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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「悪」(1)

赤襟一族の客分、女騎士フランチェスカ・ピンストライプは、目的の扉の前で籠手を嵌めなおした。彼女は一族の血縁ではないが、渡世の義理から赤襟一族に身を寄せている。階位は、彼女が客分のために正式なものではないが、現在空位である六位相当ということになっている。

きちんと結い上げて纏めた金髪に乱れはない。装備の乱れは心の乱れ。勿論、すぐに死ぬ予定はなかったが、もし死ぬ時が今日だとしたら、きちんとした格好で死にたい。


彼女は背を伸ばして大きく息を吸い、少し止めてから吐いた。


ドアを挟んだ反対にいる相棒、ラーフラ・“ザ・ギフテッド” ・ダンバーズと目が合った。彼は首元までしっかり止めた黒の軽鎧姿だ。紺の口布。人差し指と中指を抜いた手袋を嵌め直し、彼も小さく頷く。ラーフラは戦闘職ではない。主に彼が担当するのは“探索者”としての仕事だ。敵は、フランチェスカが全て請け負う。


振り返ると、護衛対象が杖を真っ直ぐに立てて彼女を見ていた。背筋の伸びた白い巡礼装束、短く黒い髪。まだ年若い娘だ。名前をなんといったか。ああ、そうだ。シジマ。確か、シジマと名乗った筈だ。


フランチェスカは、己だけは死なないと思っているわけではなかったが今夜も恐怖はなかった。戦闘が怖い、と最後に思ったのはいつのことだったろうか。


彼女の経験上、近距離戦闘で一番傷を負いやすいのは手指である。

彼女自身も戦闘になった場合はまず相手の指を狙う。大抵、ひとは身体の前に手を置く。

斬りかかってくる相手の身体のうち、もっとも最初に彼女の間合いに入るのは、その手指だ。間合いに入ったものを、順番に斬ってゆけば大抵はことが済む。最初に両の指を落としてしまえば、もう相手は武器を持てなくなる。考えようによっては、もっとも血の流れる量が少ない決着といえる。少なくとも“その先、どこまで続けるか”を選択する権利を彼女が選べる点で、よりよい決着点だと彼女は考えていた。


一撃必殺、急所を狙う戦い方を彼女は信用していなかった。相手を殺しやすい間合いは、裏を返せば殺されやすい間合いということだ。己の強さに自信を持つものほど、少ない手数で、より武器の損耗の少ない形で相手を倒すことを好むが、実際の戦闘でそう綺麗にいくことは稀だ。


たとえ相手が格下であっても、命を懸けた戦闘はいつだってそうだった。一撃で相手を殺すこと自体を目的にしてはならない。致命傷ではなくてもいい。傷をひとつ、またひとつ、着実に積み重ねていくことだけが重要だ。傷は、出血と共に体力と戦闘力を奪ってゆく。下がった戦闘力の差が一定以上になると、実質、そこが決着点となる。覆せない戦力差のついた状態でそのまま戦闘が継続されれば、近い未来に覆せない決着が訪れる。死である。


彼女の戦闘スタイルを支えているのが、名工の手による籠手であった。一見華奢な造りに見えるそれは隕鉄で鍛造され、指関節が自由に動くよう特殊な構造をしている。掌、そして手首から肘までをしっかりと包むベースプレートは古遺物のアーティファクトから移植したもので、外見からは想像できないくらいの強度を誇っている。まさしく堅牢なる城門の籠手であった。


「……」


彼女は細剣を抜いた。飾りの少ないそれを掲げ、彼女は祈る。正確には「祈ったふり」をする。彼女の心の中に神はいない。斬り合いは殺し合い、殺し合いこそがシンプルだ。


藁が駱駝を殺す、という諺がある。

駱駝の背に藁を一本ずつ載せてゆくと、どこかの時点で重みに耐えきれなくなって背骨が折れ、駱駝は死ぬ。駱駝を殺すのは、最後、一本だけ載せられた藁なのだ。

同じように傷の積み重ねだけが戦士を殺す。長い戦闘の中、運悪く避け損ねて致命傷になったように見えるかもしれないが、それは最後の一本の藁と同じなのだとフランチェスカは考えていた。斬り合いには必殺の剣があるのではない。

騎士の振るう剣は、最初から最後まで、全て藁の一本なのだ。


自身の強さにはある程度の自信を持っていたし、その剣技は華麗といってもよい腕前にあったが、彼女はあくまでも戦闘とは「そういうもの」だと考えていた。彼女は無傷にこだわるのではなく、死なない、ということを重視していた。実力が拮抗していればいるほど、初撃が重要になってくる。小さな傷が最初に薄く開けた戦闘力の差は、指数関数的に運命をひらいてゆく。


今、三人が窺う部屋の中には、確かに何かの気配がした。

邪悪な何かの気配だ、とシジマは言ったが、フランチェスカにはよくわからなかった。気配が彼女に伝えてくるのは、対象の重さ、大きさ、熱、そういったものだけだ。中にいるのは、人型のものが少なくとも2人、あとは四つ足の、おそらくは重量のある獣。


彼女は白衣の巡礼者にちらりと目を遣った。持っている杖は、見るからにしっかりとしたつくりである。まっすぐなそれは、明らかに魔術用のそれではない。おそらくは武器だ。それなりに腕に自信はあるのだろう。シジマの佇まいにも、恐怖は存在していなかった。


フランチェスカの今夜の仕事は、シジマの護衛だった。

聞くところによると、この、使われていないはずの地下礼拝所に、よからぬものが巣食っているのだという。

シジマの目的は、三つ。

礼拝所で行われている儀式だか礼拝だかの内容を確かめること。そして、それが“あまり好ましくないもの”だった場合、なるべく速やかに止めさせること。場合によっては荒事になるかもしれないということ。

どうしてよその国でそんな面倒なものに首を突っ込むのかとフランチェスカが尋ねると、シジマは涼やかに笑った。


「邪なものをたくさん滅しますれば、それだけ『徳』が…貯まりますので…」


シジマは、巡礼の旅、聖地に辿り着くまでの間に可能な限り徳を積みたいのだという。旅した先々で善行を積み、魔を退けて、徳を積み上げるのが彼女たちの巡礼行なのだそうだ。


フランチェスカの知っている「徳」というのは具体的な行動でいちいち増えたり減ったりするものではないような気がしたが、指摘するのはやめておいた。誰だって、自身の行動には指針がほしいものだ。「徳」を積み上げて、その先になにがあるのか。興味はあったが追求すべきではないと思った。たとえばそこには、何もなくたってもいいのだ。

自身の信じる何かが、確かにそこにあると信じられさえすれば、ひとは立っていられるのだ。


シジマの目指す聖地がどこにあるのかもフランチェスカは尋ねなかった。人には目的が、ゲームにはルールが、それぞれの姿の輪郭を形作っている。


そして今、目の前には、おそらく、戦闘が彼女を待ち構えている。

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