「悪」(11)
シジマは構え、腰を落としたまま相手の動きを見ていた。
死霊術で甦った死骸の全てが、緩慢な動きをするというわけではない。基本的に生前の能力を引き継ぐはずではあったが、これまでの経験上、それでは説明のつかない個体もいた。
死体が剣を担ぐ姿は、得体の知れない圧力があった。
彼女の六角杖は、生命力を流しやすいように作られている。破邪というのは、生命力によって死霊術の戒索を解き、破壊する力である。神や聖霊の力を借りるような、都合の良い力ではない。杖はあくまでも、当てて、生命力を流し込むためのただの管に過ぎない。
堅い素材ではあったが、硬化する力も、光線を出す力もない。木の杖では、斬撃を受けることはできない。
無惨な女の姿は、正視に耐えない。それはこれまでよく相手にしていたような腐乱した死体ではなかった。生々しい傷の跡。無慈悲な暴行が通り過ぎた残骸。死霊術師の道具となるために搾り尽くされた肉体。
「楽にしてあげます、とは言えません」
低くシジマは呟いた。死霊術のもっともおぞましいのはこの点である。
これが、よく見知った近親者だったら。愛した相手だったら。かつて笑い合った仲間だったら。
人間は形を保つものに弱い。それがただの、魂の容れ物でしかないということを認められる人間は居ない。魂が去ってしまったそれを、打ち据えて平気なものなど居ない。
そしてシジマは己の旅の目的を思い出す。
剣を担いだ女の死骸に先んじて六角杖を突く。気合は裂帛である。直線、吸い込まれるように胸郭の中心を突いた杖から確かな肉体破壊の手応えがあり、一瞬の間を置いて彼女は破邪の力を流し込む。彼女の蓄えた「徳」、生命力の爆発が可哀想なチェイニーを内側から焼いてゆく。
肉の焦げる臭いがたちこめ、内側から青白い光を放つ女は声にならない叫びを上げた。肉体を崩壊させながらも死体は担いだ剣を振り下ろす。
貫いた杖で繋がったまま、死体の最後の攻撃をシジマは身をかがめて躱す。死体の手から剣はすっぽ抜け、彼女の髪をかすめて背後に飛んだ。
ぐぶっ、と声がする。
数歩の距離、うつ伏せになっていた痩せた男の脇腹に剣が突き刺さっていた。さっきまでは微かに呼吸していたはずだ。剣の生えた根本から、みるみる血が溢れる。
シジマは目の端でそれを確認して、エネルギーを放出する勢いを強めた。女の死体はもう、半分以上崩れている。破邪の力というのは即座に機能するほど万能ではない。汚された肉体を再び焼くのだ。すべてを焼いて浄化するように、ふいごのようにシジマは己の生命を燃やす。
(浄化の御業……見習神官の身にはすぎた奇跡じゃないか。しかし苦しそうだ、何度も続けて使えるものかな)
ねっとりとした念話がシジマの脳内に響いた。そこに一切の苦しそうな様子もない。死霊術師は消えゆく女の死体にまだ宿っているのか。違う。そうではない。
恐るべき予感がシジマを包む。
これは単なる死霊術ではない。
考えてみればおかしかった。死霊術で操られた死骸が、饒舌に喋ることなどない。たしかに他人の死骸をメッセンジャーのように使役する術は存在する。単純な文章を喋るようにされた死体と戦ったことはある。おぞましい精神攻撃としての死霊術師たちの常套手段だ。おかあさん、と呼びながらナイフを振りかざす娘の死体を前に、対処できる戦士はいない。
ただ、どうしたって死体は死体だ。
憑依する術も見たことがある。しかし、おいそれと身体から身体へと乗り移れるようなものではない。
そんなこと、誰も聞いたことがない。遠隔で、なんの代償もなく、死んだばかりのものに即座に憑依し直すなんて、あるはずがない。
そんな死霊術の運用なんて、聞いたことがない。
痩せた男がゆらりと立ち上がった。
己の背中に刺さった剣をゆっくりと引き抜き、無防備なシジマの背中を見つめる目は暗い。すでに死人の、意思を持たない目だ。
あと少し、あと少し。シジマの額に汗が浮かんだ。
振りかぶった男の死骸は、むしろゆっくりと彼女の背中を斬りつけた。
「ウアアッ!」
悲鳴を上げるシジマ。深傷ではない。肩口から斜めに切り裂かれたローブに血が滲む。ようやく完全に崩れたチェイニーの死体を確認して彼女は杖を振った。回転する身体。血と焼け焦げで汚れた女の衣服の残骸が、痩せた男の視界を遮った。
男がそれを振り払うのを待たず、シジマは発光しながら三度、六角杖を突く。襤褸越しに男の腕、胸、喉を砕いた音がする。
一拍置いて、じゅう、と音がしたのは、彼女が生命力で己の背中の傷を焼く音だ。歯を食いしばってシジマはもう一度打ち据える。男の死体が膝をついた。
シジマは血で汚れた顔を歪め、雄叫びを上げた。膝をついた男の斜め上から杖を突き下ろし、もう一度生命力を流し込む。
誰も声を立てない部屋に、彼女の声だけが、がらんと響く。




