「わたしたちは友達が少ない」(2)
用事があると伝えて店を出てから実はまだそれほど経っていないのだが、プラムプラムが通された客間にはしっかりと暖房が焚かれていた。
人形に気付かれないようそっと壁に触れてみるが、扉の内側と外側で、かすかに温度が違う。まるで何時間も前から来客の準備をしていたようだ。
照度を落とした暖色の灯は、プラムプラムの構える至誠亭と似た、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
かすかに漂う香は、何処のものだろう。少し甘く、刺激的で暑い地方のもののような気がする。
庭の、上流階級然としたガーデンテーブルセットよりこちらの方が断然好みだとプラムプラムは考える。しかし、彼女の好みである、ということはそのまま、屋敷の主らしくない、ということなのだ。それがどういうことなのか、彼女は考えている。
案内された深い赤色の、サテン生地のソファーに腰掛けるかどうかというタイミングで主が入ってきた。リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームその人だ。
その立ち振る舞いにハニカムウォーカーが「クソ女」と評した片鱗は、まるで見られない。ゆったりとした所作、柔らかな気配、まるで完全無欠の美女に見える。
「フーリエッタ卿、ごきげんよう。いつぶりかしらね」
正装とは言えないが、明らかに寝間着ではない深緑のナイトドレス。豊かな金髪に、すらりとした肢体。物語に描かれる森エルフそのものを体現したような立ち姿だった。
「そちらこそ、お変わりないようで何より」
礼に沿って、プラムプラムも立ち上がって挨拶をする。彼女の表情が硬いのは、決してこのエルフ自体が嫌いだからという訳ではない。実は、そこまで苦手な相手というわけでもない。あくまでも用件の『内容』の問題だ。
最悪の場合、そのまま戦闘になる展開を予想していた。それもプラムプラムから仕掛けるのではない。リィンの逆鱗に触れるというか、場合によっては逆鱗に錐をねじ込んで乱暴にもぎ取るようなことになるかもしれないと彼女は思っていた。
このエルフの美女が激怒の感情に支配され、それまでに築いた関係や思い出を燃料にして大暴れする姿をみたことは一度や二度ではない。
リィンは微笑んで彼女を見る。
「まるでついこの間のような気がするわね。あなたとわたくし、昔のメンバーで一緒に過ごした宮廷での日々。大変だったけど、とても刺激的な日々だったわ。いまだにあなたの復帰を待ってる方も、たくさんいるのよ。考え直してみてはくださらない?」
リィンは懐かしそうに自分の髪を触りながら、ゆったりとプラムプラムの正面に立った。ふたりの身長差は、大人と子供のようだ。
プラムプラムは、想像する嫌な未来を振り払うように、一度目を瞑ってから両手を広げた。
「堅苦しい挨拶は抜きにしようよ。卿呼ばわりもなし。あたし貴族だったことなんて一度もないし、あたしは戻らない。あと悪いけど毎回そっちのファミリーネームをフルで呼んでたら朝までに舌がもつれて死んじゃう。前みたいにプラムって呼んでよ、リィンお嬢様」
リィンは、一瞬、ぴくりと眉を動かしたが微笑みを崩さない。プラムプラムは気まずそうにもう一度手を振った。
「ああ、ゴメンね。夜中に訪ねてきたのはホントに悪いと思ってる。許してくれてありがとう。ほらこれ、お土産。さっきシェイドトーキーでも伝えたけど、ちょっと、ほんと、冗談抜きでのっぴきならない用事があるの」
「ご用事」
プラムプラムの持ってきた酒瓶を見ながら、艶然とリィンが唇を舐めた。
「そう。ご用事なの。リィン。力を貸して欲しいのよ」
「わたくしで役に立てることがございますかしら」
「その、わたくし、がまさに適任だと思うのよね。宮廷の中のことならリィンよりよく知ってる人なんていないでしょ」
「フフ、そうかしら、まあ、それは、そうかもしれませんねえ」
ちら、と少しだけ罪悪感がよぎる。プラムプラムの知っているこのエルフはおそろしく気位が高く、そして、龍の国の古株であることを何よりも誇りに思っている。龍である王に対する忠誠心も異常なくらい強い。
そして何より褒め言葉に対する耐性がなく、さらに「あなたにしかできない」というくすぐりに弱いのだ。もっとも古くから龍の国に住む、長命種たちのひとりであるという自負は、彼女を語る上では外せない要素だ。
ただ、そういう部分を突くのは、なんだか友人を利用しているようで後ろめたかった。趣味が合わないからあまり会わないようにしているだけで、踏みつけにして利用しても構わない相手というわけではない。昔、プラムプラムが宮廷にいた頃は、一緒に仕事をした仲である。友情も、一定の敬意も抱いている。
「宮廷も、また騒がしくなって参りましたねえ」
リィンが、扉の方を眺めながら伏目で呟いた。
プラムプラムの胸に何かが引っかかる。
彼女のことを、真面目な人物だとは思っている。その点については疑う余地もない。ただ、彼女の“別の側面”についての問題なのだ。
彼女には、悪癖がふたつある。
ひとつは、ハニカムウォーカーに見せたという「クソ女」の側面だ。彼女は、誰かと敵対すると一度決めたら、平気で法も破るし相手を徹底的に攻撃する。それこそ、暗殺者を雇って差し向けるくらいのことは彼女にとっては平常運行である。プラムプラムがリィンと友人関係にあると知って、内容を言いにくそうにしていたから、おそらくは、かなりえげつない依頼をしたのだろう。
その依頼内容自体をどうこういうつもりはなかった。問題はそんなところにはない。問題は、「どの程度彼女が関わっているか」なのだ。
宮廷の中に蠢いている陰謀、という概念自体は珍しいものでもない。彼女が宮廷に第八席として在籍していた時にも、似たようなことはあった。誰と誰が気が合わないとか、そんな理由で殺し合いや潰し合いが始まる。その中心にリィンが居たこともあるし、無関係だったこともある。
ただ、今回は赤襟一族、アンデレックの嫡男が殺されている。首を落としたのはハニカムウォーカーだが、おそらく殺されたのはもっと前だ。おそらくは、死霊術が関与している。
これまでだって決闘で死人が出ることはあったが、その奥には、対立相手への敬意のようなものがあった。死んだもの、追われたもの、自ら去ったもの、さまざまな闘争を見てきたが、誰と誰が対立しているのかすら分からない政争というのは見たことがない。
リィンは、生命の種族であるエルフだ。だからおそらく死霊術を肯定的に捉えることはない。おそらくは関与もしていないだろう。だが、彼女を利用しようとする者が存在する可能性はある。
そして、この高貴なエルフは死霊術への嫌悪が強すぎるせいで、宮廷会議を含めた「身内」への、関与の疑いをかけた時点で侮辱と受け取る可能性があった。侮辱されたと彼女が感じた瞬間の、恐ろしい火力をプラムプラムは知っている。
これはもう半分賭けだな、とプラムプラムは思った。意を決して切り出すことにした。ゲッコ・アンデレック、宮廷会議の一員の、赤襟の嫡男が死んだの、知ってる?
まずはその疑問をぶつけて反応を見てみよう。
「あのさ」
「ほんとうに不思議な夜、色々なことがある」
少しとろんとした声で、リィンは天井を見上げた。この声の調子には聞き覚えがある。
聞き覚えがあった。
リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームのどうしようもない悪癖、その2だ。
「あんた、酒飲んでるの?!」
プラムプラムは大きな声を出した。
しばらくの間、「ドミノ」という謎の名前が出てましたが、「ゲッコ」の間違いです。訂正しました。赤襟のゲッコ。ハニカムウォーカーが持ち帰った首の所有者です。




