「敵、敵の敵、敵の味方」(2)
「ねえ……新入りだよね」
隣の牢だろうか。細い声が聞こえる。心細そうな、少女のような声だ。
グラスホーンは返事をしなかった。ハニカムウォーカーと遭遇した時と違って、猿轡は咬まされていなかったが、やはり後ろ手に縛られていた。暗殺者が縛ったものとは少し違う、金属素材のその拘束は、牢の扉が開かなくなると同時に外れるという。
看守が去り、まだ枷が外れるまで時間があった。
龍の国の地下牢の仕組みは奇妙だが合理的だ。錠と枷が連動しているのだ。
入牢者が自らの意思で両手の枷を付けたままでいることを選択すると、牢の鍵は開く。牢が開かなくなると枷は外れる。枷が外されると牢は閉じる。
収監される際にのみ、特別な手続きで檻は開く。牢の内部で、当人が拘束されている間に関しては特に牢としての機能を満たさない。
この国において、牢というのは刑罰の為には存在しない。基本的には龍の国に懲役、労役、拘束刑というものは存在しない。龍との誓約の中に、ひとの言葉を喋るものをその意に反して地に繋いではならない、というものがあるためだ。
龍の国では、言葉、というものは重要な概念である。
誓約と矛盾しないようにするため、拘束刑が存在しないこの国では有罪の場合、基本的には死罪だ。
最も、ほとんどの場合揉め事はそこまでこじれることは少なく、その前の段階で当事者同士の示談や決闘が行われる。この国においては、ある程度のところまでは「強さ」で決着がついてしまう。
相手の死罪を望む程の対立でない場合や、決闘で済ませようとするには双方の実力差が著しい場合など、ある程度公平に調整するためにこの国では調停院が存在する。勿論、調停院の調停を担保するものもまた、武力である。
「ねえ……聞こえてるんでしょ…?…返事してよ…」
おそらくは少女の声が、グラスホーンに絡みついてくる。それは少し妖艶といってもよい声だった。グラスホーンは目をつぶった。
この国において牢というのは、基本的には調停院の判断に余るものや、隔離することが必要なものを一時的に「保護」する場所であった。
誓約により、たとえ罪人であっても、肉体的な束縛を与える場合には決して獣のように地に繋いではいけないということになっている。この国に牢を用意するための論理としては、つまり、自由意志による入牢であるという形式を経る必要があった。これが先の牢の仕組みに繋がる話である。
つまり、この牢の中にいる、というのは入牢者の意思である、という理屈が必要なのだ。入牢者は、自らの身体拘束を解くことが、そのまま牢の鍵を閉じることになるという結果を受け入れて、拘束を解き、そして牢の住人となる。牢の鍵は拘束具と連動しているため、牢から出るときには自らの意思で身体拘束を受け入れることになる。
奇妙なところで、この国は個人の自由意志というものを重視する。
グラスホーンが黙っているのは、声の主が誰なのかわからないということもあったが、このシステムのエラーを知っていたからだ。拘束が解けるまでの間、牢の入り口は開いたままである。
聞こえてくる声が、万が一、隣に収監されているものでなかった場合、彼はどうしようもなく無防備な姿を晒すことになってしまう。自身がこの牢に放り込まれることになった経緯を考えれば、彼が警戒するのも無理のない話であった。
グラスホーンは目をつぶったまま、秒数を数えた。
28秒が過ぎた時点で牢の扉が閉まり、彼の身体は再び自由を取り戻した。




