好からみて魔術職ではない。軽装、おそらくは弓職でもなく、探索者、あるいは盗賊といった後方支援職のようだった。


耳欠けのエルフは、おそらくはグループの中で一番若く、そして何かの失敗の責任を詰められているようであった。

奥では、半分彼に背を向けた格好でリーダーがカウンターに肘をついている。その表情は、髭のせいもあって何を考えているのか、不機嫌なのかどうかさえも読み取れない。カウンターには小さな短剣が鞘の留め金に帯封をしたまま、無造作に置かれている。その横に銀貨が数枚積んで置いてある。

この店に限らず、龍の国の酒場は基本的にキャッシュオンデリバリー、自分が飲み食いする分だけの前払いだ。


先程の小柄なフード姿が、どん、と椅子に座っている男にぶつかった。結構な勢いだ。立ち尽くすエルフに対して、ねちねちと文句を言いながら首を振っていた男だ。


「おい、気をつけろ!」


威嚇するような声がぶつけられ、フード姿が振り向いた。拍子に、今度は持っていた荷物が別のメンバーにぶつかる。


「うぐっ」


低く、みっしりした打撃音が響く。ぶつかられたメンバーが、唸って脇腹を押さえた。フード姿は小柄だったが、抱えている何かは相当に重量のある金属かなにかのようだ。


「おい!」


椅子の男はフードの肩を掴み、自分の方を向かせる。掴んだ肩口の感触は華奢だ。相手は女か、少年で間違いない。


「てめえ、気をつけろって言ったんだ」

「き、気をつけてました、ごめんなさい」


若い女性の声だ。震えている訳ではないが、おどおどした調子である。椅子の男は唇を舐めた。


「気をつけてたら荷物は当たらねえんだよ」

「すみません、あの」

「おい、謝るときは相手の顔を見て、って習わなかったのか」


どの国も同じだ。龍の国にも粗暴なものは居る。喧嘩になることは稀だが、相手が自分より弱そうと見るや横柄な態度になるものは少なくない。

問題は、特にこの国においては見た目で戦闘力の強弱が計りにくいということなのだが、それはそれとして誰が来ても負けないという腕自慢の者や、他の国での振舞い方をそのまま続ける者も、少なくはない。


「いえ、あの」


フード姿は言い淀み、そしてそのままの怯えた調子で続けた。


「習いませんでした、本当にごめんなさい」


椅子の男が呆気に取られて一瞬、絡みに行く台詞を落とした。女はフードを取る気配はない。

横にいた仲間たちが吹き出す。

立たされていたエルフだけが硬い表情のままだ。慌ててフォローするようにフードは続ける。声のトーンは真摯な謝罪のトーンのままだ。


「私、これまで謝ることがそんなに多くなかったので…」


一団から乾いた笑いが起きる。

椅子の男が無表情になって椅子から降りた。随分と背が高い。がっしりした体つきである。入店時の決まりとして、白紙による帯封で剣と鞘を封じてあるが、そんなもの、いつでも抜こうと思えば抜けるただの印である。濃密な暴力の気配が漂う。

彼を手で制して、荷物をぶつけられた男が語りかけた。


「それはそれとしてさ、痛かったぜ、おい」

「ごめんなさい」

「その荷物、何が入ってんだ」

「言えません。ごめんなさい」


フードのまま、ぴょこん、と頭を下げる。ほとんど毒気を抜かれるような素直さと声の調子だが、相手の表情は緩まない。


「嬢ちゃん、田舎から出てきたばかりなのか?」

「確かに実家は南の島ですが、別に都会を知らないわけではないです。学校も出ました」

「じゃあ教えといてやるが、目上の人間にちゃんと謝るときは事情を説明して、相手に納得してもらわなきゃならねえ」

「はい」

「嬢ちゃんの用事が、メチャクチャ急いでるとかさ、おれたちが納得するものなら、ああ仕方ねえな、そりゃぶつかるのも仕方ねえ、ってなる。わかるだろ」

「仕方なければ、許してもらえるんです?」

「ああ、そうだ。でも、別になんの理由もなくぶつかってきたなら、それは、許せんよなあ。だからまずは、これから何するところだったか、おれたちに大きな声で言ってみろって言ってるんだ」


店内、彼らが固まっている奥にあるのは、化粧室、つまり便所である。普通に考えればなんのために急いでいたのかは聞かなくてもわかる。いつのまにか、謝る謝らないという問題は、完全な嫌がらせにシフトしていた。

フード姿が俯き、答えずにいると、男は大きくため息をついた。


「おれたちは、今晩元々あんまり機嫌が良くねえんだ」

「そ、そうなんですか」

「ああ、そうさ。だから、お嬢ちゃんがそのフードを取ってな、おれたちの横に座ってさ、ちょっと愚痴を聞くのに付き合ってくれるなら別に水に流してやったっていいんだぜ。ぶつかるだのぶつからないだのってのは、ほら、些細なことだろ」


きわめて治安が悪い口説き文句だ。脅迫と言った方がすんなり来る。鬱憤をぶつけたいだけなのか、それとも本当に酌婦を現地調達しようとしているのか。その両方なのか。


「ごめんなさい、謝るから許してくれませんか、だって、その」

「なんだよ、聞こえねえ。大きな声で言ってみろって」


最初に立ち上がった男も、その意図に気付いたらしく、彼女の逃げ道を塞ぐように緩やかに立ち位置を変えた。


「あの、悪気はなかったんです」


フード姿は、意を決したように顔を上げた。顔は見えないが、細い顎と、色素の薄い唇が覗く。


「ぶつかった理由を、といわれたら、それは、急いでいたからで」

「だから、な・ん・で・だ…って」

「それはだって、あなたたちが、邪魔だったから…」


思いがけない直球の返事に、全員が息を呑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ