「敵、敵の敵、敵の味方」(16)
「これを遺族に返しに行くって、そこそこクレイジーだけど、言われてみると正しいね。捨てるわけにもいかない。私たちには要らないけど、誰かにとってはとても大事かも知れないもの。それを、蛮族相手に理解してもらえるかは疑問だけど、いいよいいよ、手伝おうじゃない。頭おかしくて楽しくなってきた」
プラムプラムの少し掠れた甘い声であった。ハニカムウォーカーは首だけでお辞儀をして、椅子の上に膝を抱え、少し体を丸める。まるで夢の中にいるように呟きながらプラムプラムは、とろん、と入口の方を振り向いた。
「で、お前誰なの」
ずぶ、と言葉が走る彼女の視線の先、入り口の扉の暗がりに影があった。
「いつから居たの」
問い掛けながらプラムプラムはワークパンツの腰袋から何かの魔道具を抜いた。声から甘さが消えた。メアリ・ハニカムウォーカーは椅子に座ったままだ。声をぶつけられた影は、やがてもそもそと動くと、暗がりで人の形になった。
人影は、ぬるりと立ち上がる。
褐色の肌。狩人風にまとめている白い髪。少しうねった前髪が垂れて、とがった長い耳には片方だけまるいピアスが揺れていた。
艶めかしく、ぺろりと唇を舐めてそのダークエルフは笑った。
「さあて、いつからでしょうねえ」
彼女の羽織る暗緑色のマントには隠形の魔法でもかかっているのだろうか。立ち上がる衣擦れの音すら、二人には聞こえなかった。強烈な殺気があるわけでもないがこのタイミングだ。赤襟からの追手と考えるべきだろうか。ハニカムウォーカーの表情はいつにも増して読めないが、片手はしっかりと腿のナイフホルスターにかけられている。何かあれば応戦する用意はあるようだった。
「とりあえず動かないで」
プラムプラムがぴしゃりと告げたが、相手は何かを呟きながら首を振って一歩、明かりの下に踏み出そうとした。警告を無視したダークエルフが一歩目をおろす寸前、かかとが着くか着かないかの刹那、一瞬明かりが消えた。
闇の中、プラムプラムが魔道具で指すと、暗い天井が開いて何かの塊が、ぶん、と勢いよく真上から直撃した。派手ではないが、衝撃がうちにこもった鈍い音がした。
声も上げずにダークエルフは倒れる。直撃のシーンだけを闇に隠し、明かりは復旧した。うつ伏せに、ひしゃげるように倒れた彼女の上でぶらぶらと揺れているのは、天井に開いた仕掛け窓から吊るされた丸太の塊だ。
「だから動くなって言ったのに」
溜息のように呟く店主は、しかし、有効に作動した罠を満足げに見ている。暗殺者は目を丸くしていた。
「ちょっと、怖くない?この店。飲食店でしょ。何で入り口にあんな罠仕掛けてあるの。うわ、痛そう」
「あたし友達も多いけど、敵も多いのよ。戦闘職じゃないからってナメられるのも好きじゃない。この店の中でなら多分、あたし誰にも負けないと思うよ。文字通り、あたしの城なんだから」
「……生きてるかな」
「生きてるでしょ。殺すための罠じゃないし」
生きているらしいダークエルフの手がもそもそと動くと、今度は、すと、と音を立ててその掌の外に細いナイフが生えた。違う。生えたのではない。暗殺者がナイフを投げたのだ。やや斜めに突き刺さったそれは、ダークエルフの左手を床に縫いとめている。くぐもった悲鳴。
「ちょっと!」
プラムプラムは叫んだが、それはもしかしたら得体の知れない侵入者を傷付けたことではなく、木目の床に傷をつけたことを責めているのかも知れなかった。先程の罠も、単に重量のあるものであれば落とせばいい筈なのにわざわざ吊るしているのは、床に落として店の内装を傷付けないようにしているのかも知れない。
咎めるように文句を続けようとする彼女の横を、ふわ、と飛ぶようにして暗殺者の身体がかすめて跳んだ。
着地して、侵入者を制圧しようとした膝が空を切る。倒れていた筈のダークエルフが、縫い止められたはずの左手が、砂が崩れるようにぼろぼろと輪郭を失くした。
「うわっ、なんだこれ、ぺっ」
空振った暗殺者がバランスを崩して、ダークエルフの身体だったものに手をつく。手をついたところから燃えかすが灰になるようにして輪郭が崩れた。ダークエルフの姿は、もう、床にはない。ナイフだけが床に残った。
「さっきのメアリの話、分かったよ!」
プラムプラムは大きな声を上げた。
「確かに先に手を出したけど、こういうの、正当防衛だと思う!」
部屋全体が見渡せる位置取りをするため、窓際に飛び退いてプラムプラムは額のゴーグルをおろした。正六階級の三眼鏡、彼女自身によって改造を重ねられた、宝物級のアーティファクトである。




