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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「わたしたちは友達が少ない」(10)

時間は巻き戻って今朝の出来事だ。


可哀想なグラスホーン・パトリックノーマンマクヘネシーは、夜明けとともに宮廷会議の手により捕縛された。


リィンの元に彼が自室で殺されているという匿名の通報があったという。当然、本当はそんな通報はない。リィンは自ら差し向けた拷問官の仕事結果を誰よりも早く見たがった。

嘘の通報を受けたことにして、彼女はグラスホーンの部屋に向かった。


宮廷会議第四席であるリィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームの指揮のもと、急行したロイヤルガードたちが目にしたものは、目隠しに猿轡の状態で椅子に縛られた状態のグラスホーンだった。


荒らされた彼の自室にあったのは、床に倒れている身元不明の首無し死体だ。ベッドの横の壁紙には、おそらくは死体の血を使って「falsehood」(偽り)という血文字が残されていた。

死体は宮廷の制鎧を着込んでいたが、ロイヤルガードではない。ロイヤルガードは全員、所在が明らかだった。鎧も盗まれたものだった。首から上もなく、指輪などの装飾品も特徴的な刺青もない。結局どこの誰かは分からなかった。大柄な首無しは、検分の結果、成人したヒュームで生前に無数の傷を受けた跡があることがわかった。腹部には大きな損傷があり、血液の大半と幾つかの臓器が失われていた。逆に言うと、それくらいしか分からなかった。身元不明の死体は「証拠品」として地下の凍結書庫に放り込まれた。


縛られたグラスホーンの服や頬には幾らかの血痕が見られたが、いずれも彼のものではなかった。状況からして置き去りにされた死体のものと思われたが、グラスホーンは昨晩、自らの身に何が起こったのかを頑なに黙秘した。


何度か殴られた跡があったようだが本人が無傷を主張したため、強制的な身体検査も治療も為されなかった。龍の国においては、どんなことであっても本人の同意なしには何も行われない。


グラスホーンは青白い顔のまま、正体不明の賊が部屋を荒らして去っていったと証言したが、その他の一切を黙秘した。尋問の言い淀みにより、少なくとも賊のうち一人が女性であったようだということが推測されたが、一貫して彼は賊の狙いについても「分からない、見当がつかない」と、回答を拒否した。


状況証拠から、リィンは一つの結論に達した。

彼女の送り込んだ掃除屋は彼女の要望を聞き、立派に仕事を果たしたのだ。契約通り、グラスホーンに恥辱と、消えない恐怖を刻み込んだのだ。

他人に語ることすら躊躇するほどの凄惨な体験。血で汚れた顔。服。正体不明の死体から消えた臓器。そこから導き出される結論。

おそらく暗殺者は死体の肉を無理やり喰らわせるという禁忌を行った。エルフ族にとっての絶対のタブーを踏み越えさせたのだ。


支払った報酬の額に見合うだけの残酷な結果を見て、彼女は大いに満足した。考えてみれば、肉体的にダメージを負わせるよりもはるかに深い傷痕を残せる結果だ。


グラスホーンは、この先の何百年も、汚れた屍肉を喰らったエルフとして後ろ指をさされながら生きていくのだ。聖殿にも入れない。森林同盟の参政権も失う。里によっては追放処分だ。


そして今朝。

即座にリィンは、暗い喜びと共に宮廷会議を緊急招集した。

彼女はグラスホーンを、可哀想な被害者という建前の元、彼が賊の手によって屍肉を喰わされたことを「事実」として議事録に書き残した。それは永遠に消えない記録だ。さらに身柄保護の名の下に彼女はグラスホーンを投獄した。議事録だけでなく、投獄の記録を彼の経歴に刻みつける。念の入った悪意であった。


それからの昼がすぎて夜である。

メイド姿の暗殺者の前で長命のエルフは髪に手をやり、苛ついたようにくるくると指に巻きつけている。何かを考えている顔。それは優美な表情ではない。


しばらくがあり、長命のエルフは目醒めたような表情になった。口を開いて、閉じ、諦めたように首を振る。


彼女は今朝、自分がたどり着いた結論が間違っていたことを認めたのだ。

死体は「グラスホーンに食わせる為の屍肉入りのバッグ」として持ち込まれたのではなく、どこかの誰かが横槍として送り込んだ刺客か何かだ。無関係だった。


「てっきりあの無礼者に、不浄なる死骸の肉を無理矢理食わせてやってくれたと思っていましたのに」


落胆した様子のエルフの声に被せるように、暗殺者は肩をすくめた。喰わせてやったよ、と返答をしないことが、リィンの落胆を裏付ける。

本来であれば、刺客が誰の手のものか、誰が血文字を書いたのか、どのような顛末だったのかに興味が行くべきなのだが、そんな些事は、この長命のエルフの心には響かない。盛大なため息をつくエルフは、再び酒を呷る。


「もっと他に気にするとこあると思うけどな」

「わたくしは今、とてもがっかりしています」

「きちんと報酬分の仕事はしたよ」

「何かそれを証明するものは」

「今朝の貴女は、随分はしゃいでいるように見えたけど」

「たった今、ご自分でそれが偽りだとおっしゃったでしょう」


到底満足のいくものではありませんわ、とエルフは顎を上げた。彼女は己の悪意を掘り出し、身に纏った。まるで悪意が、鎧のように自分のペースを取り戻させたようだった。

臨戦の準備がすっかり整った。彼女の身のうちに魔素の奔流は準備され、ゆったりした余裕が彼女を落ち着かせている。エルフは王のように優雅に、グラスを透かした。揺らしていないのに、グラスの中身が波紋を作る。


「あのね、お嬢様」


ハニカムウォーカーはため息をつく。


「事実がどうかは関係なく、貴女の目的は果たされたんじゃないのかな。あの可哀想な男は穢れたエルフの烙印を押された。貴女がそうしたんだろ。それだけじゃあ不満なのかい」

「不満ですって?」


エルフは心底不満そうな声を上げた。


「わたくしは、わたくしのお支払いした額に見合うだけの働きを見せてくださらない、と申しておるのです。プロフェッショナルというのは、そういうものなのかしら」

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