「敵、敵の敵、敵の味方」(6)
「私も何度か試したんだけど、さすがに龍の国。牢獄自体はすごく頑丈。さすがは契約魔術ね。誓約を組み込まれて、どうやっても物理では逆らえないようにできてる」
すっかり破壊しきった隔壁を乗り越え、ソフィアはもとからグラスホーンの房の住人だったような顔をしている。牢獄とはいえ、宮廷の地下である。破壊さえされていなければ綺麗でそれなりに広い。
無事な側の壁に凭れ掛かり、グラスホーンは腕組みをしている。
彼の頭にあるのは一点。目の前の女性は、果たして正気なのだろうか、ということである。龍の国においてどこまでを「正気」とするのかは難しい問題ではある。住み着いて随分が経つ彼にとってもどこが常識の中心なのか判らないところがある。喧嘩が始まったことは理解できても、その理由までは理解できない場合が、この国では多い。
入牢して一時間も経っていない。彼がまだ触ってすらいなかった寝台へ腰掛けていた彼女は、自分をじっと見つめる彼の視線を何か誤解したようだった。
「ああ、ごめんなさい。勝手に座ってしまって。でもこんな硬いベッド、一晩だってマクヘネシーさんにはふさわしくないわ」
「いや、そうじゃない。目が悪いから何をしているのかよく見えなくてね」
「これですか?この先、多分必要になるから作っているの」
ソフィアは、隣の部屋から持ってきた自分のシーツを裂いて、何かを作っているようだったが、作業ももう終盤に差し掛かっているようだった。
「しかし不思議な国ね。誓約が何よりも重いって」
「まあ、龍と人が同じ土地に暮らすというのは、きっとそういうことなのだと思う」
「解ります。私だって、神に仕えるものの端くれ。大いなるものは、人の形をとりませんものね」
聖職者なのか。グラスホーンは言葉の端から情報を拾い取り、相手のステータスを更新する。しばらくして作業を終えたソフィアは寝台から降りて、グラスホーンを見つめた。
彼の視力ではその微妙な表情は判然としない。
袖の部分がふくらんだ薄いグレーと水色のローブだ。だらんと前が開いており、中に着ているのは簡素なワンピースのようだった。聖職者というには少し砕けた格好である。ローブが儀礼につかうものなのかどうかは判別できなかったが、丈が短い事もあって、それほどかしこまったものではなさそうだ。
「もう少し、そちらに近づいても?」
「いや、レディ、やめておこう。聖職の方ならばなおさらだ。節度のある距離を」
「フフ」
「あと、誤解されているといけないのだが」
グラスホーンは言葉を切る。
刺激しないように観察していたが、ソフィアが所謂「脅威」に属するのかどうかまだ判断しかねていた。距離の縮め方が激しいのは、おそらく性格と呼べる範疇のものだろうとは思う。その底に悪意は感じない。むしろ、強すぎるくらいの好意を感じるものではある。話している内容も、鉄の魔女について話すときの調子は少し強いものではあったが、そこまで理屈に合わないほどではない。
ただ、いきなり壁を解体するというのは狂気の域と言ってもいいのではないか。龍の国においても「普通」や「無害」ではない。素手で壁を解体するような相手である。彼女を怒らせてしまった場合、自分までが解体される可能性が残っていた。牢獄に看守は常駐していないのだ。
グラスホーンは慎重に言葉を選ぶ。
「あなたも、おそらくは秩序を大事にするタイプだと思うんだ」
「ええ、勿論ですとも」
「僕は、確かに不当にここに叩きこまれたと思っているが、悪法も法、という言葉がある」
「わかるわ」
「特に、これまで契約魔術の研究を仕事にしてきたからね。自分で行った誓約は、破りたくない」
「ええ、ええ」
見たところ、ソフィアはグラスホーンの言葉に納得はしているようだ。本当は、脱獄なんかに巻き込まないでくれと言わなければならないところだったが、直接的にそれを告げて大丈夫かどうかには確信がなかった。
しかし、それでも理解してもらわなければならない。
「確かに、永遠にここに住みたいと思ってるわけじゃあないが、僕は今のところここから、今すぐに、乱暴な方法で出るつもりはないんだ」
「あら!まあ!」
ソフィアが大きな声を出し、グラスホーンは反射的に身を竦めた。ソフィアはころころと笑った。
「心配しないで、大丈夫よ。罪は全部私が被るわ。私があなたを攫う、って形をとるんだもの」
話がどんどん不穏になってきた。




