「緊張と弛緩」(8)
「オーケー、パトリックノーマンマクヘネシー」
メアリ・ハニカムウォーカーはそのまま両手を上げた。
「異論はないよ。君の依頼を受けよう。わたしの言いたいことを、君より理解してくれる人というのは、この宮廷の中には居なさそうだしね。全く、長く喋りすぎてしまった。たしかに依頼を受けるにあたって、依頼主の追加オプションを聞き入れないと言うのはフェアじゃない。少なくともわたしは、柔軟性が売りの掃除屋だからね。わかったよ。原則としては殺さない。それでいい」
「原則としては……?」
「だってそうだろう、相手がこちらを殺す気で襲ってきた場合、返り討ちにしたらわたしが契約違反になっちゃうんじゃ困るじゃないか」
「……たしかに、それは、まあ」
「まあ、わたしとしては激昂してこちらを殺す気で来てくれた方が嬉しいけどね。アレだ。わたしはアレがやりたいよ。『もう観念しろ!』って君が指を突きつけてさ、相手は『お前さえ消せば真相は闇の中…!』ってなってる所に横から『えい!』そして『ぐわー』ってやつ」
暗殺者はまあまあ楽しそうにしている。おそらく、もうすでに彼女の中では想定していた交渉は終わっているのだろう。
「次、細かい条件の設定に移ろう」
「条件」
「そりゃそうさ、これは仕事だろ。御給金を貰わないとわたしはアパートの家賃が払えない。仕事にはゴールがあって、ゴールに向けて色々な工夫を積み上げてゆくんだ。知らないのかい?模様替えが目的なのか、不用品の処分が目的なのか、何日でやるのか、捨ててはいけないものはなんなのか。分からないと掃除はできないんだよ。子供でもわかる」
まくしたてられて、今度はグラスホーンが名状し難い表情になった。
「なんだか、うまく利用されてるような気がしてきたな。さっき僕は殺されかけて、それを種にあなたは報酬を得る。そして今度は、あなたの希望を叶えただけなのに、お金まで請求される」
「ここでは、子供が、殺されてる」
「そうだ。その犯人に報いを受けさせるべきだという気持ちには変わりはない。一度口に出した以上、今更依頼を取り消すつもりはないよ。ただ……なんとなく釈然としない」
「まあ、わかる気はするね」
グラスホーンは、金額交渉に渋っているのではなかった。まだ少し、測りかねているのだ。彼は、まだ彼女が自分のことを疑っているはずだと考えている。
メアリ・ハニカムウォーカーが本当に、相手が嘘をついたときの反応と本当の反応の違いを嗅ぎ分ける能力を持っていたとしても、まだそれは「彼が関与している」ことを捨て切れていない段階のはずだった。
彼女が自分で言った通り、グラスホーンが、リィンとの揉め事と少年騎士殺し両方への心当たりを隠しているか、両方ともに無関与なのか。その選択肢をまだ、確定できていないはずなのだ。
彼は、少なくとも少年騎士殺しについては潔白であったし、それを信用して欲しいとは思っていたが、暗殺者の心中は全く読めなかった。彼女の屈託のない笑顔は、仮面ではなさそうだったが本心が読めないと感じる。
どう切り出したものか。
彼は考える。成り行きで口に出してしまったが、宮廷会議の奥に手を伸ばすことになるなんて考えてもみなかった。彼も龍の国の一員である。自分の身を守ること程度のことならば、ある程度の技量があると自負していたが、上を目指したことはない。争ってみようと思ったこともない。彼は穏健なタイプのエルフだった。
それにしても宮廷会議である。
噂を聞く限り、宮廷会議は魔人の集まりであった。前大臣は邪竜の召喚術に手を染めて逐電したという。今期にも、仮面をつけた魔女や死霊術師など、見た目からして明らかに真っ当ではないメンバーが席に連なっている。贔屓目に見て伏魔殿である。
しかし、もう始まってしまった。始めなくてはならなくなってしまった。少年騎士ヴァレイとは、何度かお茶に招待した程度の関係でしかなかったが、記憶には残っていた。
そして、グラスホーンとて自身の身分や仕事と比べ、それが「面倒の種」だとしても子供の死を見過ごすことは許せないとは感じている。
ならば、パートナーである暗殺者とは少なくとも、最低限の信頼関係を結んでおきたい。この先は、どこにどんな罠があるかわかったものではないのだ。それに、誤解から彼女がいつ敵に回るかもわからないのでは困る。
「でもまあ、まずは金額の話をしようか」
暗殺者は砕けた調子で、ひょいと卓の上に腰をかけた。彼女はそこまで背が高くない。卓の天板からは少しだけ、爪先が浮く。
「犯人を殺すだけなら、正直銀貨5枚くらいでいいと思ってたんだ」
暗殺者は物騒なことを朗らかに告げる。悪党の命というのは安ければ安いほど殺したときにスカッとするんだよ。嘯く彼女の声は明るい。銀貨5枚とは、およそ珍しめの果物の盛り合わせが二皿分くらいである。
「ただ、王国に潜む巨悪を暴くとなるとなァ。弾んでもらわないとなァ」
横目でグラスホーンをちらっ、ちらっと見る姿は、もう彼に対してなんの警戒も見せていないようだった。少なくとも、腹の探り合いをしているようではない。なんだかそんな彼女を見ていると、考えるのが面倒になってくる。直接聞いてみたほうがいいんじゃないだろうか。
グラスホーンはため息をついた。
「なんで僕を選んだんだ」