「敵、敵の敵、敵の味方」(5)
「今、ええと。……何だって?」
「いま、脱獄することに決めたの、私」
グラスホーンは目をつぶって、息をついた。正気じゃない。
「違う。よく聞こえなかったわけじゃない」
「マクヘネシーさん、私、決めたら突き進む女よ。あなたの事情はまだお聞きしていないけど、あなたみたいな立派な方まで投獄されるのは間違ってると思う」
「あの、ちょっと」
「壁から離れていていただける?」
嫌な予感がして、グラスホーンは制止しようとするより先に壁から離れた。
どご、と鈍い音がして壁が揺れた。打点はおそらく、腰の辺りの高さである。
「レディ、ウェステンラ」
「マクヘネシーさん、この牢獄には、致命的な問題があるのよ」
「そうじゃない、君は」
「平和的に解決しようかと思ってたけど、やっぱり間違っているものは間違ってる」
息継ぎの合間に、どご、どご、と音は続く。衝撃を受けて明らかに壁がたわんできた。やめろ、と大きな声を出そうとした刹那、壁に穴が開いた。ごん、と欠片が壁から剥がれ落ちて煙を上げた。
「ごきげんよう、マクヘネシーさん」
絶句しているグラスホーンに構わず、ソフィが穴を壊しながら広げてゆく。打撃音は魔法などではなかった。ソフィはその拳と、脚で壁を破壊しているのだ。やがて人が通れる程度の穴をあけ、ソフィは上半身をのぞかせた。
「初めまして。ソフィアです。マクヘネシーさんは想像してたよりずっとハンサムなのね」
グラスホーンは目を細めた。土煙はそれほどひどくはないが、眼鏡を取り上げられているせいでぼんやりとしか見えなかった。うっすら見えるのは、薄い水色のシルエットだった。
グラスホーンの視力ではその姿をはっきりと認識できていないが、彼女の自己申告通り、ヒューマンの少女だった。少しだぶついたローブを羽織っている。捲った袖から覗く腕は細い。年の頃は20に届くかどうかという頃だろうか。声色ほどその表情は幼くはなかった。
ややうねっているが柔らかそうな長い髪を、指で巻きながら彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。
「疲れているし、ろくにお化粧も出来ていないから少し恥ずかしいですけど」
語る通り、化粧っ気は薄かった。顔色もあまりよいようには見えない。色が白く、眼の下には少し隈が強い。見たところ胸も、腕も腰も細くはかなげに見えるが、いきなり素手で牢獄の壁を破壊してのけた相手である。正気かどうかも疑ったほうがよいような気がした。とにかく刺激したくない。強く思いながらグラスホーンは目を擦った。
「その、申し訳ないんだが、目が悪くてね。眼鏡を取り上げられたからあまりよく見えないんだ」
「本当?嬉しい、って言ってしまってはいけないんでしょうけど、ちょっと嬉しい」
「それより、なんて言ったらいいのかな。さっきは、脱獄するつもりだって聞こえたけど」
「そうよ」
「だとしたら、ああ、気を悪くしないでほしいんだが、破る壁を間違えたのでは?」
身体をひっこめた後、がん、とさらにソフィが壁を破壊し、グラスホーンは反射的に身体をすくませた。
「ごめんなさい、驚かせるつもりじゃなかったの。でも、間違えてないわ」
「レディ」
「マクヘネシーさん、私たちは"二人で"脱出するのよ」
グラスホーンは、自分の喉から変な音が出るのを聞いた。




