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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「緊張と弛緩」(3)

目の前が真っ暗になる刹那、ぱん、と女が両手を鳴らした。

彼はその破裂音に、反射的にびくっと体を震わせる。


「いま、わたしは確かに、君の心が折れる音を聞いたよ。ばきーん。わかりやすい音だった」


暗殺者は、メアリ・ハニカムウォーカーは場違いな朗らかさで笑った。唇を噛むような含み笑いではない。朗らかな笑い声だった。


「ただ、思ったよりも、心痛むんだよねこれ」


グラスホーンは生気を失った目で彼女を見る。指を落とす他に、これ以上、どんなろくでもないことを思いついたのか。

無感動に支配された彼の目に感情の色はない。それが自分に向けられた言葉だということは理解しているようだが、もう、脳が生きようとすることを諦めているのだ。聞こえていることに対して、一定の理解をしているように見えても、それは慣性で振る舞っているだけに過ぎない。思考の、その先がないのだ。

人は、自分に必要ないと思うと、色々な機能を手放してしまう。今の彼は、自分にとってコミュニケーションや交渉の余地がないということを実感した結果、相手が「何を言おうとしているのか」ということを考える能力を手放してしまっているのだ。


「でもまあ、これも依頼の内だしね。報告するチャンスがなくても、頼まれた仕事はきちんとこなすべきだとわたしは思う。これは、ルールではない。マナーさ」


言いながら彼女は持っていたナイフを腿の鞘に戻した。

グラスホーンは、まだ彼女の言うことを理解していない。耳は聞こえてはいるので、繰り返せと言われれば繰り返すだろう。しかし、彼の心はここにない。


「いいかい、グラスホーン・パトリックノーマンマクヘネシー。人生というのはマナーを守ってエレガントに送らなければならない。その意味では君は命よりもマナーを重要視した。なかなかできることではない。ああ、これはさっきの、大声についての話だよ。わたしは、そのことを理解してくれる人と出会えて、とっても嬉しい」


ぱちん、とナイフの鞘に留金をかける乾いた音。

ナイフの刃先が見えなくなって、少しだけ生命に執着が戻って来たようだった。グラスホーンは彼女の顔を見る。そこに敵意のないことが、まだ彼を混乱させているようだった。

さっきも、彼女は親し気に、実に楽しそうな調子で彼を絶望の底に突き落とした。


「お。ようやく話を聞いてくれる気になったのかな。佳き佳き。あのね、よく聞いて。そしてもう一度わたしに理性的な返事をしてほしい」


彼女は言葉を切る。


「いいかい、わたしは別に君の指なんて持って行くつもりはないんだよ」


その意味が、グラスホーンの意識に浸透するのには時間がかかった。もっとも正確には、まだ彼はその意味を理解していない。ただ、本能に近いものが、彼に「人間らしさ」を取り戻すために動き始めた。


「指なんて食べられるものじゃあない。そもそも肉も少ない、持ち運ぼうとしたら汁も垂れる。くれるって言われても困るだろ。切られる方だって痛いだけだ。人の指を切り落とすなんて、いい事なんてなにもない。誰も得しないことをするのは駄目だとわたしは思う。ぜんぜん生産的じゃないよ。それに、思い出してごらん。わたしの仕事はなんだい」


うたうような調子の声が徐々にしみ込んでゆくが、まだ事態が呑み込めない。ようやくグラスホーンは返事をした。


「……掃…除?」

「違う違う、いや、違わないけど、遡りすぎだよ。そうじゃない。もうちょっと頑張って人間らしさを取り戻せって。わたしがリィンお嬢様から受けた依頼の話さ。確か、ちゃんと伝えたと思うよ。わたしは何を頼まれたんだっけ?」


グラスホーンはゆっくり首を振った。指の話が信用できないのではない、相変わらず殴られたように頭が痺れているのだ。掃除屋は頬を膨らませて腰に手を当てた。


「もう、仕方ないな。もう一度言うよ。"死ぬほどこわい目"に遭わせる、だよ」


ンフフ、と彼女は笑った。何拍か置いて、グラスホーンの目に生気が戻って来た。


「な、“死ぬほど”、こわかったろ?」





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