「悪」(16)
ムル喰いの追撃が止まっている。
ラーフラは、自分のついた嘘が相手の喉元に届いたことを知った。沈黙が何よりも雄弁な証拠だ。ムル喰いは、死霊術師は、間接的にせよ彼に触れることを恐れている。畳みかけるように彼は続ける。
(シジマちゃんの記憶も、フランカのも覗いた)
目を閉じて、脈打つ痛みを抑え込む。
(そして今、ムル喰い越しに“視た”ぞ)
相手の沈黙が、全て彼の踏むステップが正しいことを示している。
(見くびったな、ぼくを)
圧倒的不利な状況ではあったが、ムル喰いが攻撃を止めたのは、手を止めるだけの理由があったからだ。彼の念話は、ネクロマンサーの疑念に楔を打ち込むだけの効果はあった。
念話で嘘をつく、というのは原理的には不可能ではない。ただ、非常に困難な作業ではある。
念話とは概念そのものを直接送る能力だ。嘘をつこうとした場合、伝える内容とともに「嘘である」という情報自体も
相手に送信されてしまう。「冗談」という概念と同じように、そこに誤解が生まれる可能性はない。
ラーフラは、念話の単位を細かく区切ることによって「嘘」をついた。ラーフラがムル喰いを「視た」こと自体は事実であった。拡張された能力の成果か、それともシジマの使う、エネルギーを流し込む術が相手の深部に接続する術だからなのか。いずれにせよ彼は開花した能力によって、杖を通じて死せる獣の過去を「視た」。
そこに見えたものは、具体的ではなかったが薄ぼんやりとした記憶だった。痩せた男に躾けられるムル喰いの記憶。鞭の痛み。途中で取り上げられた餌。直接ネクロマンサーに繋がる記憶はない。もっといえばムル喰い自身が「死んだ」という記憶や「操られている」という自覚も見えることはなかった。
だがしかし、それでも彼はムル喰いを「視た」のだ。
彼は死霊術のことは分からないし試したこともなかったが、それは相手だって同じはずだった。サイコメトリーの能力を持っていない。分からないものを、ひとは恐れる。
ネクロマンサーは警戒するだろう。操作している端末から本体の情報を読み取れるなんてことがあるのだとしたら。
そしてそれができる能力者が相手なのだとしたら。
これ以上傷が広がらない内に、ムル喰いの操作をやめて、手を引っ込めて逃げ帰るしかないのだ。
死霊術師が直ちにそうしないのは、一体どこまで知られているのかを見極めるつもりだ。これまで通り龍の国で息を潜めて生きていられるのか。それとも、すぐに国を出る準備をしなければならないのか。
知られているのは顔だけなのか、名前だけなのか。それとも、それがただのハッタリで、何も知られていないのか。
(しくじったな、死霊術師)
視力が、うっすらと戻ってきた。目の奥も、掌も、ずきずきと痛むが、さっき体験した拷問に比べたらはるかにマシだ。彼は床に転がったシジマの杖ではなく、フランチェスカの細剣を拾った。
(もう、ぼくの能力は、“読む”だけじゃないんだぜ)
念話を発しただけで込み上げる嘔吐感。明らかにキャパシティを超えて、肉体が危険信号を発している。読み取った情報が多すぎる。脳にかかる負荷が尋常ではない。
細剣にもまた、達人であるフランチェスカの記憶が染み付いている。剣先に伝わる、相手の指を落とした感覚。疲労や痛覚がなくなるまで振り続けた稽古の記憶。そして、剣の振り方。綺麗に、線を引くようにまっすぐ振れば、肉や骨、鎧程度なら断てるのだ。
(このムル喰いを細切れにしてしまえば、もうこの部屋に“使える死体”は残らないだろ)
ラーフラは虚勢を振り絞る。
彼がろくに戦えないということを知られてはいけない。
本来は死霊術師からしてみれば、たとえどんな情報を読まれたとしても、彼がその情報を誰かに伝える前に引き裂いてしまえばいいだけなのである。彼を殺し、そして残りの二人も片付けてしまえばいい。
そうしない理由は、おそらくは事前の目測を見誤っていたラーフラの新しい能力が果たしてどこまで出来るのかを測っているのだ。
彼がまだ、一方的にムル喰いを炭にするレベルで戦えるのか。あるいは、開花した新しいサイコメトリーによって奪われた情報がどの程度のものなのか。
既にラーフラが死霊術師の正体を喝破していた場合、「遠距離の念話」によってさっさと赤襟の一族の誰かに伝えてしまえばいい筈だった。
ただ実際のところ、ラーフラにその能力はない。原理的に不可能であると聞いたことはなかったが、現実にそれをこなして見せる術者には会ったことがなかった。
能力が目覚めた今、遠距離通信をすることも可能なのかも知れないが、試してみる余裕はない。最後、万策尽きた時には最高出力の念話で一か八か、助けを呼ぶしかないとは思っているが、まだ、その時ではない。
死霊術師は「遠距離の念話」をする能力を持っているのだろうか。
仮に死霊術師が遠隔でムル喰いを操り、遠隔で念話を飛ばしてきているのであれば、同じことをラーフラがするだろうという可能性に気付かぬ筈はない。つまり、死霊術師は「遠距離の念話」自体ができるわけではない。遠距離での死骸の使役や端末化は出来るようだが、そこまでだ。死霊術の達人ではあるようだが、念話に関してはおそらく、ラーフラと同等かそれ以下である。
しかし、それならば尚更、死霊術師がその可能性に思い当たる前に行動を起こさなければならない。ラーフラが時間稼ぎをしていると気付かれた瞬間、彼らの運命は尽きる。
(おまえは、迷った。ここでは、迷ったやつから死ぬんだ)
ラーフラは、細剣を掲げて祈りの仕草をした。フランチェスカの戦闘前のルーチンである。彼女がなぜその姿勢を取るのか、細剣を通じて彼は理解した。
神はいない。
斬れば、斬れるものは斬れるし、斬れなければ、自分が死ぬだけなのだ。そして、彼は死霊術師にこう思わせなければならない。
『ラーフラは遠距離通信ができる』
『遠距離通信をしていない理由は情報を得ていないからだ』
『しかし、もう一度接触すれば情報を得ることができる』
『その準備が整った』
『今すぐ死体を捨てて退散しなければ、本当に危険だ』
(こいつで、完全に暴き切ってやる!)
ラーフラは念話で雄叫びをあげ、細剣を低く構えてムル喰いに突進した。




