これまでの人生
大きく内容を変更しました。
「剣人!どうしてあなたまで……」
消毒液のツンとした匂いが漂う真っ白な部屋。そこにはベッドに横たわる三十路ほどの男と、泣き崩れる女性、その様子を見つめる白衣を着た男がいる。
「申し訳ありません。手は尽くしたのですが、息子さんは……」
その言葉を聞いた女性はより一層大きな泣き声を上げる。
母さん、ごめん。父さんだけでなく、俺までこんな事になってしまって。結婚もせず、自分の好きなことばかりやってきたが、親より先に死ぬなんて一番の親不孝じゃないか。
ベッドの男に繋げられた機械から、ピーっとけたたましい音が部屋中へと鳴り響く。
ああ、この音ドラマとかで聞いた事がある。もうだめなのか。
「十二時三十分、お亡くーー」
ついに何も聞こえなくなってしまったか。
このまま俺の意識も消えてしまうんだろうな。天国とか地獄とかはあまり信じていないけど、できるのであれば天国に行ってみたいな。
男の意識はついに途絶えてしまった。
部屋にはただただ泣き続ける母親とそれを見届ける医師だけが残された。
◇◆◇
あれ、俺死んだ、よな。ここは?
再び意識の戻った男は自分の体があることを確認し、周りを見渡した。そこには今までに見たことも無いほど美しい花が一面中に咲き誇っている。
男がその花に触ろうと手を伸ばすと、触れること無く通り過ぎた。
……ああ、やっぱり死んだのか。ということはここは死後の世界、みたいなやつか。ん?
掴もうとした花の更に先を見つめると、遠くの方に人の列が見える。
俺もあれに並べばいいのかな?それにしても結構な距離があるように見えるが。
少しの傾斜も無い地面はどこまでも先が見渡せるが、並んでいる人々は米粒のように小さく見える。
まあ死んだのだから他にすることもないし、ゆっくりと歩き始めますか。
少し面倒に思いながらも男は立ち上がり、列を目指して歩き始めた。
その道すがら、男は今までの人生を振り返っていた。
「ただいま父さん!」
「ああ、おかえり」
道場で素振りをしていた父親に、ランドセルを背負った少年は笑顔で声をかける。
「今日は剣道やろうよ!」
「いいぞ。でもその前に手を洗ってきなさい。まだ帰ってきたばかりだろう」
「はーい」
少年は言われた通りに手を洗い、道着へと着替え始めた。
「今日は試合しようよ!」
「まだダメだ」
「えー、じゃあ今日も素振りと打ち込み?」
「ああ、基礎練習はいくらやっても終わりはないからな。それに実力も見合わない相手と試合ばかりしては、変な癖がつきかねない」
実力が見合わない。この言葉に少年は少しムッとした。
「僕じゃまだ力が足りないってのかよ!この前の全国大会だって優勝してみせたじゃないか」
「ああ、まだまだだな」
「ちぇ、ケチだな」
「来年中学生になって、全国大会で優勝できたら考えてやらんでも無いぞ」
「余裕だね!今すぐにでも出てやるよ!」
「ははっ、そいつはさすがにきついかな」
父親は内心では本当に勝ちかねない、と思いながらも少年が調子に乗らないように少し否定気味に返した。
「まあ、あと一年あるんだ。いくらでも強くなれるさ。さて、始めようか」
「おう!」
二人は竹刀を持って向かい合い、いつものように稽古を始めた。
懐かしいな。小学生の時は毎日のように道場で父さんと剣道と居合いの練習ばかりしてたっけ。
最初はいつも道場にいてかまってもくれない父さんの気を引きたくて始めた二つだったけど、試合で勝てる様になってからはやっていて楽しいって感じるようになったんだよな。
子供のときはその日常を当たり前のように思っていたが、父さんは日本に敵なしと言われるほど剣豪だった。そんな人と毎日稽古してれば嫌でも強くなるってものか。
まあ、そんな父さんも……
「あなた!」
「と、父さん!」
青年とその母親は、ベッドで突然胸を抑えて苦しみだした父親に駆け寄った。
「剣人!早く先生を!」
「う、うん」
青年は突然のことに動揺しながらも、ベッドにあるナースコールを鳴らした。
『どうされました?』
「父さんが!と、突然胸を抑えて!」
『わかりました!すぐに向かいます』
ナースは青年の動揺した声を聞いて状況を把握してくれたのか、対応は早かった。
「父さん!」
「け、剣人。母さんを、頼んだ」
父親は自分が体がもう持たないことを悟ったのか、息苦しそうにそんなことを言い始めた。
「そんな!まだ大丈夫だよ!先生がもうすぐ来るから!」
「自分のこと、くらい、わかるさ」
よほど息苦しいのか、言葉の合間にヒューっと音を出しながら呼吸している。
「まだ試合だって勝ててないじゃないか!」
「お前は、十分、強くなった。母さんも、ごめんな」
「あなた!」
青年と母親は声をかけ続けるが、次第とその呼吸は聞こえなくなっていった。
そして、医師から父親が亡くなったことを宣告された。
どんなに強い剣豪であっても、病には勝てなかった。そして俺も……。母さんには親子揃ってひどいことをしてしまったな。
最初に始めた動機はともかく、父さんが亡くなったあと俺は剣道と居合いが父さんとの唯一の繋がりのように感じていた。そうして続けていた剣道も居合いも次第に父さんに追いつけるまで成長していった。最後に父さんと試合して勝ちたかったな……。
剣人は自分の過去を振り返り、少し憂鬱な気分で歩いていた。
それにしてもいつになったら着くのか。結構歩いたと思うのだが……って、あれ?全く近づいていなくないか?
先程までとあまり変わらない距離にある人の列を見て、剣人は違和感を感じた。
来た道を振り返ってみるも花以外の目印が無く、進んでいるのかがわからない。
といっても、あの列を目指す以外には他にできることも無いよな。
列があった方をもう一度見てみると先程までの花が咲き誇る場所はそこにはなかった。ただただ真っ暗な景色が目に入った。
……は?