「わたしたちは友達が少ない」(8)
静寂が部屋を満たした。
氷の溶ける音すら聞こえるような無音の室内だ。
少しだけ悲しそうな顔をして、リィンはプラムプラムをじっと見ている。そこに言葉はなかった。
心臓の打つ音を数えるような時間が続き、ことん、とプラムプラムの意識は途切れた。すう、と寝息が漏れ、力をなくしたその掌から何かが転がり出る。親指よりも小さな装置だ。リィンはゆっくり近寄り、それを拾い上げる。ボタンがひとつ、ついているだけの、小さな装置だった。
「何かしら」
エルフが無造作に操作すると入り口の扉の方で、ブブ、と微かな振動が聞こえた。瞬時に中指に魔力の輝きを込め、戦闘態勢で向き直ったエルフのさらに背後、完全な死角から低い声がする。
「お嬢様、そのまま。動かないよ」
放射可能な魔力を込めた指先が動かせない。振動の聞こえた方にはおそらく、何もない。誰かがそこに装置の対応機を仕掛けたのだ。おそらくは、今、声をかけた誰か。
声以外には何もないが濃密な暴力の気配が彼女の背筋を貫いている。誰も居なかったはずの部屋で、死角から、エルフは狙われている。弓か、刃物か。投擲武器がひとつなら対応出来るかもしれないが、ふたつでは間に合わない。魔法の一番の弱点は、準備の整わない近距離遭遇戦だ。
エルフの背後の暗がりには、召使の服を纏った何かが居た。
動けないままのエルフの背後で、ゆっくりとそれは立ち上がる。無音だった室内に衣ずれの、しゅる、という音が生まれた。
機能的ではあるが、やや華美で貴族趣味のスカート。後ろでまとめた暗い緑の髪。髪飾りのような二本の黒角の間にヘッドドレスまでつけた暗殺者が、そこに控えていた。開いた胸元、左の鎖骨の辺りから古い傷跡が縦に走っているのが見える。
「君たちの話が友好的に進みそうなら、笑ってもらえるかと思って用意したんだけどね、こういう結果に終わるとは思っていなかった。だから、なんだかおちょくるような形になってしまって申し訳ないな、とは思っている」
メイド服姿のメアリ・ハニカムウォーカーは大きく伸びをして首を回し、ぽきぽきと背中を鳴らした。
「じっとしているのも仕事のうちだからね。待つのは苦じゃないが、少々疲れたよ」
「……その声は」
「そう、わたしだよ。あなたの暮らしに彩りを。拭き掃除から要人警護、はては陰謀の解体まで。最近、請け負う仕事の枠を広げたハニカムウォーカー家政婦紹介所さ、おっと」
安心したのか、魔力を解いて振り返ろうとしたエルフを牽制するようにナイフが飛んだ。下ろそうとした手を掠め、カッ、と硬い音がして扉にナイフが突き刺さる。エルフは身動きをせず、剣呑な目をして壁に生えたそれを睨む。
「わたしは、動くな、と言ったんだ。お嬢様。まだ話は終わっていないどころか始まってもいないよ。君たちの悪い癖だ。全部他人が自分の思い通りになると思っている」
「……アサシン」
「違う。ハニカムウォーカーだ。呼びにくければメアリさん、って呼んでもいいよ。どうしても呼び捨てにしたいならハニカムウォーカーだ。わたしは貴女に敬意を払って、お嬢様、と呼んでいるだろ。誰であっても、フェアでなければならない。一方的なのはどうかとわたしは思うんだよ」
「……わたくしは、あなたの雇い主だったはずですけれど」
「そうだね。わたしは先日、貴女が床に投げた前金を拾い、そして今、残りのお給金を頂くため、あらためて傅きにあがった」
「いくつかお尋ねしたいことはありますが、ここはわたくしの屋敷です。自分の椅子に戻っても?」
ハニカムウォーカーは、無理矢理笑うような声を上げた。
「ンッフ!いいとも!わたしも貴女がどんな顔をしているのか見てみたい」
振り返ったリィンは、一瞬だけメイド姿の暗殺者に眉を顰めたが、昏睡したプラムプラムを眺めていたのと同じ、何の表情もない顔に戻った。その整った表情のまま、ゆっくりと、さっきまで座っていた椅子に腰かけて髪を触る。
ハニカムウォーカーは露骨に嫌そうな顔になった。
「ハニカムウォーカー。そんなふざけた格好をして、いつからそこに潜んでいたのかしら」
「格好については先に謝ったよ。それよりお嬢様、先にわたしの話をしてもいいかな」
「……どうぞ」
エルフが不満そうにしながらも肩を竦めたのは、暗殺者の手にひらりとナイフが現れたからかもしれない。先程の殺気は失せていたが、それなりの圧はある。
「そこで寝ている子はさ、わたしの友達なんだ」
暗殺者はナイフで寝ているプラムプラムを指す。エルフは彼女と暗殺者を見比べて一瞬だけ、眉を上げるが口を開かない。
「今まで、何でも自分でやるからいいよって言ってたのに今夜、初めてわたしに依頼をしてくれたから、友達というだけでなく依頼主でもある。いいかい、リィンお嬢様。わたしは今から貴女にひとつ、強制するよ。貴女には、プラムプラムに感謝して欲しいんだ」
「どういうことだか、さっぱり話が分かりませんね」
「貴女が今、そうやってゆったり椅子に座っていられるのは彼女のお蔭なんだよ」
「?」
暗殺者は、目で彼女の手を指す。まだリィンの左手にある小さな装置。
「それは合図の道具だったんだ。わたしと彼女の契約はね、身の危険を感じたらそのボタンを押すこと。そうしたらわたしは必ず助けに入るよ、と約束してあった。傍に居るとは思ってたろうけど、彼女も、わたしがここに潜んでいることを知らなかったんじゃないかな」
暗殺者は少しだけ声を低くする。
「さっき、眠ってしまう前にね、プラムはそれを押すことが出来た筈だ。でも、押さなかったんだよ」
押さなかったんだ、と彼女は繰り返した。押してくれたら、貴女の背中にナイフをぶっ刺してやろうと思ってずっと待ってたんだけどさ。
「わたしは彼女の意思を、尊重するよ。リィンお嬢様」




