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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「悪」(2)

他人のテリトリーに土足で踏み込むのは、決して褒められた行為ではない。たとえ相手が魔物のように見えたとしても、あるいは本当に魔物そのものだったとしても、龍の治める地にあるものであれば、加護を受けた「龍の民」である可能性があった。

龍の国の数少ないルールとして、龍の民は可能な限りお互いを尊重すること、というものがある。ここは戦いだけが全ての修羅の国ではない。まずは会話が、そして相互理解があるべきなのだ。


フランチェスカは相棒のラーフラに目配せして、地下水道の水路に面した古びた扉を開く。


「失敬、よいか」


踏み込んだ彼女が誰何の声をかけた刹那に大きな影が彼女目掛けて跳躍した。跳んだのは小型のムル喰いだ。ムル喰いは8本の足を持つ、毛の生えた肉食獣である。小型と言っても虎くらいの大きさはあり、無論、街中で飼育してよい生き物ではない。


「こちらは、会話をしようと」


フランチェスカは真っ直ぐに剣を掲げたまま、飛びかかってくる白い影に一歩踏み込んだ。空中のムル喰いをそのまま両断する軌道ではあったが、獣も宙で体を捻って躱す。ぱっと白い毛と、赤い血が飛んだ。


「言っているのだ!」


フランチェスカのすぐ左横、ドア脇の壁に着地したムル喰いの顔に当たる部分を、怒気と共に殴り飛ばす。ムル喰いは予想外の攻撃を喰らったようで、受け身も取れずに吹っ飛んで壁の棚を派手に壊した。獣が距離を取るように再び飛び退くと、ぱたた、と血が跳ねる。最初の騎士の踏み込みと鉄拳で、8本ある腕のうち1本を負傷したようだった。


「なぜ貴様ら不逞の輩はいつも、人の、話を、聞かんのだ!」


だん、と壁を叩く音ともに、空気の振動する声量であった。関係のないシジマが部屋の外で首を竦める。フランチェスカが叩いた壁には、ミリ、とヒビが入った。

奥のテーブルで何かを齧っていた男が、椅子から立ち上がろうとした。呆気にとられていたようだったが、緊急事態だとようやく認識したのだ。


「ひ、人の事務所に勝手に入ってきやがって、あんた一体何なんだ」

「届出によれば、此処は礼拝堂であろう。であれば、私も礼拝に来たのだ」

「てっ」

「それに、入ってきて欲しくなければ錠をしろ、錠を」


また一歩進み、フランチェスカは室内を見渡す。

部屋の奥行きが思ったよりも狭い。


地下水道沿いには、旧迷宮施設を利用した隠れ家や工房が一定数存在した。

崩落の危険を考えて、地下施設は基本的に拡張を認められていない。ただ、資料ではこの区画の小部屋はそれなりの広さが確保されているはずであった。


「なんだ、建て増しか。壁を足したのだな」


フランチェスカが相手に聞こえるように呟くと、男は一瞬うろたえたように奥の書棚に目を遣った。おそらくはカモフラージュのために古材を使って奥の壁を建て、秘密の部屋にしているのだろう。書棚を動かすと入り口になる。古典的な仕掛けだ。


外から感じた気配は、人型が少なくとも2、大型のものが1。

見渡す中には、いま口を開いた痩せた男が1人。殴り飛ばされ、戦闘態勢をとったムル喰いが1頭。獣は傷ついた脚を浮かせ、残りの七脚でフランチェスカに飛びかかる隙を窺っている。


「聞きたいことは既に聞いた。これより室内の検分に入るが、その場での処断は行わない。私は龍に仕える査問官ではない。不服がある場合は然るべき機関を通して抗議していただきたい」


言いながらもう一歩、フランチェスカが部屋の中央に踏み込む。物理的な圧が男と、おそらくはムル喰いを押した。テーブルの男は後ずさろうとして椅子の足に阻まれ、ムル喰いは部屋の隅で前脚を構えて動かない。


彼女の二つ名は、“下がらずのフランチェスカ”である。

戦闘が開始される時、彼女は片方の掌を相手に向ける。そして、ほとんどの場合、彼女は後退せず、相手の武器はその掌が作ったラインを越えることはない。籠手で守られた彼女の掌は、ほとんどの攻撃を受け、あるいは弾くのだ。


「な、何言ってんだてめえ、頭イカれてんじゃねえのか!」


男が振り絞るように怒鳴り返したのは、もっともな抗議ではあったが相手が悪い。

すう、と彼にフランチェスカが掌を向けた。


「結構。そのままで結構。少し騒がしくするがくつろいでいてくれてよい。今回はこちらにも非礼があった。今の侮辱は不問とする」

「なに」

「だがな、看過できんのはそこのムル喰いだ。貴殿の生まれた村ではこんな猛獣を室内に放し、あまつさえ扉を開けた人間に襲い掛かるように躾けているのか。危ないと思わんのか!」


大喝しながら女騎士はまた一歩進んだ。反射的にムル喰いが攻撃態勢を取った。あと半歩で獣の射程範囲である。


「貴殿の躾けた獣であれば、この獣の腕をおろさせよ。制御できぬ獣であれば、残念だが秩序維持のためには斬らねばならん。放っておいては危なくてかなわん」


小型とはいえ、ムル喰いはやすやすと人を引き裂く猛獣である。おそらく、男がムル喰いに襲われずに済んでいるのは、獣と主従関係にあるというよりは、何か秘密があるのだろうと思われた。男は戦闘職には見えない。魔術職でもないだろう。

フランチェスカは、男の身体から微かな香木の気配を嗅いだ。昔、密林でのムル喰い避けにカメジャコオンの香木を持ち歩くと聞いたことがあった。これがカメジャコオンの香りなのだろうか。


だが、香り程度でこの狭い室内、人を襲う獣を避けていられるとも思えない。フランチェスカはしばらく考えていたが、すぐに止めた。

ムル喰いは暴れるようなら殺せばいいし、目の前の男に尋問するなら動けなくしてから尋問すればいいだけの話だ。その際にムル喰い避けの秘密も聞き出せるかもしれないし、それでいいだろう。


目の前の男がムル喰いを完全に制御できていないのにかかわらずこの部屋にいたのだとしたら、男のほかに管理者がいるということであり、それは無視するには少し大きな問題だった。おそらく、その管理者は確実にムル喰いよりも数段強い。その誰かははたしてこの奥に控えているのか、奥に控えているとすればなぜ今、出てこないのか。


「姉さん」


フランチェスカの背後からシジマが部屋に足を踏み入れた。ムル喰いがぴくりと反応する。


「駄目だ。危ないから私が片付けるまでは外で待つように。あと私は貴女の姉ではない。ダンバーズ!彼女を、外に」

「そのムル喰い、過去に人を、人を食べてます!」


叫んだシジマは杖を構えて、フランチェスカの掌の守護範囲から一歩、踏み出した。

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