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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「悪」(12)

(その力、龍以外の加護を見るのは初めてだが)


死霊術師は焼かれてゆく男の肉体からシジマに語りかける。


(「徳」…だったっけ。せっかく貯めたのにいいのかい。そんなにたくさん使ってしまっても)


念話を無視して、彼女は再び出力を上げる。背中の傷からも光として生命が漏れ出す。備蓄したエネルギーも、加護も、とうに使い果たしていた。

甚大な精神ダメージからの強制復帰、哀れなチェイニーの火葬、それに続けて、斬られた自身への治癒促進はエネルギーを使いすぎる。諦めて傷は治すのではなく焼いた。

最後、力を振り絞っての攻撃である。


(僕は…空気を読んで苦しんでいるふりをすれば良いのかな。つらいのはこの肉体で、僕ではないのだけど)


痩せた男の肉体が青白い炎とともに消滅してゆく。他人事のような呟きが彼女の怒りに火をつける。


「いつか、この耳でお前の命乞いを聞いてやる!」

(鳩の使徒は品がないな。仮にも神に仕えるものなら、もう少し生命には敬意を払わ)


話の途中で念話は不意に途切れた。シジマの手応えからも、抵抗が消える。死霊術師が哀れな死骸を手放した証拠だ。戒索をうまく切断できたのか、それとも自ら手放したのか、判断はつかなかったが彼女はゆっくりと出力を抑え、荒い息をついた。

襤褸を被せられたままの痩せた男の死体はもう動く様子がない。横目で確認するとフランチェスカの背中はまだ、微かに上下している。ラーフラもまだ、生きているようだ。


手放した杖が、かろん、と軽い音を立てた。

音のない地下室に、それは寒々と響いた。


座り込みながら、彼女は二人に対して祈るような気持ちになった。完全に自分の事情に巻き込んでしまった。初めから死霊術師が絡んでいると告げていれば、もしかしたらこうはならなかったかもしれない。

告げるのを躊躇った自分の責任だった。龍の国は武の国だと聞いていた。身内に、死霊術師が居るのではと告げられることを快く思わないのではないかと思っての配慮だった。仮に死霊術師が絡んでいるとしても、背後のサポートさえあれば自分一人で対処できると思ってしまった。


危険を伴う仕事の依頼だというのに、相手を信用しなかったのだ。自分の責任だった。ごめんなさい、と彼女は呟き、懐中から護符を取り出した。破邪法によって滅した肉体の、最後の仕上げだ。


立ち上がると、ずきんと背中が痛んだ。

しかし、早く済ませなければならない。死霊術師が痩せた男の体から立ち去ったのには、何か理由があるはずだった。増援を連れてくるつもりなのかもしれない。

本体が来るのであれば返り討ちにするチャンスではあったが、状況はそう甘くはない。自身を危険にさらさないからこその死霊術である。増援はどうせ動く死体の群れだ。


交差させた護符で、シジマは二体の死体を浄めてゆく。


混乱した記憶の中で彼女は、気絶する寸前のフランチェスカの姿を思い出した。実の兄に乱暴されそうになって家を出た、と、確かに念話は言った。

ラーフラの悲鳴が止んだ後、シジマはそれまでに貯めた徳を消費して目覚めた。それは半分自動的ともいっていい覚醒だった。加護によって意識を取り戻し、動かない身体に無理やりエネルギーを流し込みながら彼女はその念話を受信していた。


シジマはフランチェスカの境遇について少しだけ思った。そして、記憶の中に混濁して残るチェイニーのことを思った。あまりにリアルすぎる体験、ごちゃ混ぜになった痛みや悲しみを脳に直接叩き込まれてシジマは倒れた。どれが自分の本当の体験で、どれが投射された記憶なのか、息をつくことで少しずつ切り分けられてゆく。

これは他人の記憶、これは自分の記憶。まるでそれはあまりにも現実的な悪夢を見た時に似ていた。


のろのろとシジマはラーフラの元に向かった。

とにかく今はこの、おぞましい部屋から二人を連れて脱出しなければならない。

サイコメトリスト。皮膚から器物の記憶を読み取る能力者。概要は知っていたはずだった。念のため、素肌に触れないようにして助け起こそうとすると、大きな声が響く。


(アプレンティス!見習い僧侶の君!)


念話だった。

反射的に伸ばしかけた手を引っ込め、シジマは飛び退いてラーフラの身体から距離を取った。一瞬、誤解してしまったが、念話はラーフラからではなかった。


(気分はどうだい?!)


溌剌とした声だった。彼女の記憶の中にある、苦い思い出の声だった。それがただの思い込みであることは理解している。

出発前にラーフラから教えてもらったことだ。ぼくの声は君にはどんな風に聞こえるんだい、と彼は、郷里にいるはずのシジマの兄の声で喋った。念話の声は、直感的な記憶の声や、発話者のイメージ、伝えようとする内容によっていつも変わって聞こえる。

仮にぼくの声が親しい誰かの声に聞こえたとしても、それは君の脳が作り出した幻なんだよ、そう、ラーフラは言った。


「ネクロマンサーかッ!!」


シジマは転がり、杖を拾って叫ぶ。浄めた二つの死体、フランチェスカとラーフラを素早く確認したが、どれにも変化はない。どこから語りかけているのか。


(そうだよ、おれさ)


念話は、嬉しくてたまらないという風だった。


(思い込みは良くないよ、なァ、子猫ちゃん)


その声は、かつてその手で殺したはずの仇敵の声だった。教義に背き、憎しみにかられて殺生したことで、彼女の司祭への道は閉ざされた。そのこと自体に後悔はない。

ただ、この期に及んでその男が自分の記憶の中に潜んでいたことを腹立たしく思った。あの男が蘇ったのかと疑うほど、混濁はしていない。


(気力の糸というものは、一旦途切れると弱いよなァ。ほら、今、このおれを退けられたと安心したろ?)


悔しいが死霊術師の言う通りだった。


(断言しよう。“お前はもう頑張れない”よ、子猫ちゃん)


びくっとシジマが身をすくませた。

“お前はもう頑張れない”

記憶の中の鍵だ。死霊術師はどこまで自分のことを知っているのか。どこかで読み取られたのか。そんなはずはない。自分の脳が勝手に、思い出したくない記憶を掘り出しているだけだ。しかし。本当にそうだろうか。高速でシジマの思考は可能性を巡る。


「私は、まだやれる」

(ここは、龍の国だぜ。そんなこと出来っこないと、おれを甘く見ていると、“そうなる”)


記憶通りの声。その声質にではない。死霊術師が語る言葉の可能性に思い当たって、シジマの髪がぞわっと逆立った。


この死霊術は何かがおかしかった。死体の目を借りて死霊術師はこちらを見ていた。さらに、最初の身体が焼かれそうになると間髪を入れず次の死体を作り、そしてまるで乗り移ったように彼女を襲った。そしてまた、どこからか彼女を“視ている”。


死霊術は「死体を動かす」技術だ。魂のないものを魂のあるように見せる。見せかけだけの邪法だ。少なくともこれまで彼女が出会った死霊術は、全てが誤魔化しだった。

さらに死体を動かすには準備や代償が要る。魔力、契約、触媒、生贄。姿を隠す術師には相応の理由がある。術師が姿を隠していることがそのまま弱点のはずだった。死霊術の弱点である状況即応能力の脆さ。遠隔操作であるから精密な動作はできず、魔力も届かない。操る死体の数を増やせばそれぞれが脆くなる。


それが目の前の状況はどうだ。


死体から死体にリスクもなく、自由にひょいひょいと乗り移るなんていうことが可能なのか。さらに乗り移る先がなくとも「魂」の状態でその場にとどまることができるとしたら。

もしそんな死霊術が完成していたとしたら、それは、死体が量産される合戦場では無敵の技術となってしまう。

そんなことはあってはいけない。

そんな筈が。

あっては。


(サプラアアイズ!)


彼女はゆっくりと振り向く。

血溜まりの中、ムル喰いの死骸がゆっくりとその前脚をもたげるところだった。


(動物の死体は動かせないなんて、いったい誰が決めたんだ?)


シジマは血の気の引いた顔で堅く杖を握りしめた。

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