「わたしたちは友達が少ない」(3)
美女はうっすら頬を染める。
「ええ、今夜はまあ、ちょっと、いいこともありましたし」
思わず腰を浮かしかけたプラムプラムはしばらく彼女を上から下まで眺め回し、気圧されたように座り直した。
「お嬢、お酒少しは強くなったの」
「昔から、お酒、好きでしたよ。気持ちが晴れ晴れするから」
「それは知ってる。すごくよく知ってる。そうじゃなくて、なんていうか、いつもと感じが違うからさ」
「大事なお客様がいらっしゃるのに、一人だけ酩酊する訳にはいきませんもの。ほどほどにとめておくくらいの良識は持ち合わせております」
「あ、ああ、ああそうなの」
プラムプラムの脳内に、いくつかの嫌な思い出と、そしてこれから為すべき、聞かなければならないことが浮かぶ。
この古い友人は、いわゆる酒乱だ。
ただの酒乱ではない。物理的に暴力的な酒乱なのだ。無理に人へ酒を飲ませるようなことはなかったが、酒の席で始まった壮絶な決闘を何度か目にしている。
いつだって発端は些細なことだった。
エルフ族や王である龍への侮辱。
もっとも、大抵はリィンの中にある他種族への蔑視が発端のことが多い。彼女が無意識に他人を不快にさせた結果、より直接的な物言いとして返ってくる応酬。
いずれにせよ、発端がどうであれ彼女の基準に抵触するものは大抵、手ひどい攻撃を受けることになった。
へっ、二回聞いても覚えられないんじゃあ、おっぱいと同じでその耳もデカいだけで役に立たねえんだな。
その、くだらない憎まれ口をプラムプラムが一言一句違えずに記憶しているのは、その後に起きた殺戮があまりにも凄惨だったからだ。その夜、プラムプラムをはじめ、旧友たちは束になってリィンを止めようとしたが、甲斐なく悲惨な結末を迎えた。
リィンを挑発した商人と、血まみれになった彼を介抱しようとした回復士が巻き添えで命を落とした。冷凍された上で擦りおろされた二人の死骸は赤黒く混ざり合い、どこまでがどちらのものなのかも分からなくなった。
当面は溶けない氷ですから、後片付けの係の方も楽ではなくって?
冷たい目でエルフは笑った。
しかしそれは決して権力者の横暴ではない。それは権力にものを言わせた虐殺の記録ではなかった。龍の国における決闘の作法に沿った、正式な手続きを踏んだ公平な決闘であると判断されるものであった。
確かに商人はリィンと龍の国を嘲り、彼女の謝罪要求も鼻で笑った。商人は彼女の実力を知らなかったのではない。龍の国に慣れていなかったのだ。この程度のことで殺し合いの喧嘩になると思っていなかった。それだけのことだった。
龍に関する敵対行為の証明。
侮辱に対する明確な抗議の記録、和解のための要求事項の明文化、和解がない場合に取りうる対抗措置の事前通告、その上での、和解可能性がないと考えるに足りる根拠。
そして、決闘開始の宣言。
最後に、決闘開始後の攻撃であることの、3名以上の公平な証人。
リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームは、龍の言語を識る数少ない古いものの一人だ。人の法のことも、龍との誓約のことも詳しい。龍の国において、作法の「形式」を知っているというのはいわゆる最強に限りなく近いところがあった。龍はひとの善悪を問わない。龍は、その作法を守るものだけを約束によって護る。
龍の国は、一方的に虐げられる弱者にとっては、優しいといってもよい国である。民は全て試技を突破しているのだから、全員が全員、非凡なる一芸に秀でているものたちの国ではある。だが、相対的に強弱の差は生まれた。
その国においては、どれほど弱いものにも、龍である王に訴え出るという手段が担保されていた。弱者の訴えを潰すことは誰にも許されていなかったし、仮にそれを企むものがあっても誰も手を貸さなかった。この国では龍である王の他に従うべきものなどない。この国の民は基本的に徒党を組まない。
それよりも、弱者への蹂躙ではなく、弱者に肩入れすると言う口実で、大規模な代理戦闘が起きることの方が多い。奇妙な国であった。
奇妙ではあるが、平等な国だ。実力の差による、覆しようのない序列はあるにせよ、尊厳に関しては限りなく平等な国である。当事者同士の合意がない限り、侮辱や諍いは宮廷会議が預かり、最終的には龍が裁定をくだす。
この国において最も重要なのは、“当事者同士の合意”であった。
揉め事は、正式な手順による謝罪の要求が軽視されることはない。しかし、一方で当事者が救済を申し出ない限り保護されることもない。人の法は、その殆どが親告罪である。
「表に出ろよ」という挑発は、この国においては「お互い自己裁量においての解決を図りましょう」という合意と見做される。
「やれるもんならやってみろよ」は、文字通り戦闘行為の許諾と合意である。「やりすぎだろ」は通常の警告だが、「力づくでもやめさせてやる」は戦闘行為への介入、参戦意思の表明となる。
リィンは、二人を爪の厚さにすりおろした後の査問において、完全といってもいい資料を提出した。彼女は罪に問われなかった。後にプラムプラムが宮廷を離れるきっかけになった、七月事件である。
「ねえ、フーリエッタ卿」
「卿はやめて」
「失礼、プラムプラム。あなたも一杯いかがかしら」
「お酒弱いのよ、あたし“も”」
少しだけ嫌味を込めたつもりだったが、エルフには届かないようだった。
「別に無理には勧めないけれど、貴女も、一緒に呑むつもりで来てくださったのではないのかしら?楽しみだったから、すこし、つまめるものも残しておいたのだけど」
ぼんやりと呟く彼女の視線の先は、手土産の酒瓶である。
そうだった。
プラムプラムは予定外に外れてしまったルートをどう引き直そうか考えている。これは、もう、一緒に飲酒して、流れで訊ねる方がいいんじゃないだろうか。無理して酒を勧めないのは昔のまま、彼女が古い友人であることに変わりはない。自分の来訪を楽しみにしてくれていた、というその笑顔に罪悪感がちくりと芽生える。
でも。
「ちょっと待って」
「何かしら」
「今、あたし“も”一緒に、って言ったよね。今夜、あたしの前に誰か来てたの?」
エルフは質問に答えず、じっとプラムプラムの目を見た。




