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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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被監禁日誌(10)

 一瞬は無言だった。

数歩引きずられ、しがみつくようにグラスホーンは両手に力を籠める。首を絞める形にならないよう、なるべく胸に触れないよう、両腕の外から大きく強く力を籠めると、それは、決定的に彼女を抱きしめる体勢になる。


「君は…悪くない」


さっき反応のあった言葉を繰り返すと、ソフィアは大きく山猫のように大きく息を吐いた。


「君は…そんなひとじゃないだろ!」


刹那、明確に空気が変わった。彼の言葉が届いたのか。

ふたたびフードがほどけ、あらわになったソフィアの頬。背中から抱き寄せた彼の頬に、彼女の頬が触れた。鋼鉄の塊のようだったそれが、グラスホーンの腕の中で熱を持った人間の形を取り戻した。つめたい汗で、ぺっとりとした頬。さっきの勢いのままでは引き倒してしまいそうになるくらい、急激にソフィアの身体から力が抜けた。慌てて腕を弱めると、彼女はまるで乙女のようにもたれかかった。つい先刻、彼を羽根の入った荷物袋のようにかついでいたのと同じ人物とは思えないが、確かに彼女はヒュームの、そして年若い女性なのだ。

奇妙な背徳感にかられ、半ば身体を離して押しやるようにグラスホーンは顔を背けた。息をついて、そして、もう一度彼女を正面から見る。


「そうだ、そうだよ、落ち着くんだ」

「落ち着く」

「僕を見るんだ。君は、ひとを、傷つけるようなひとじゃない。そうだね」

「マクヘネシーさん…」


ソフィアは微笑むように口角を上げたが、その表情は笑顔からは遠い、こわばったものだった。彼女は表情を見られたくないという代わりに、もう一度フードを引っ張り上げてかぶった。


「君がまるで、二人いるみたいだ」


グラスホーンが呟くと、ソフィアはかすかに頷く。細い声だった。


「ほんとうは…こんなこと…したくないんです」

「そうだよ、落ち着いて、一度ゆっくり考え直すんだ」

「…ゆっくり…」


グラスホーンは、自分が正しい道のりを歩いていることを信じたい、と思った。確信はなかった。

つい先日、自室に忍び込んできた暗殺者を思い出す。彼を縛り上げたメアリ・ハニカムウォーカーとの対話は、奇妙な緊張感はあったが、どこか、なるべくしてなる結末に落ち着く予感があった。本心の読めない相手だったが、彼女の中には、彼女の信じる向かうべき方向が確かにあることを感じた。

だが、ソフィアは違う。

彼女が一体、どういう結論を出すのか、グラスホーンにはまるで見当がついていない。

いまだってそうだ。

彼の語りかけが彼女に影響を与えているのは分かるが、果たしてそれが正しく、彼の意図した方向に伝わっているのかは読めない。水の漏れだす堤防を、ちょろちょろと水の流れだす穴を、腕を突っ込んで塞ごうとしているような途方もなさを感じる。強大なものを相手にしているというよりは、得体が知れないというのが正しい。彼が向き合っているものは、果たして何なのか。堤防ならまだ、手に負えるかもしれない。


朗らかで、自分を慕う姿勢を見せてくれる少女。

そして、話を聞かず、実力でも止めようのない重戦車。

どちらの顔が、ソフィアの真実なのか。どちらも真実なのだろう。だが、どちらが主導権を握るのか。


「でも、あのダークエルフが宮廷に駆け込んだら…困るでしょう」

「それは」

「私の荷物も持って行ってしまった。一秒も無駄にできない」


ソフィアの声にはまだ、感情が戻らない。確かに、グレイ・グーが捨て台詞で残していったように、どこかに駆け込まれるのは歓迎すべきことではなかった。この居所が追手に知られるのは確かに良くない。遠くないうちに追手がかかるだろうが、いずれにせよ話が加速度的にややこしくなる。


そもそもグラスホーンは、ハニカムウォーカーとの約束で汚名を覚悟して宮廷に残ったのだ。

投獄されたことは完全な計算外だった。さらに、そこからたまたま隣の房になっただけのソフィアから暴力的に連れ出されたことも、大きな誤算だ。

予想もしなかったアクシデントが二つ続いて、立場が、状況が、一晩で大きく変わってしまった。

たとえ形式的にでも彼が雇い、ともに少年騎士殺しの真相を暴こうとしているハニカムウォーカーがこの状況を知ったら、どんな顔をするだろうか。グラスホーンが宮廷の中から真相を探り、ハニカムウォーカーが宮廷の外から調べるという当初のプランはもう、跡形もない。今は、巻き込まれた渦からどうやって脱出するのかが一番の問題だ。


「どうしたって、あのダークエルフは、止めなきゃならないんですよ」


ソフィアの硬い声に返事が出来なかった。それは、確かにその通りなのだ。


「だってもう、私たちは戻れないのだから」


脱獄は、勝手に、君がやったことで、というのをグラスホーンは飲み込む。今、そんなことを言ったところで何にもならない。自分にできることは一体何か。彼女にこれ以上罪を重ねさせないようにするにはどうしたらいいのか。分からなかった。


「分かった」


気持ちと全く逆の言葉が出て来た。グラスホーンは自分でも少し驚きながら、言葉を続ける。


「追うのは止めない。ただ、約束してほしいことがある」


彼は、似たようなやりとりを、全く別の相手にしたことを思い出す。

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