「緊張と弛緩」(11)
「ちなみにわたしが一旦距離を置くつもりで脱出していたら、君は、今頃たぶん殺されてたと思うよ」
ぽん、と彼女が明るく言ったのは、結構衝撃的な一言だった。
「なぜ」
「理由は判らないけど、状況からの判断さ。だって、半分くらいは君の“料理”は終わっているはずだったんだよ。その仕上げをこいつがやったとしても、"わたしのせい"に出来るじゃないか。こいつは、わたしを追いかけて、なんとか捕まえようとしたんじゃない。逆だ。わたしを追って、追い出そうとしたんだ。首尾よくわたしを追いだした後、君を親切に救護してくれたとは思えないなあ」
グラスホーンは目をつぶる。痛みは残っていなかったが、相変わらず酔ったような不快感が残っていた。
「納得いかない顔だね。じゃあ、えーと、ちょっと見てみようか。ほら。やっぱりだ。ドアを破る準備はしているのに包帯も血止めも何も持ってない。……あ、なんか分からないけど毒みたいな薬瓶はあるよ。調べてみないと分からないけど、ドロっとしてる。これ、貰っておこうか。まあ、ともあれ中で何が起きているのか判っているのに手当の準備をしてないって、普通に考えてどういうことだと思う?」
しゃがんで死体の腰袋を探る手を止め、彼女はもう一度考えるような顔になった。
「ひとつには、そもそも君は関係なくて、狙いがとにかくわたしだったということ。ただこれは考えにくい。信じてもらえないかもしれないけど、この国でわたしを殺さなければならない事情のある人はいなそうだというのもあるし、そもそもわたしを殺そうとしていたなら、襲うのは『今』じゃあない。それに、もしわたしを殺すつもりなら、少なくとも窓の外にもう最低でも一人は伏せておくべきだ」
遠くを見るような目で窓を眺め、そのまま立ち上がる。
「となると、やっぱり狙いは君だったんじゃないかなというのが妥当なところなんだけど、どう?心当たり、ある?」
グラスホーンが首を振ると、彼女も残念そうな顔になった。
「状況から考えると、リィンお嬢様しかいないような気もするんだけど、なんか引っかかるんだよな」
「引っかかる?」
「これを仕組んだのがリィンお嬢様だとしたら、こんな回りくどいことをするだろうか。痛めつけるために暗殺者を雇っておいて、念のためにロイヤルガードを買収して、とどめを刺す?それならシンプルにわたしに殺しまでを依頼すればいいだけの話じゃないか。もしそうだとしたら、君、一体ほんとに何をやらかしたんだって話だよ」
冗談なのか本気なのか、彼女の口調からは読み取れなかったし、そもそもグラスホーンにとって今夜の出来事は、情報量が多すぎてキャパシティを超えている感がある。
「ちょっと……ちょっと待って欲しい」
グラスホーンは頭を抱えた。
窓と扉が壊れた。
そうじゃない。
部屋に死体があるのだ。
彼は少年騎士を殺した犯人を捜すより先に、なぜ、自分の部屋にロイヤルガードの死体があるのかを弁明しなければならない。ことによると、二週間前の少年騎士殺しとの関わりについて疑いをかけられる可能性もある。
そのどれについても彼は関わっていないとも言えるが、それを信じてもらうことは、冷静に考えて難しい気がした。
「一体僕は、どうしたらいいんだ」
「こんなことなら、殺す前に少し話を聞いておけばよかったね」
決壊寸前のグラスホーンと対称的に、まるでたらふく食べた後、お腹一杯になる前に甘いものも頼んでおけばよかった、というような調子で彼女は呟いた。
死体の傍に立ち、本棚にもたれかかる。
「ところで、これは正当防衛だとしてさ、さっきの薬瓶を拝借すると扱いとしては強盗殺人ってことになったりするのかな。この国ではただの辻斬りより、物盗りのほうが罪がぐんと重くなってるとか聞いた覚えがある。まあ今更ではあるけど、返しておこうかな。もっとも、君が出頭するつもりなら、ということだけど」
「僕が……出頭…?」
「だって、さすがにこのままにはしておけないだろ。ここは君の寝室で、死体はほっておけばすぐ腐る。掃除しようにも道具もない。場所もない。そもそも宮廷内でロイヤルガードを始末してしまったらさすがに足がつく。信じてもらえるかは怪しいけど、一応、ありのままを告白しておいた方がいいんじゃないかな。あ、なんなら、弁明しやすいようにもう一度君のこと、縛り上げておいてあげようか?」
さっきまでとは別の原因で目の前がぐらぐらしてきたグラスホーンは、信じられないものを見た。衝撃のあまり、声が出ない。彼は、口をぱくぱく開けて、指をさした。
「ん?」
メアリ・ハニカムウォーカーの背後で、魔法鎧を着たロイヤルガードが折れた首のまま、すう、と立ち上がったのだ。




