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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「わたしたちは友達が少ない」(14)

「恥知らず、って、自分で言ってて嫌にならないの?」

「お黙りなさい」

「その鼻、へし折った後に教えてあげようか?貴女に友達ができない理」


一瞬の隙だった。

挑発を遮って、リィンが言い返そうと口を開いた刹那だ。彼女が息を吸おうとするタイミングを狙って、ハニカムウォーカーはボロボロになった絨毯を勢いよく足で引き寄せる。鼻、鼻と、完全に、上半身に注意を向けてからの不意打ちだった。リィンは足元を掬われて仰向けに倒れ、背中を強く打ち付けた。僅かに残った息をさらに吐きだして肺は空っぽだ。レンズは中空を漂ったまま、不意打ちに対応できていない。浮遊するレンズは少なくとも自動制御ではない。


リィンを仰向けに倒すのと同時に暗殺者は距離を詰めている。足をばたつかせるのを器用に避けて、馬乗りになった彼女は宣言通りその顔面に拳を叩き込んだ。

ただ、それは鼻柱には命中しない。エルフは顔を逸らして、頬骨で受けているがダメージは通った。中空のレンズがエルフのダメージにシンクロしてぐらつく。


ハニカムウォーカーが、より完全なマウントを取るべく体勢を立て直そうとするのに合わせて、その背中に氷弾が撃ち込まれる。二発。勢いが弱い。一瞬動きが止まるが、体勢をひっくり返すところまでは辿り着かない。膝で体を制して、完全な馬乗りの体勢になった。

無表情にエルフを見下ろした暗殺者は大きく右手を振りかぶる。


「寝てろ」


右手が振り下ろされるのに合わせて再び、リィンが首を振って避けようとする。しかし、その動きを読んでいたのか、直撃したのは左拳だった。回避に合わせてショートレンジのパンチが綺麗に正面に決まった。ぐらつくレンズ。制御を失って一つが地に落ちた。涙目になったエルフは、しかしまだ鼻血を流すには至っていない。


「ほら、左、右、右、違う違う、左、右、そら、左が来るぞ」


ハニカムウォーカーが淡々と読み上げながら拳を振るう。声と、エルフの顔にヒットする拳の左右は全く対応していない。まるで稽古のような、ひたすらに淡々とした口調だ。


「君たちの大好きな宣言と予告だよ、楽しいね」


侮辱のようだが嘲る口調ではない。返り血がメイド服の袖に跳ねた。

氷の弾が、今度は酒の染み込んだ付近の絨毯から生成されてたびたび撃ち込まれるが、やはり勢いが弱い。暗殺者は被弾しながらも殴るのをやめない。


「お嬢様、ひたすら殴られる方の気分はどうだい。たまには、いい気分転換になるだろ」

「ホーンド…風情が…」


為す術もなく殴られ続けたエルフの目はまだ、闘志を失っていなかった。無駄口の隙にハニカムウォーカーの左手を掴み、じりじりと押し返す。


「ねえ、お嬢様。ぶっ殺してあげたいけど、プラムの頼みだから仕方ない。でもさ、今夜のことを、きっと忘れられないようにしてあげようね」


喋りながら暗殺者のこめかみからも、頬に向けてひと筋、血が流れる。冷たい目だ。エルフが声を上げると、離れたところで自動人形が片腕で起き上がろうともがき始めた。


「わたしは、彼を巻き込むなって言ったんだ。覚えてるかい」

「ミオット!」

「だから、いい加減にしろよな」


暗殺者の声がまた冷えた。ぎり、と音が聞こえるくらいに右拳に力が入る。


「!?」


振り下ろされる寸前、冷たい瞳が驚愕の色に染まる。高く構えていた右手から、不意に感覚が消えた。がくん、と、まるで人形のそれのように右手が力を失って垂れる。

一瞬前までは完全に有利な体勢だったが、暗殺者は掴まれた左手を振りほどき、まるで跳ねるようにエルフの上から飛びのいた。

だらんとした右腕を押さえてエルフを見る姿は、一瞬の間に冷や汗をかいている。


「ようやく」


リィンはしばらく倒れたままだったが、自動人形に手を借りてゆっくりと起き上がる。


「ようやく、"効いてきた"ようですね」


エルフの端正な顔は、何度も殴られてあちこちに血の跡がついている。口の端が切れて腫れあがり、しかし、それでもそこには凄惨な美しさがあった。人形から差し出されたハンカチで頬の血を拭い、彼女は乱れた髪を軽く直した。


「凍らせて撃ち込むと、融けて身体に回るまで、思ったより時間がかかる」


それは、プラムプラムを昏睡に至らしめた毒酒だった。エルフの魔弾は、すでに何発も暗殺者に撃ち込まれている。まだ動く方の腕でハニカムウォーカーはヘッドドレスをむしり取った。少し、息が上がっている。最初に被弾した分が効いてきたのであれば、今、殴っている時に被弾した分はいつ頃効果を発揮するのか。


「ああ、そういうことか」


ハニカムウォーカーは荒く息をついて、一度だけ深く目をつぶった。


「急に気絶すると具合が悪いから、一応、先に伝えておくよ、お嬢様。わたしはともかくとして、今夜、プラムが無事に帰らないと貴女にはすごく都合の悪いことが起きる」

「そんなことが遺言でいいのかしら」

「いいかい、ベティ・モーだ。あのちっちゃい暴力が問答無用で貴女を襲うよ。彼女がどれだけ話を聞かないやつかは知ってるだろ。無策でここに来るほどわたしは楽観的じゃない。いくつか保険は掛けてある」

「脅せばわたくしが動揺するとでも?」


すっかりリィンは平常の声色を取り戻していた。彼女もまた、喋りながら顔をしかめる。口の中に切傷ができているようだ。


「すでに貴女の中には疑惑が生まれている。それで十分さ。こいつ、一体どこまでモーに事情を話しているんだろう。モーとの契約のトリガーはプラムプラムの無事だけなんだろうか。本当にわたしに関しては殺してしまっても大丈夫なんだろうか。待てよ、ことによってはモーの口封じも必要なんじゃないか」


喋りながら、ハニカムウォーカーの体が小刻みに震え始めた。


「さすが、運動すると回りが早いね…。まさか毒の酒を撃ち込まれてるんだとは思わなかった」

「しばらくは動けないでしょうが、後遺症が残ることはないはずです」

「いい手だよ。勇んで種明かしをしなければ、わたしはもうちょっと困っていたはずだしね」


意識を保つためか、強く顔を振る。主人の横を離れた自動人形がのろのろと自分の腕を拾った。その腕、すまないね、とメイドが声をかけるが返事はない。


「まあ、しばらくわたしを殺さずにいておいてくれるであろうことに感謝して、貴女に友達が出来ない理由を教えておくよ。さっきは話が途中だった。約束を反故にするのは据わりが悪い」

「殺さないとは、特に申し上げておりませんが」

「フフ…殺さないさ。貴女は少なくとも今夜、わたしを殺さない」


ハニカムウォーカーは何度か息をしてから、まっすぐに立ち方を直した。


「それに知りたいはずだよ。どうして自分には、プラムみたいにたくさんの友達ができないんだろうって。人知れず悩んでるんじゃないのかい」


リィンをしっかりと見つめるその目には憎しみも、蔑みもない。


「貴女にはさ、他人を大切にしようって気持ちがないんだ。誰のことも大事に思ってない」


一秒ごとに毒が回る。また一歩、よろめくように体勢を変えて、彼女はスカートの裾に左手を添わせた。


「そう、わたしも結局のところ同じさ。放っておくと他人を粗末に扱ってしまう。根本的に価値を感じてないんだね。でも、価値ってのはさ、自分で決めるもんなんだよ。大事にするかしないか、自分で決められないと、貴女みたいになってしまう。わたしは」


大きく息を吸ってスカートをまくると、太もものナイフホルダーが見えた。


「わたしみたいなのに付き合ってくれる友人は、きちんと大事にしようって決めてるんだ。それを証明する手段が、なんていうのかな」


ハニカムウォーカーはゆっくりとナイフを抜く。


「自己満足的で、そして、あんまりエレガントじゃなくってもさ」


ゆっくりと振りかぶった彼女に、間髪を入れずに氷弾が撃ち込まれた。衝撃に一歩、後退したその頬に乱れた髪が垂れる。ナイフを持った手もまた、力なく下がった。握力も消え、からんと音を立ててナイフが地面に落ちる。


「フフ…ほらな……そういう、とこだよ」


暗殺者の瞳が、ぼんやりと焦点を結ばなくなってきている。見るからに限界が近い。両手をだらりと垂らしたまま、彼女は呟いた。


「この程度、わたしは避けようと思えば、まだ避けられた。ンフ。負け惜しみに聞こえるだろ」


ハニカムウォーカーは膝をつき、最後にリィンに指をさした。


「わたしは避けなかった。貴女は気にせず撃った。この差なんだよ」


呟くようにして、どう、と倒れた彼女の背後には、ソファに倒れて寝息を立てるプラムプラムの姿があった。ハニカムウォーカーが避けていたとしたら、氷弾はおそらく彼女に突き刺さったことだろう。


悪徳のエルフはしばらく声を出さずに二人を見つめていたが、最後に一度だけ、悲しそうに首を振った。

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