「鉄血」(12)
フェザーグラップ・アンデレックは、案外何事もなかったようにハニカムウォーカーの言葉を受け入れたように見えた。傭兵を生業とする一家だ。戦っていれば死ぬこともあるし、どうしたって死ぬ。誰だって最後は必ず死ぬしかないのだ。死は彼らと常に共にあり、彼らの先と、そして後にもある。
「立派な最期だったか」
ザーグの声は、小さく、低い。背中越しにおそらく少し離れた位置にいるフランチェスカには聞こえていないだろう。
「教えてくれ」
ハニカムウォーカーはなんとも言えない表情を見せた。困ったような、無理に笑うような、飲み込めない酒を無理に飲み下すような。彼女は何度も躊躇うように歯をのぞかせ、大きく息をついた。
「知らないんだ」
「……」
「正確にいうとわたしは、貴方の息子が、きちんとした意味で生きている時に出会ってはいない。そして、その件に関連して、わたしは貴方に、貴方たちに謝らなければならないことがある」
彼女の声は真剣だった。ザーグがテーブルの上に置いた拳が、固く握られているのが見えた。それは怒りを握りしめているのではない。それは別のものだった。彼は、テーブルの一点を見つめている。
「このことについて、上手く……伝えるのは、とても難しい。実のところを言うと、何から話せばいいのか。まだ準備ができていない。ああ、でもそれを言うなら貴方の方がもっと、準備が出来ていないよね。それは、分かるんだ。分かるんだけどさ」
「黒ツノ」
「はい」
「誰が、絡んでいるんだ」
ハニカムウォーカーは黙った。
「俺は、どいつを殺せばいい」
「待って」
ザーグは怒りに我を忘れているわけではない。しかし、おそらくは完全な正気でもない。テーブルに伏せられていた目線がゆっくりと上がり、再びハニカムウォーカーを捉える。
「いいか、黒ツノ。お前に倅は殺せない。悪いが、うちのはお前程度には負けなかっただろうよ」
ザーグの声が少し大きくなる。
「お前が、本当にやつを殺すのに関わっていたなら、こうして俺にバカ正直に明かさないだろう。なぜ、二つ数える前にぶちのめされる距離で、わざわざ俺を怒らせる必要がある?理に合わねえじゃねえか。誰かを庇っているんでもねえっていうなら、別の目的がある」
「……」
「……だったら本当は、あいつは、生きているんじゃねえか」
突きつけるザーグの目を見て、ハニカムウォーカーは形容しがたい表情になった。
「なんの理由かは知らねえ、だが、お前は、何かの時間稼ぎを…してるんじゃねえのか。それか、誰かをかばってやがる。あいつが死んだのは知ってるが、自分で手を下したわけじゃねえ?つまり、お前はあいつがやられるところを見ていたんだ」
「ザーグ」
「構わねえ、なんで加勢しなかったなんて野暮は言わねえ。弱いから死ぬ。弱いやつは死ぬんだ。だが、だけどな、一体誰がやったんだ」
「……違うんだ。ミスタ・ザーグ。説明が…難しい」
「いいから答えろ、難しいことなんて何もねえ。お前は、何を、見たんだ。お前は確かに、何かを……見た」
ザーグが立ち上がる。その気勢は掴みかからんばかりだが、先程モーと対決しようとしていた時と比べると、明らかに違った。ちら、とフランチェスカが目を上げ、ベティ・モーが2人の方へ近寄ろうとするのを、ハニカムウォーカーが手で止めた。
「俺があいつを探すのをやめると得する奴がいるのか。つまり、俺は、もう少しのところまで辿り着いているってことじゃあねえのか」
「ザーグ、これは長い話になる」
「聞かねえよ。これまでも、これからも、俺が聞いたことに、お前が答えるだけだ。あいつは、まだ生きているんじゃないのか」
みちみちと、子を失った父親の肉体に満ちてゆくのは、彼を奮い立たせるための薄い希望だ。彼の心には穴が空いている。流れ出すものを、別のもので塞ごうとしている。何かで満たされていないと、彼の肉体から流れ出るものは、その血と同じなのだ。
「リィンか」
ぽつり、と、憑き物が落ちたようにザーグが呟いた。
「あの性悪が関わってやがんのか」
リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリーム。つい先日、プラムプラムに毒を盛り、ハニカムウォーカーと血みどろの闘争を繰り広げた相手だ。彼女にとって、明確な敵でありそして何より、得体の知れないあらゆる騒動に関与しているのは間違いのない人物ではある。
「言えよ、黒ツノ」
「冷静になってほしい。さっきわたしは、ゲッコがもう生きていないと言った。それは信用しないのに、どうしてわたしにまた質問するんだ」
「うるせえ、質問するのは俺だ。お前が答えていいのは、『はい、その通りです』だけだ」
「……そう、言ってほしいのかい」
どこかで水音が聞こえたような錯覚がした。
少し青ざめた顔でハニカムウォーカーは赤襟のザーグを見上げる。表情と裏腹にその口調には、先ほどまでの動揺とは違う、無音の水面のような決意があった。
「そう。言ってあげてもいいんだ。あのクソ女をぶっ殺すのに味方は多ければ多いほどいい。これはわたしにとっても、素晴らしくラッキーなチャンスだ。子を喪って、正気まで無くしたおっかない蛮族から逃れられるだけじゃなくて、ムカつく相手まで始末できるかも知れない。わたしにとっては一石二鳥の、得しかない選択肢だ。実際、あの女が関わっている可能性は高い。正直『ご想像の通りだと思うよ』って、答えるのはとても魅力的だ」
ガガ、と音を立てて椅子から立ち上がり、ハニカムウォーカーは息を吐いた。お互いに届く距離、身長差がある。2人の間に障害物はない。
「だけどね。そいつは、マナーが悪い」
薄く微笑む彼女の頬めがけて拳が唸る。横殴りの殴打を上半身だけで躱して、彼女は男の胸ぐらを掴みかえす。男に覇気はない。
「さっきのは、やっぱりそう何回も使えないんだね。やっぱり何かタネがある」
二発目は飛んでこなかった。ぐ、と引き寄せて老父の耳元。まるで甘く囁くようなかすれ声でハニカムウォーカーは告げる。
「その質問の答えはやっぱり、分からない、だ」
彼女は、微かに感情の色を乗せて至近距離でザーグの目を見つめた。
「わたしは、分からないことはわからないと言う。そりゃ、生きていれば時には嘘をつくことはあるけど、今夜、わたしは嘘をつかない。貴方の息子は確かに死んでいる。根拠は……今は言えないけど間違いない。貴方の、息子は、死んだんだ。そして、その背後にいるものの影を、わたしは全く解きあかせていない」
「……!」
ザーグを、ひとまわり自分より大きな男を、胸ぐらを掴んだ腕と肘とで引き寄せてハニカムウォーカーは続ける。
「受け止めるには時間がかかるかもしれない。だけど、死んだものは死んだんだ。どうしても何かに八つ当たりしたいなら自分の責任で、自分の家に帰ってからやれ」
彼女の声はがらんとした酒場に響く。
「わたしは」
何かを言いかけた彼女の声が、止まった。
手洗いから、額傷が出てきたのが見えたのだ。彼は何かを抱えて持っている。箱だ。見覚えがある。
「アンデレック卿!」
額傷は、睨み合う二人を気にしたふうもなく、大きな声で呼ぶ。
「情報通り、魔道具です!個室に隠してありましたぞ!」
フランチェスカとベティ・モーが振り返る。
ハニカムウォーカーは思わずザーグの胸から手を離した。
額傷が抱えて出てきたのは、プラムプラムの至誠亭から盗まれた試作品の、一点もののアーティファクト。
外からは中身を窺い知ることができないが、確かにザーグの息子であるゲッコーポイント・アンデレックの首が収められた箱であった。