「緊張と弛緩」(13)
ずぶ、と、魔法の刃はロイヤルガードの頸に吸い込まれた。
悲鳴は上がらない。肉の焦げる音もしない。属性は触媒の種類に準拠する。斬れ味は魔力の質に準拠する。無色の光は肉を焼きはしない。しゅうしゅういう音と共に、オゾンのような臭いが立ち込めた。ばたばたと何かを探すようにロイヤルガードの腕がもがいたが、はね退ける力はなかった。
グラスホーンは、奇妙なほど冷静な自分に驚いていた。飛びついた時は、折れた頸の異様な姿がそれを怪物のように感じさせていたが、眼下に映るのは、うつ伏せの男の頸へ、致命傷になりうる魔法の刃を突き立てている自分の両腕である。
ずぶずぶと刃が沈んでゆく。
一瞬だけ身体が激しくばたついた。刃が脊椎を切断したのだろう。数瞬後、刃先が床につく頃にはロイヤルガードは完全に動きを止めていた。
そして、とどめを刺したペーパーナイフの柄へ、光の刃が収納されていった。魔力の供給を止めれば、魔法の刃は元の触媒に戻る。光を失った得物を左手に下げてグラスホーンは深く、深く息を吐いた。
「ナイス…キル…」
苦しそうな声がした。振り返ると彼女は書棚に掴まり、ようやく立ち上がる所だった。
メアリ・ハニカムウォーカーは荒く息をついて、殴られたこめかみを押さえている。
「……助かったよ、グラスホーン」
離した手の平を見て、流血していないことを確認した彼女は、もう一度大きく首を振る。
「しかし、さっきのはハードな一撃だった。まだ足に来てる。見てのとおりわたしは華奢だからね。そうそう打たれ強いほうではないんだ。しかし全く油断してしまった。だって、考えられるかい。首をねじ切ってやったやつが音もなく起きてくるなんてさ。久し振りに"死ぬほどびっくり"したよ」
足に来ているというだけあって、暗殺者はよたよたと辛そうに近寄ってグラスホーンの肩を手を置いた。
グラスホーンは、まずはあなたが無事でよかった、と呟き、それから茫然と続けた。
「……やってしまった」
「ああ、そうだね。なんていうか、これで君も言い訳できなくなってしまったね」
暗殺者は、同情的な声を出すもののいまひとつ調子が軽い。あまり気にした風もなく、しゃがみこんで死体を調べ始めた。
これは、文化の違いというものなのだろうかとぼんやり考えた。暗殺を生業とする彼女は、自分と比べて殺すということについての捉え方が少し違うのかも知れない。グラスホーンにとっては、人間の、というより、動いている大型の生き物の頸に刃を突き立てるというのは初めての経験だった。
だが高揚もない。達成感もない。おそれも、後悔も、不快感もない。
そこには何もなかった。
さっきは夢中で、相手の動きを止めるためになにをすればいいのか、確実に行うための選択肢が他になかったと思っていたが、改めて、もっと他に何かがあったのではないかと考え始めている自分がいた。
ショック、というのとも少し違う。ひたすら現実感がないのだ。
ロイヤルガードを殺害してしまう、という"取り返しのつかない衝撃"自体は、言い方は悪いが、一度目に暗殺者が頸を折った時にもう経験してしまっていた。二度目、自分が直接的な行為者になってしまったというのは大きな問題ではあるが、はっきり言うと「インパクトが薄い」。
相手が、どう見ても人間ではない動きをしていたというのもあるかも知れない。
それは自分の感情の振れ幅が少ないだけなのか、それとも、もともと人を殺すのに抵抗がない素養があったということなのか。情報量の多い今夜の出来事が感覚を麻痺させているだけなのだろうか。
自分の人間性について考え始めた彼をおいて、暗殺者が今度は、すんすん、と死体の臭いをかいでいる。しゃがんだまま、振り返らずに彼女は続けた。
「わたし的には、これは、ノーカンだよ」
「カウントされない殺人なんてものは、ない」
「そうじゃない。本当にノーカンの可能性があるんだ。刺した感じ、なんか変じゃなかったかい。手ごたえというか、感触というか」
「初めての経験だった。感触の違いなんか判らない」
「そう怒るなよ」
いなしながら、彼女は腿のホルスターからナイフを抜いて、倒れている兜の頭頂を掴む。思わずグラスホーンは声を上げた。
「なにしてるんだ!」
「いや、もう二度と起きて来ないように、確実にしておこうと思ってね。あと、仮説の検証をさ…って、君が太い骨を斬ってくれてるからずいぶん楽だ。スムーズ。シンプル。共同作業。ンフフ」
軽口を呟きながら、ごりごりと頸に刃を入れて、斬り落としてゆく。
「やめろ、そんな、死者に対する、やめないか、だめだ」
「そんなことよりグラスホーン。わたしの手元を見て、なんか変だと思わないかい」
「……?」
「クリーンな作業、クリーンな手元」
完全に頭部を切り離した彼女の手元は綺麗だ。足元にも、ほとんど血だまりが出来ていなかったのだ。




