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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「悪」(19)

死霊術師が、ラーフラの背後に向けてランタンを投げた。

彼のつま先がランタンを追尾して向きを変える。床に落ちたランタンが砕けた。


ほとんど同時に、ばん、と勢いをつけて奥の扉が開いた。開いたのは死霊術師ではない。

予期せぬ状況変化にラーフラの反応が一瞬遅れる。室内の空気のすべてが、ひと呼吸ぶん、ぎゅ、と奥の部屋に吸い込まれた。

そしてまるで奥の部屋自体が呼吸したかのように、隠し扉から吹き出したオレンジ色の塊が天井を焦がした。


炎だった。


奥の部屋で育った炎が、さらなる薪を求めていた。死霊術師が、奥から出る際に放火していたのだ。ラーフラにとっては最悪の、死霊術師にとっては最高のタイミングだった。


そしてそれは、その狙いがわかっていたとしても、対応できるものではなかった。


虚をつかれたラーフラの、がら空きの脇腹。

ランタン投擲と同時に死霊術師は予備動作に入っていた。その袖先から一直線に二本の鋲が尾を引いて伸びる。ラーフラは片方を肘で受けたが、そこまでだった。もう片方の鋲が軽鎧を貫通した。ぞぶ、というその音は炎の勢いにかき消されている。剣鬼は、がくりと体制を崩した。


炎に次いで、黒い煙が咳き込むように吐き出された。

死霊術師は摺足で後退りながら、膝をついたラーフラの反応を窺う。明らかに先程までの剣鬼としての圧が消えていた。


(なんだ、“こっち”は不発か)


死霊術師が放った鋲の先に仕込まれていたのは、楓の国の死刑台に使われていた釘である。これがサイコメトリストに本当に効くかどうかは当て推量の、半分賭けのようなものだった。


サイコメトリーは、どの程度”直接的でないもの”まで読み取るのか。死人の着ていた服はどうか。処刑に使われた槍はどうか。槍に宿るのは、処刑される罪人の記憶なのか、それともそれを突く処刑人のそれなのか。槍の記憶が脳を灼くなら、その記憶が宿るのは穂先だけなのか、柄でもいいのか。尖らせるために表面を削ってしまったら、残る記憶は失われるのか。失われるとしたらそれは全部なのか、一部なのか。


いずれにせよ、呪物として使われる部分であれば何らかの効果はあるだろうと死刑台の釘を用意したが、これを対サイコメトリーの切札と頼むほど死霊術師は楽観的ではなかった。そのためにあんなに手間暇をかけて、より確度の高い呪物をわざわざ用意したのだ。


(さっきみたいな、濃密な感想をぜひ聞かせてもらいたかったんだけどね)


最初の、隠し扉を開こうとしたラーフラの絶叫と苦痛の放射は、隣室にいた死霊術師本体の肉体にも、当然届いていた。

世界には、あらかじめ共感能力の欠如した人間が一定数、存在するという。共感能力が著しく低いというのは、痛覚が著しく鈍いのと似ている。他人の苦痛に無頓着でなければ、ラーフラのために人をひとり、責め殺して呪物を作ろうなどという発想には至らないだろう。

しかしいずれにせよ死霊術師は、あれだけの濃密な思念投射に晒されながら、平静に死体を操ってみせた。それは一般の術師に可能な芸当ではない。邪法といえ、ひとつの達人の業であった。


ラーフラの手から、構えていた剣が落ちていた。

傷の痛みが覚醒させたのか女騎士の剣を手放したからか、彼はもはや剣鬼ではない。ラーフラ自身に戻っている。自由になった手で軽鎧の留金を外そうとしているが、堅く握りすぎた手指が痺れているのか、その指先が何度も空を切る。目は閉じられたままだったが、そもそもが炎のせいで急激に悪くなっている。


(少しは効いているのかな、ただ痛いだけかな)


死霊術師の嘲るような念話は彼に届いているのか、いないのか。鋲は、鎧の外から引き抜くことができない程度に潜り込んでいる。シジマとフランチェスカは倒れたまま動かない。

奥の部屋の炎は勢いを増し、隠し扉に燃え移っている。黒い煙が天井を覆い始めていた。逆の隅では、割れたランタンから、ちろちろと新しい火種も上がっている。息苦しさと熱が部屋を充たしてゆく。


実のところ、ラーフラの脇腹に突き刺さった鋲は、死霊術師の期待した以上の効果を発揮していた。呪物に宿る記憶は身体の内側から、まるで刃物のようにラーフラの脳を再びかき回していた。

しかし、彼はその苦痛を己の頭蓋から出そうとしなかった。

荒れ狂い、脳を焼く苦痛を、彼は声を出さずに耐えていた。内側に封じ込めていた。さっきのように苦痛に身体を明け渡したとして、事態が好転する可能性はない。


ラーフラは己の軽鎧をどうにかすることを諦めた。

代わりに彼は血の滲む両手で、フランチェスカを抱き起こそうとした。鋭敏になったサイコメトリー能力が、死刑台に宿る記憶が、剥き出しの神経を削るように苛んでいる。突き立つ刃物の感触、世界を呪う声。繰り返される死。押さえつける腕。

ラーフラは声のない喉で、相棒の名を呼ぼうとした。

フランチェスカの、肩当てに彼の血の痕がつく。脳裏にフラッシュバックする彼女の記憶。己の顔、野営地の風景。


(フランカ…!)


絞り出すように、ラーフラの念話が響いた。


(…フラン…カ……ッ!)


彼女と2人だけのチャンネルの、その念話には、ラーフラの内側で暴れ狂う苦痛と痛みの色はない。彼は意思を振り絞って痛みを抑え、相棒だけを呼んだ。フランチェスカは応えなかった。


じりじりと後退っていた死霊術師の後手に、部屋の出入り口のノブが触れた。


(なにも収穫できなかったのは残念だが、時間切れだ)


死霊術師は扉を開き、暗い下水道に滑り出た。


(ああ、ああ、チェスカ。そういえば勝手に入られたくないなら、鍵をかけろって言っていたね)


扉を閉める前、フードの奥から死霊術師は、倒れたままの女騎士と、彼女を抱く探索士と、その傍らの見習い道士を見つめた。


(ご忠告ありがとう、これからは、必ずそうするよ)


炎が周りつつある部屋の、出入口の扉が乱暴に閉まった。死霊術師は錠をかけ、鍵を水路に投げた。ぱちぱちいう炎の音も扉が塞いだ。

水路は静かだ。壁一枚の向こうにあった死闘の影はもはやどこにもない。とぷん、と魚が跳ねるような音がして、鍵が着水し、沈んでゆく。


あたりに誰も居なくなると死霊術師は深く被っていたフードを脱ぎ、まるで清々したかのように地下水路を駆け出していった。

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