被監禁日記(8)
「ダグラスホーン…さん、ねえ…顔を見たような気もするし、名前もやっぱり、どっかで聞いたことあるような気がするんですよねェ」
ダークエルフは、ソフィア越しにゆらゆらと体を揺らす。何が起きているのか、グラスホーンには全く分からない。
ソフィアと彼女がどんな関係なのか、さっき受け渡したのはなんなのか。脱獄の途中で落ち合うことには危険が伴うはずだ。人と落ち合うと言っていたから逃し屋なのかとも思ったが、どう見てもそんな気配ではない。
推測できるのは、ソフィアの脱獄は自分との出会いとは関係なく予定されていたことなのかもしれないということ、そして、おそらくは脱獄の前からここでダークエルフと落ち合うことだけは決まっていたであろうということ。そして、本当は自分がそのプランに元々入っていなかったであろうということ。
情報勾配を考えて探り合いをしていくよりも、積極的に手の内は見せて行くべきのように思えた。グラスホーンはなるべく堂々と聞こえるように返事をする。
「光栄だね。ただ、今の僕には名乗るような立派な家名はない。ただのダグラスホーンだ。こちらの彼女には、故あって世話になっている。こちらは貴女のことをグレイ・グー、という通り名しか存じ上げなくて申し訳ない」
「マクヘネシーさん、彼女とお知り合いなんです?」
「彼女は、なんというか、有名人だからね」
言葉を濁したが、有名人、という響きに少しだけダークエルフは目を細める。依然としてグレイ・グーはグラスホーンから目を離さない。その視線に敵意は感じられないが、好意的でもない。
「まあいいです。そんなことより、私の苦労話を聞いてほしいんですよね。無論、そちらのダグラスホーンさんにも」
「お喋りを依頼したつもりはないですけど」
「そう言わないでくださいよゥ。その小瓶を、手に入れるまでに痛い思いも怖い思いもしたって話。聞いてもらえないんだったら、もっとほかのご褒美が貰えないと私、我慢できなくなっちゃうかも」
「脅しですか」
「あれェ?脅したらなんとかなったりしちゃいますゥ?」
ダークエルフが外套の下に手を入れてもぞもぞ動かすと、急にソフィアが飛び退いた。懐を押さえている。その表情には強い嫌悪がはっきりと見える。ダークエルフは、にっ、と笑って外套から小瓶を取り出して振ってみせた。見せびらかすようにしたそれが、グラスホーンの位置からは暗くてよく見えない。
「頼まれたものではありますけど、やっぱり追加報酬を貰うまではまだ所有権は私にあるみたいです。外套も、私の苦労に見合うだけの報酬がないって言ってくれてるんですよねぇ。ウンウン」
「どぶエルフ」
吐き捨てるようにソフィアが罵り、ダークエルフがゆっくりと彼女の方に向き直った。典型的なダークエルフ種に対する侮辱語。その表情にあるのは、むしろ喜色に近かった。
「あれェ、いいんですかァ。龍の国はあらゆる差別を許さないって聞いたことある気がしますけどォ」
歌うように手を広げる彼女の身体が、軽く発光しているようにも見える。何らかの魔素が充填されている気配だ。
「聞きました、ダグラスホーンさん?私、どぶエルフ、なんて罵られたの、この20年で数えるくらいしかないですよ。まだ差別って生きてるんですねェ!こわい!それも世界の最高峰に位置するこの龍の国で!みんなが手を取り合うべきこの龍の国で!びっくり!こんなことがあるなんて!」
ソフィアのフードの奥から、漏れ出す殺意が呼気とともにしゅるしゅると指に広がっている。グレイ・グーは瓶をしまい、足元に置いた箱を拾い上げようとした。
「拾う必要ないですよ」
低い声でソフィアがダークエルフを制止し、足元の石畳を剥がして構えた。
「あなた、ここで、いま、死ぬんですから」
「ダメだ!」
ダグラスホーンは大声で割り込む。目の前で殺し合いが始まるのはもうたくさんだった。