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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「鉄血」(8)

左脚亭の鉄の扉が、三度開かれた。


事切れたばかりの年若いエルフの前の、厳粛とも言える静謐はその重々しい振動によって破られる。店主の痕跡を探していたベティ・モーがカウンターの中から顔を出した。


彼女が見たのは、象徴的な真っ赤な襟だった。

短く刈り込んだ白髪。深い皺が刻まれているが、精悍という言葉以外では形容のできない立姿だ。壮年をとうに過ぎているはずなのに、鋼のようなみっちりとした肩、盛り上がった上腕。大きな顎。鎧のような上半身を包む深い赤のドレスシャツだ。真っ白のスラックスにサスペンダー。到底戦闘服には見えないが、それが彼の戦場での正装だった。


闇と静寂を割って入ってきたのは、赤襟傭兵団筆頭、ザーグ・アンデレックその人である。彼を本名であるフェザーグラップと呼ぶ者は今や殆どいない。

続いて彼の配下の傭兵たちが4人、影のようにしなやかに店内に滑り込む。まちまちな格好をしているが、一様に襟まわりだけは赤い。

すん、と鼻を鳴らしてザーグは眉間の皺を深くした。


「めちゃくちゃじゃねえか」


その声には確かな嫌悪感があった。大きな声ではなかったが、聞くもの全員が彼の次の言葉を待ってしまう。しんとした舞台に響く主演俳優の独白のような、圧倒的な誘因力があった。カリスマと呼ぶのが近いのかも知れないが、それは「魅力」とは全く別の力だった。ただ、立つだけで場を完全に支配している。場の空気が完全に変わっていた。


「赤襟屋さん」


カウンターを飛び越えてベティ・モーが歩み寄ろうとする。


「動くな」


短く、小さい声だったが、彼女は思わず反射的にびたっと動きを止める。


「わざわざ俺が出張って来たんだ。俺がいいって言うまで『誰も』『何も』するな」


それは威圧的な言い方ではなかったが、生来、王のように振る舞って来た者特有の問答無用感があった。息をするように、他人に命令することに慣れたものの呼吸だった。左右に付き従う傭兵たちも、まるで彫像のように動かない。


「クソッタレめ」


赤襟の当主は、吐き捨てながら無人の舞台を歩くようにゆうゆうと店内を横切った。傭兵たちも、モーも動かない。動けない。


「皆殺しにしてパズル遊びか、正気の仕事とは思えねえな」


テーブル席に乗った誰かの「手首」をつまみ上げてザーグは、ようやくベティ・モーに視線を合わせた。


「これは、お前さんの仕業じゃねえよな」


モーは無言で頷く。だよな、と納得したように手首をテーブルに戻し、肩越しに顔を向けると傭兵たちが音を立てずに奥へと展開する。気付けばモーは呼吸音さえ止めてしまっていた。


「赤襟屋さん、死体が」


気を付けて、と傭兵たちに警告をしようとして、彼女はなぜ自分がたった今まで「動く死体」のことを失念していたのかを理解した。

いつのまにか、蠢いていたはずの死体はひとつ残らず動きを止めていた。


壁に剣で留められた死体は項垂れたまま、もう何時間も前からそのままだったように見える。両手首のない死体も、這いずるように手洗いに向かっていた死体も、ねっとりと、音もなくただ死んでいた。手洗いの扉に挟まるように、片足のない死体が倒れている。撒き散らされた指、下顎、内臓。


彼女は自身の、返り血に汚れた両手を見る。


「あの、これは」

「両手を上げろ、なんて言わねえよ。別に暴れてもいい」

「違うんです、赤襟屋さん」

「みんな最初はそう言う」


ベティ・モーの両側、死角に傭兵が滑り込む。

2人とも武器を抜いている。刃物ではない。鈍器だ。警棒のようだが警棒にしては尖った形状をしている。

彼女は短く息を吸い、手洗いの中に居る2人に警告を発しようと振り返った。


残りの二人の傭兵が手洗いの扉を開けようとしていた。


まるでスローモーションのようにベティ・モーはその光景を目撃する。


重力に逆らう勢い。半開きだった手洗いの扉の「内側」へ横向きに着地したハニカムウォーカーが、一瞬、時を止めたように静止した。ほんの一瞬だ。彼女は爆発するように傭兵を巻き込んで扉ごと店内に飛び出す。弾け飛ぶ蝶番、火のない花火のように木片が舞った。傭兵が声を立てる間もなく扉の下敷きになって倒れる。


彼の昏倒を待たずに暗殺者は扉から壁に飛び移り、もうひとりの傭兵に襲い掛かる。彼女の手には短剣がきらめいていた。宮廷の地下でベティ・モーが見せたのと同じ三次元の機動だ。

ハニカムウォーカーの、牙のような短剣は傭兵の左腕のバックラーで寸前、防がれる。がちん、と殺意の高い音が鳴った。


防がれたバックラーを起点に、鞭のようにハニカムウォーカーは回転する。傭兵は流石によろめいたが、体幹が強い。捕まれそうになるのを防ぎ、膝蹴りをひとつ喰らわせてハニカムウォーカーが飛び退いた。


その背後では扉の下敷きになった傭兵の上、しっかりと踏みつける形でフランチェスカも手洗いから姿を現していた。こちらも臨戦体制、刀を抜いている。


二人を見ながらベティ・モーは、死角から自身に伸びてくる手を感じた。

しゃがんで躱し、地面に這う体勢になる。そのまま回転した彼女は傭兵の脛を蹴り、そのままザーグ・アンデレックの方に飛び出した。そのまま殴りかかるのかと思われたが、モーはザーグとの間合いに入る寸前、急角度で方向転換して距離を取る。彼女の想像通りだ。当主は構えもせず、追いもしてこない。

とりあえずは距離を稼げればいい。モーは体を捻りながらテーブルを蹴って壁際、ハニカムウォーカーの隣に飛び退る。


奥から順に、フランチェスカ、扉の下敷きの傭兵、ハニカムウォーカーとベティ・モー。

ちょうど三人の女と残った傭兵三人、そして赤襟の当主が向かい合う形になった。一層不機嫌そうな顔になって、ザーグは女たちを見る。

ハニカムウォーカーに蹴られた傭兵が脇腹を押さえている。警棒の二人は武器を握り直した。下敷きの傭兵は呻き声を上げる。


「そっちの人、ごめんね。アバラ折れてると思うから今日はおうちに帰った方がいいよ」


ハニカムウォーカーがリズムをとるようにとんとん跳びながら指をさす。ザーグがちら、と指された傭兵の方を見たが、すぐに目線を暗殺者に戻す。低く、渋みのある声。


「折れてない」

「違う違う、今見たでしょ、分かるでしょ」

「ダイス、どうなんだ。折れてるのか」

「折れてません」


肋を折られた傭兵は間髪を入れずに返事をしてメイスを構え直した。ザーグは再び呟く。


「聞いたか。折れてない」


ひゅう、と息を吐いてハニカムウォーカーは眉を上げる。


「チェッカ。驚いた、この人たちゾンビじゃないけど、もっとややこしいぞ。わたし、こういうとこに就職しなくてよかったって今心底思ってる。ギルド抜けてよかった。フリーランス最ッ高。モーもそう思わないかい、ねえ」


モーもフランチェスカも、軽口に返事をしない。ザーグの圧がそこかしこに満ちている。彼は何も言わずに、フランチェスカを見ている。明らかに、咎めているような目。しばらくザーグと見つめ合って、フランチェスカはようやく口を開く。


「証言します。この者たちはこの場において法を犯してはいません」

「この血の風呂を見せられて、それを信じろってのか?」

「……私が、証言しているんですが」


答えたフランチェスカの声質が、低く変わった。そこに暴力の気配を感じたのか、ちら、とハニカムウォーカーが眉を顰める。彼女は横のモーの肩をつつく。


「そういやこの人も蛮族さんの一派だったっけ」

「掃除屋さん、そうやって煽るのやめましょうよ」

「失礼な。煽ってないよ」

「ねえ赤襟屋さん、まずは話を聞いてください」


ザーグは不機嫌そうな顔のまま腕組みをする。


「俺ァな、ここでろくでなしどもがズコバコ乱行してるってんで観に来たんだ。断じて死体パズルじゃねえ。それが見ろ、どの穴にどの棒を突っ込んだらこうなるんだ。あ?」


モーの眉間にも皺が寄った。文字通りの意味でないのは明確だったが、彼女はその手のジョークが好きではないらしい。


「本来は俺が出るような話じゃあねえんだが、聞いたらお前、うちの行方不明のバカ息子も参加してるってんでな、いっぺんぶちのめして目を覚ましてやらなきゃならねえと思ってな」


静かな怒気と、それだけでは説明のつかない何かを孕んだ声。三人の女の反応を眺めて、赤襟傭兵一族当主が指をさす。


「どした、黒ツノ。急に顔色悪くなったぞ」

「そういうわけでは、ないけど」

「いい、ぶちのめしてから後で聞く」


とん、と軽い音を立てて徒手の赤襟のザーグが構えた。真っ直ぐにハニカムウォーカーを見据える目にこもるのは明らかな怒気だ。むしろ静かな声だった。場を支配する圧が一段階、はっきりと増す。


「お前、なんか知ってんな」

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