エタリティ_ズェロ
時間とは、人間が考えた定義だ。
事象の流れを人がそう名付け、そう位置付けたに過ぎない。
宇宙があって、物質が流れていく。
流れていくから生きている。
過去も未来も存在しない。
だから地球の自転と反対方向に回る事で死んだ恋人が蘇る訳ではないし、タイムマシンを使って未来からやって来たお助けロボットに救われる事なんて有り得ない……それはただの夢物語。
そう思っていたのは、何も知らないから……なのだろう。
それが幸せだという事に、気付かないから……なのだろう。
人が生を感じるのは、時間という定義があるからこそ……なのだろう。 ……俺はそう思いたい。
『エタリティ_ズェロ』、俺は「この事象」をこう呼ぶ事にした。
――――――
ジュジュジュ……チチチッ……
目を背けくなる程の朝の日差しが照り付け、緑が生い茂る小枝の隙間から小鳥が囀りを上げながら羽ばたき飛んでいく。
そんな日常の風景を映すある日の日曜日、俺……大園 昂輝は人生最大の勝負へと挑んでいた。
「ずっと玲香の事が好きだった!! 俺と付き合ってくれないか!!」
頭を深々と下げ、その手を突き出した相手……それは俺の想い人であり、幼馴染である相原 玲香という女の子。 彼女は容姿こそ整ってはいるが言う程美人という訳ではない。 だが明るく優しい性格で、人にとても好まれやすい。
そんな彼女の事を慕う人間は多い。
焦りを感じていた俺は……彼女に愛の告白を行う一大決意をし、そして今に至るという訳だ。
「えぇ~……ん~どうしよっかなぁ~」
焦らす様に彼女が体を左右に振り、間を作る……そんな彼女の仕草が俺の緊張をより強く引き締めた。
「ふふっ、なんてね、冗談っ」
いじらしい顔を向けながらそんな言葉を放った時、俺は一瞬どういう事なのだろうかと首を傾げそうになった。俺の言った事が冗談だと思ったのか? それとも、俺と付き合う事は冗談にもならないという事なのだろうか?
思考が巡り、そして真っ白になっていく。
「ありがとう、そしてごめんね」
――ダメか――……そんな言葉が俺の中に何重にも響いた。
「こうちゃんにそんな事言わせてごめん……本当は私から言いたかった事なのに」
「えっ……?」
真っ白になった思考が色彩を取り戻し、視界が広がっていく。 俺はゆっくり上体を起こしながら彼女の顔を見つめた。
彼女のその顔はニッコリとした笑顔で俺を見つめ返し……その時、透き通った様な淡い茶色の瞳が視線と合わさった。
「私もこうちゃんの事が好き……ずっとずっと、好き……」
「玲香……」
―――
――
―
俺、大園 昂輝は青春真っ盛りの『普通』の高校1年生。 敢えて『普通』を名乗るのは、たった今こうしてリア充の仲間入りを果たしたからだ。
決して容姿端麗でも無ければ学力が高い訳でも無い。 強いて言うなら学力は割と高い方だと思ってはいる。
……思うだけなら自由だろう?
それに対し彼女……相原 玲香は前述に加え、おまけに頭脳明晰で理系の出、器量もよく面倒見がいいのが堪らない。 ふわりと柔らかさを体現するキメ細かい長髪は、風に煽られる事でその美麗さを初めて体現させる。 個人的に言わせてもらえば、そこらの可愛い子とはベクトルが違う……大人の色香を持った子だ。
彼女とは幼稚園の頃から共に暮らし、家族とも親交深く付き合いをしている。 共に旅行に行った事もあれば、小さい頃に一緒に風呂に入った事だってあるくらいだ。 彼女の趣味は知っているし、彼女の癖や口癖だって知っている。 勿論それは彼女側もそうだ。
つまり俺達はよく知った者同士……それでいて、お互いが認め合える同志。
きっと、こうなったのは必然だったのかもしれない。
―
――
―――
「幼馴染」から「恋人同士」に関係を昇華させた俺達はその日……勢いに任せ、初めてのデートを行う事となった。
別に着飾る訳でも無く、お互いがよく着慣れた衣服を身に纏い、歩き慣れた街を歩く。 俺達が住む街は人が暮らすには十分過ぎる程の衣食住、娯楽に溢れた発展街……例え慣れていたとしても、飽きる為にはいささか時間を必要とするだろう。
当初はそんな街でいつもの様に過ごそうと繰り出した訳だが……ふと、彼女の目にある物が留まった。
「世界の鉱石展 開催中」……とてもシンプルにそう書かれた立て看板だ。
どうやら市役所隣の展示場にて定期的に行われる博覧会の様であった。
彼女はパワーストーンだとかそういった「不思議な力」を感じる物に興味を持っている。 それが彼女の目を惹いた理由なのだろう。
「アレ、行ってみたいな」
彼女が足を止め、そう呟く。 それを引き留める理由も無かったし、何より俺も興味があった。
「いいよ、行こう」
二つ返事で互いが頷き合い、足を同じ方向へ向けて踏み出した先……建物越しに見えるのは、博覧会の会場である市立展示場。
展示場内は会場に入った際の一目で一望出来る程の広さしかなく、客の入りもまばらだ。 カップルが3組と老人の男性が一人……市がお戯れで開催する展示会なのだからこの規模なのも仕方のない所だ。
クラシックすら流れない無音の空間が僅かな音を反響させて響き、片隅から聞こえてくる話し声や独り言まで耳に入って来る。
「凄い……原石綺麗……」
うっとりとした顔で見つめる玲香……展示場に並ぶショーケース越しの鉱石の数々が目線を惹く。 大抵の女性は磨かれ輝きを放つ宝石を求めるものだが……彼女はそうではなかった。 彼女曰く「原石が素敵な所は目に見えない理想がある事。 土や岩に隠れた先に、宝石の塊があって、人の手が入っていない自然の美しさが詰め込まれている」からだそうだ。
見えない美しさ、想像する事の面白さ、彼女はそこに惹かれているのだろう。
そしてそれを理解出来るからこそ……
「凄いよな、見る角度で色が変わって見えるよコレ」
光を取り込み、虹色に換えて放つ原石……くすんだ輝きでも、それはまるで「自分を見てくれ」と言わんばかりに視界に光を送り訴えてくる。 これが宝石になればどれだけ美しいだろうか……そんな想像を掻き立てられてやまない。
そう思うと、途端欲しくもなってくる。
「これ、どこで採れるんだろうな。 採れる場所が判ったら玲香の為に取ってきてあげるよ」
「子供みたいな事言わないでよぉ~」
俺は半ば本気だったが、冗談と取られた様で……なにやら恥ずかしい気がして、反論するのは避ける事にした。
大小様々な鉱石が並び、余すことなく目を通していく。
鉱石と言っても、決して宝石の原石だけではない。 金属や貴金属の素材となる鉱石も同様に展示され、主な有用素材に関しては用途までを記した資料が添えられていた。
みすぼらしい風体を晒すその鉱石が身の回りにある物へと加工されていく様は、なんとも言えない親近感を誘う。
一つ一つ丁寧に順を追って説明資料などに目を通していると……ふと、一つの鉱石がその視界に留まった。
「なんだろうこれ……」
妙に気に成り、順を割って近づいてみると……直下に置かれた名札に書かれた「隕鉄」という文字が、照明の光の反射から外れて姿を晒す。
「隕鉄……?」
「それって、隕石に含まれてた鉄って事じゃない?」
遅れて付いてきた玲香が教えてくれた隕鉄……見た目は手で握れる程しかないただの岩の塊。 だが所々に鈍い光沢を持った滑らかな表皮が見え隠れし、如何にも鉄という雰囲気を露わにしていた。
その見た目に反して、「隕石だったモノ」という存在感が妙に好奇心を煽る。 気付けば二人してまじまじと舐める様に見つめ、それぞれの想いを馳せていた。
「この石がさ、何万年も、何億年も、宇宙を漂って地球にやってきたんだよね……それを思うとさ、なんだか宇宙の神秘を身近に感じちゃう」
「うん……壮大なロマンを感じるよ」
どこかの星がぶつかって、砕けて、公転軌道から外れたその欠片が……広がる宇宙を横断して、誰にも気付かれる事無く、ごく小さな地球という星にぶつかる。 ここに在る隕石という存在そのものが、それを成した奇跡とも言える存在なのだ。
隕石の中には地球に存在しない元素が含まれている事もあるという。 ここに在るという事はつまりそんな物質が含まれていない、ただの岩と鉄の塊に過ぎないのだろう。 だが、例えそうであっても俺達にとってはそんな事は関係ない。 ただ、ここにそれがある……それだけで十分なんだ。
すると、不意に俺の目にチラリと……隕鉄が放つ光が目に映りこんだ。
それはほんの少し光が増した程度の光。 恐らく複数ある照明の光が重なって目に入ってきたからだろう。
僅かに怯み、眉を細めると……それに気付いた玲香が心配そうに、上目遣いで顔を覗き込んで来た。
「こうちゃん大丈夫?」
「あ、うん……」
そんな彼女の心遣いもさることながら、その仕草が凄く可愛くて……胸の鼓動が自分でも判る程に高鳴り始めていく。
彼女の事が好きだった奴……すまないが、この笑顔はもう俺の物だ。
そんな邪な心を胸に抱きつつも、彼女の良心に笑顔で返し……俺達は再び別の鉱石へと足を進めていった。
その後に続く鉱石はと言えば、どれもパッとした物も無く……あっという間に残る全ての展示物の閲覧が終わってしまった。 とはいえ、それなりに時間は費やした様で……展示場を後にした時には、空の彼方にほんのりとした赤みが白い空のキャンパスを滲ませ始めていた。
この後、軽く夕食を済ませて帰路に就く。 恋人同士の大事なデートとはいえ、学生であり家族が居て門限もあるのだから早く終わってしまうのはいざ仕方のない事だ。 幸い相手が俺という事もあり、彼女側の両親もこの事を知っている訳で……彼女と、彼女の両親の顔を立てる為にも、家のルールくらいは守ってみせるという気概は持ち合わせている。
名残惜しさを投げ捨て彼女を家に送り届けると、軽く別れを済ませて隣の自宅へと歩を進めた。
今、自宅には両親は居ない。 自慢では無いが両親は共にキャリア持ちであり、互いに仕事関係で別所への単身赴任中。 月に2~3度程帰って来る事はあるが、基本は家に居ない。 その間、俺は約束された自由を満喫する事が出来るという訳だ。
自宅に戻り、一人だけの家で寂しくテレビを点けてはバラエティ番組を見ながら笑いを飛ばし、 スマートフォンを覗いては玲香や友人からのSNSでの会話に華を咲かせる。 そんな日常の有体を今日も晒した事に満足し……玲香と懇意になった事に想いを馳せつつ布団へ潜りこんだ。
「明日の学校が楽しみだ」
何気なく漏らした独り言を最後に、俺の意識は暗い闇の中へと落ちていった……。
――――――
チュンチュン……バサササッ……
日が昇り、朝が訪れ、小鳥達が起きやらぬ人の意識の外で元気に羽ばたき舞っていく。
そんな中、俺はいつもよりも早く目を覚まし、100円ショップで買えるティーパックの緑茶を啜る優雅な一時を過ごしていた。
点けたテレビには朝のニュースが流れ、土日に起こった出来事等も取り上げられている。 画面に映る女性ニュースキャスターが活舌の良いはっきりとした声で喋り、コメンテーター達と楽しく会話をこなす……そんなニュースを毎朝見るのがさりげない俺の楽しみの一つでもあった。
『先日、鷹峰総理が国会で答弁を行い物議を醸しています』
「またかぁ、この人話題に事欠かないなぁ」
知ったかぶりの言葉を吐きつつ、政治のニュースを見るのも楽しみの一つ。 お陰で半端な政治の話題程度になら食い付く事は出来る。 ちなみに、この事は玲香には知られていない……彼女と語ろうものならあっという間に論破されかねないからだ。
「こうちゃーん!?」
途端聞こえてくる玲香の大声……「何事か!?」と思い、慌てふためきながらカップを机に降ろして玄関へ駆ける。 慌ただしく扉を開けて外に出ると、怒った様な目付きを鋭くした顔付きの彼女が待っていた。
「学校行くよ!!」
「え、ああ……」
ただならぬ彼女のテンションに圧され、手を引かれながら家を後にすると……二人並んで道を歩き始めた。 無言の彼女……その顔はしかめっ面で、見た目からかなりの機嫌の悪さだと伺える。
「どうしたの、俺何か怒らせる事した?」
昨日のデートが気に入らなかったのだろうか? 親に何かを言われたのだろうか? 思考は巡るが答えは出てこない。
だが、彼女の放った言葉はそんな些細な事とは掛け離れた……俺の思考を止める程の一言だった。
「こうちゃん、なんで昨日学校に来なかったの? 呼んでも来なかったし、SNSは繋がらないし」
「え?」
彼女の言った事が何なのか、全く理解出来なかった。
昨日は日曜だし、学校に行く必要も無い。 SNSはそもそもあの後散々やりとりをしただろう。 そう思いポケットからスマートフォンを取り出し画面を見るが……特に異常は無い様に見えた。
「だって昨日は日曜だろ? 一緒にデート行ったじゃんか」
「何言ってるの……? 昨日は月曜で、デート行ったのは一昨日じゃない」
その一言に耳を疑う。
焦りを感じた俺は、手に取ったスマートフォンの画面を改めて眺める。 そこに表示されていた日時は「〇月〇日(火)」……つまり彼女の言う通り、俺は月曜日を「すっとばしていた」事になる。
「え、嘘……ぇえ!?」
「こうちゃん気付いてなかったの?」
「……気付かなかった……」
まさか一日眠り続けていたのだろうか……いくらデートで楽しい時間を過ごして疲れていたとはいえ、丸一日寝るなんて正直信じられなかった。 彼女の言うSNSの件に関しては通知も入っていないので真偽は判らないが。
昨日の記憶が無い事を事細かく説明すると、彼女はどこか疑問を感じる様なふくれっ面を晒しながらも納得してくれた。
「一日寝ちゃうなんて事もあるんだね……なんだ、サボりかと思った」
「サボってる事には変わりないけどさ、それよりも衝撃的過ぎてショックだよ」
だが状況が判ってしまえば後は笑い話にしかならない。 学校をサボった事で成績に響いてしまうのはいざ仕方の無い事ではあるが……やってしまった事を色々と後悔するのは俺の性分では無かった。
幸い、学校の先生には強く怒られはしたものの、彼女の助けもあり……若気の至りという事で大目に見て貰う事が出来た。 持つべき者は理解し合える恋人、と心に染み入る。
それ以外の目立った事も無く……授業を終えて帰路に就く。 先日の事もあるからと、念には念を押され部活を休む事となった俺はその日、玲香と再び顔を合わせる事も無く帰宅し、いつも通りの一日を終えたのだった。
――――――
……ドンドンドン、ダダダッ……
けたたましい音が鳴り響くのが聞こえた……音の感覚から、誰かが階段を駆け上る音だ。
自室は家の二階……寝ている俺を尋ねる者は当然階段を登ってくる必要がある訳だが……その感覚は妙に慌ただしい感じがする。
バタンッ!!
「ハァッ……ハァッ……!!」
「玲……香……なんだ?」
部屋の扉が勢いよく開き、玲香が現れた。 それに対する俺は……今の今まで眠っていたので寝ぼけたままだ。
「ふわぁ~」と大あくびを立て、上体を起こす。 そんな様子を彼女が息を切らせながら厳しい目を浮かべたまま見つめていた。
「ど、どうして……」
「え?」
まさか、また一日中寝ていたのだろうか?
またやらかしたのかと思えるくらいに、俺を見つめる彼女の顔は真剣そのものだった。
「早く着替えて!! 病院行くよ!! おじさんとおばさんは後で来るから!!」
「え、ちょ……な、なんなんだよ!?」
病院……?
何故? 何の為に?
一日中寝ていたのは病気だとでもいうのか?
とりあえず彼女の剣幕を前に逆らう事も出来ず、言われるがまま適当な服へと着替えた。 そして彼女に引っ張られながら外に出ると、外で待っていたのは車に乗る彼女の両親。 どうやら彼女の家族が総出で俺を病院に連れて行こうとしているらしい。 丁寧に俺の両親にまで話をしている様なのだから用意周到というか気が利くというか。
「なぁ、一体何があったんだ? もしかして俺、ヤバイ感じ?」
状況が飲み込めていない俺は、何かを知っているであろう玲香に冗談交じりにゆるりと問う。 だが、その質問をぶつけた途端……彼女の強張った頬が緩み、口角が下がっていく。 目元がフルフルと震え、涙がジワリと浮かんでくるかの様に瞳がうるんでいった。
「こうちゃん……何にも判らないの……? 一週間も反応なかったんだよ……!?」
「え……」
「今日火曜日だよ……あの日からもう一週間経ってるんだよ……!!」
言葉が詰まる。
「昨日」の様に再びスマートフォンを取り出して画面を覗くと……彼女の言う通り、先日から一週間が経過している様を見せていた。
だが、それを確認しただけで……自分の置かれている事実を受け入れられず、ただ無言で……俺は動かぬ画面を見つめ続ける事しか出来ないでいた。
そしてそのまま……最寄りの大学病院へと連れていかれた俺は、整った医療設備を使い様々な検査を行った。
脳検査から血液検査、そこで出来うるあらゆる方法を使い、俺の体は隅々まで調べられていったのだった。
「ん~~……別段異常は無いですねぇ。 健康そのもの、多少栄養が偏りがちですが、まぁ許容内ですね」
そう答えたのは医者。 しかも当大学病院において高位の医者だと言うが……そんな彼の言う事は何の当たり障りも無い診断結果。 その結果を前に俺は胸をなでおろすが、玲香達はどこか納得のいかない表情を見せていた。
「本当なんですか!? こうちゃんの体は何も変化はないんですかッ!?」
大声を張り上げる程に興奮した彼女は医者に問い詰めるが、医者は顔を横に振るだけ……嘘をついている様には思えない。
そもそも、玲香がこの様に大声を張り上げる姿を俺は知らない。 彼女でもこんなに感情的になって喚く事をするのだなと感心すら感じる程だ。 けれどそれは、そんな風に感情的になる程に俺の事を心配してくれているのだろうと思うと嬉しくもある。
再検査を行い、再び診断するも結果は変わらず……念を押され、その日は結局、入院する事となった。
4人程が納まる病室の一室……既に時間は夕方過ぎ。 窓から見える景色は既に薄暗い青が支配し始め、間もなく日が沈む事を予感させる。
その一室でベッドに横たわる俺は玲香の看病の下、退屈な時間を過ごしていた。
「なぁ、俺やっぱり――」
「ダメ、原因が判らないと怖いから」
彼女の意思は固い。
心配してくれるのは嬉しいが……健康である以上、原因は別の所にあるのではないかと予測する。 だが考えつくのは大抵『俺は選ばれし者だから』とか『俺は普通の人以上に睡眠を必要する特殊体質なのさ』なんていう、お子様が考えつきそうな根拠のへったくれも無い妄想ばかりだ。
つまり自分がお子様だって言いたい事に気付いたのはすぐだった。
疲れているんだろう……そんな事を考えるのは。 今日は色々あったから。
「なんだか変に疲れた……もう寝ていい?」
「うん、いいよ。 学校の方はノートでも取っとくからさ、今は休も」
意外と病院のベッドでも眠れそう……そう考えると睡魔がそっと俺の意識を掻き降ろし、視界を薄っすらと黒に塗り潰していく。 なんて事は無い、ただ疲れているだけ。 一日寝れば、すぐ元通りだ。
健康なんだ。 何も怖い事は無いさ。
――――――
……妙に生温かい感じを感じる。
妙な感覚を受け、意識が取り戻し始めると周りの風景がゆっくりとぼんやり映ってくる。
ふと目を横にやると、窓の外に広がるのは白みかかった青空。
なんだ、なんて事は無いじゃないか。 一日ただ、寝ただけ、そういう事さ。
そう思うと、ゆっくり体を起こそうと手で周囲を探る。
グニッ……
なんだ、この妙な感覚は……柔らかい様で硬い、まさか玲香……添い寝してくれたんじゃあ!?
そう思い、期待を込めてその顔を振り向かせた。
だがそこに居たのは……白衣を着たお爺さんだった。
「うおおお!? だ、誰だよ!?」
焦った俺はおもむろにベッドに手を突き体を起こす。 そしてそのままベッドから降りると、素足のまま床に付けた。
「ちょっと勘弁してくれよ……俺はホモでも無ければ老人趣味でもねぇよ!!」
深い溜息が思わず漏れ、安心と戦慄を同時に味わった複雑な気持ちに整理を付ける。
「大丈夫だ俺、なんて事は無い、そういう事だ……」
そう呟きながら壁に背を掛け、息を整えていると……部屋に看護師がやってきた。 朝食の時間だからだろう、食事を乗せたトレーが並ぶ台車を引いてやってきた看護師はふと、俺の方へ視線を向けてきた。
「あら、貴方どこの病室の方かしら?」
「え、いや、俺この爺さんの寝てるベッドの所で寝てたんだけどさ、朝起きたら居てびっくりしたよ」
そんな答えを受けた看護師の顔はキョトンとしていた。
『また俺何かやっちゃいました?』 そう言いたくもなる状況。 だが俺は別に嘘は言っていないし、実際間違ってはいない……筈だ。
「その場所は福田さん……そのお爺さんのベッドの筈ですよ」
……またこの感覚だ。 また、自分の意思とかけ離れた答えが返ってくる感覚。
俺は看護師の答えに応対する事もなく……懐に入れていたスマートフォンを取り出し、おもむろに電話を掛けた。 当然相手は……玲香だ。
トゥルルルル……
「出てくれ……頼むよ……」
トゥルル……ガチャッ
「こうちゃん!?」
「玲香か? ごめん……何が起きてるか判らないんだ……」
「こうちゃん……こうちゃあん……ウゥアァーーー!!」
「玲香……?」
電話の向こうの彼女は……泣いていた。
大声を張り上げ、泣いていた。
何故、そんな悲しい声で泣くのか。
何故、そんなにまで泣くのか。
理解出来ない俺は……自分自身に憤りすら感じ始めていた。
思わず拳が握り締められ、白の壁に思い切り叩きつけられる。 その拍子に看護師が慄き小さな悲鳴を上げた。
「すいません、ちょっと迷惑掛けます」
「は、はい……」
脅えた表情を浮かべた看護師に気付き、声を掛け気を遣うと……電話越しの玲香の泣き声を静かにそっと耳を傾け続けた。
徐々に泣き声が小さくなっていく。 彼女が落ち着いてきたのを見計らい、そっと声を掛けた。
「玲香、教えて欲しい、どういう事なんだ……?」
鼻をすする音……その後に聞こえてきた声は、悲しみを乗せた声……。
「こうちゃん……私の前で消えちゃった……消えちゃったんだよ……幽霊みたいに……スーって……」
消えた、それはつまり、俺が居なくなったという事。
彼女は引き続き教えてくれた。
俺が寝ると言った後、眠りに落ちた途端姿を消した事。
その時から今まで全く姿を現さなかった事。
その事を誰も信じてくれなかった事。
そして……消えてから既に4ヶ月が経過している事。
もはやこれは病気だとかそういう次元の話ではない――そんな事は判りきった事だ。
何かが起きている、そうしか思えない。 超常的な何かが俺の身体で起きている。
冗談では無く……いや、もう冗談など言える状況でも無い。
じゃあ原因はなんなんだ――?
正直、頭が良いと言ったのは嘘で、俺自身はそこまで学がある訳ではない。
だがもし仮に学があろうとも、こんな問題に関して解決策を労せるのは余程の天才くらいでは無いだろうか。
出る筈も無い答えを求めて、俺は無い知能をフル動員し、考え、調べた。 スマートフォンを利用し、思い付く限りの検索をした。 幾度も幾度も、キーワードを変え、検索ツールを変え……。
だが、それに応えるのはいずれも、空想の世界の話ばかりであった。
当然だ、この状況が判っているなら問題になりすらしないのだから。
項垂れ、床に尻を付けて座り込むと……絶望の余りそのまま倒れたくなる。
このまま倒れ、目を瞑ったら……きっとまた「飛んで」しまうのではないか……そう思うと、頭を上げて背筋を伸ばす。 『もう、彼女の泣き声を聞くのは沢山だ』……そう思ったから。 「飛んで」しまえば彼女の声など聞こえる筈も無いが、そんな事を考える余裕すら最早持ち合わせてはいなかった。
それから一時間程が経過しただろうか……他の看護師達が俺を見つめる中、一人分の駆けて来る足音が軽快に響いてきた。
「こうちゃんッ!!」
「玲香ッ!!」
思わず立ち上がり、飛び込んで来た彼女の体を受け止める。 その勢いでくるりと一回転……そしてお互いの顔が、お互いの目が合い、見つめ合う形と成った。
「良かった……こうちゃん……本物のこうちゃんだ……」
「うん、俺は本物だから……幽霊でも何でもないから……!!」
彼女を強く抱きしめ、震えた肩をしっかり掴んだ。
弱々しい肩は、彼女が今の今までずっと苦しんできたからだろう……それほどまでに想ってくれたからだろう。
だからこそ、俺は……彼女に応えたい、その気持ちだけがどんどんと強くなっていった。
「玲香、一旦ここを出よう? そして、原因を突き止めよう」
「うん……うん……」
こうして病院を離れた俺達は、体がそんな体質になってしまった原因を探す為に……そしてあわよくば解決をする為に行動を始めた。
まず第一に、俺が変化したきっかけを探す事にした。 きっかけとはつまり、俺が最初に「飛んだ」日の前日の事を指す。 この候補は幾つかあった。
一つ、俺が玲香と付き合い始めた事。 二つ、初めてのデートを行った事。 三つ、世界の鉱石展に行った事。
……どう考えてもこれは三つ目しか考えられなかった。 人の付き合う付き合わないで宇宙の法則が乱れるなら、リア充全員が時の彼方へ消えている事になる。 デートも言わずもがなだ。 そして何より、三つ目は余りにも他の候補に比べて突出し過ぎている。 本命はほぼここに在ると思ってもいいだろう。
俺達は歩きながら街へと向かっていた。 目指すは市立展示場……。
だが、既に展示会は終了しており……ガラスの壁の向こうに見えるのはただの大広間……俺達は途方に暮れて展示場前にて立ち尽くしていた。
「……鉱石展で、何が問題だったか、考えよう?」
「そうだな」
俺達は第二の原因……きっかけの対象を考える事にした。 これに関しては候補がありすぎて悩ましかった。
アメジストの原石か、虹色の鉱石か、それとも……。
考えれば考える程、思い付く物が増えていく……そんなジレンマに苦しんでいた俺は頭を抱えた。
だが突然、何かを思い出したかの様に玲香の頭がピンと跳ね上がった。
「隕鉄!!」
「あっ!!」
そう、隕鉄だ。
あれは確かに特徴的だった。 そして一番……空想的だった。 今俺の体に起きているのもまた空想的……ならば関連付ける事は出来るだろう。
あくまでも仮定の話だ。 科学的根拠など全く存在しない。 確証すらない。
だが、それでも縋りたくなる……俺達はこの現象に対して、余りにも無知だったから。
展示場の係員に話を伺い、鉱石展の展示品がどこへ行ったかを尋ねてみる事にした。
展示場の係員が丁寧に教えてくれた。 展示品である鉱物サンプルは幸いな事に、なんとこの街の隅にある地球科学技術センターという場所に保管されているらしいとの事。 海外に行っていたらどうなる事かと思っていたが、思った以上に近くに在る事に安堵の息を漏らさずにはいられない。
「もしかしたら解決はあっという間かもしれないな」
そう言ったのは誰でもない、玲香の為だ。
彼女は憔悴しきっていた。 俺が消えた唯一の証人でありながら俺が消えた事を信じてもらえず、疑いの目で見られ続けてきた事を教えてくれた。 憤りを隠せなかった。 彼女は言わなかったが、責め立てた奴もいるだろう。 ぶん殴ってやりたくなる。 だが今はそんな事よりも何よりも、彼女を安心させて体を労らせてあげたい……その気持ちが何よりも断然に強かった。
「元に戻ったら、またデートしよう。 一杯遊んで、一杯楽しんで」
「うん……そうだね……楽しみだなぁ」
その時、彼女の顔が笑った気がした。
君の笑顔は素敵だから。
笑っていて欲しいから。
俺に向けてくれるその笑顔が……堪らなく愛おしいから――
だが時として現実は残酷である。
「申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
俺達を待っていたのは、その一言だった。
地球科学技術センターとは聞こえはいいが、いわゆる国家機関……そこは地球科学に関する様々な分野の研究開発を行う機関の所属する研究施設であった。
機密の溢れかえるその場所に一般市民が足を踏み入れる事は簡単には許される事は無かった。
門前払いをされた俺達は再び途方に暮れ……やむなく帰路に就いていた。
やり場の無い怒りが込み上げ、腕が震えて来る。 その横で玲香ががっくりと肩を降ろし虚空を見つめていた。
「もし、こうちゃんがまた消えたら……次はいつ、会えるかな」
「……」
「また……会えるかな……」
嘘でも「大丈夫だ」って声を掛けてあげたかった。 でも、今の俺には掛けられる言葉は何も見つからなかった。 自分自身でも一杯一杯だったという事もある。 でも何より……彼女にどうして欲しいか……判らなかったから。
夕焼けが、周囲を闇に落とそうとしてくる。
俺の瞼も、きっと時間が立てば夕焼けと同じ様に視界を闇に降ろすだろう。
次に瞼が降りた時、俺は……彼女に会えるだろうか。
いや……きっと……もしかしたら――
沈む夕日に合わせて気持ちも沈み、瞼も沈む。
思考を始める為に、沈み込む。
なんだろう、俺の人生は。
まるで、本の様だ。
ページを開く度に、新しい展開が現れる、中途半端な物語の様だ。
やめてくれ!!
俺の人生は、本なんかじゃない!!
俺の人生を、もう開かないでくれ――!!
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――――――――――――――――――
――――――開きますか?――――――
――――――――――――――――――
――――――――――――――――――
「――こうちゃんっ!! やっと会えたっ!!」
突然、その声と共に暖かい感触が体に伝わり始めた。
なんだろう……そう思いながらも閉じていた目を開くと……俺に抱き着く玲香が居た。
でもどこか雰囲気が変わったような……彼女の大人びた感じが更に強くなったような。
思えば服装もいつの間にか変わっている。 さっきまではラフな格好だったのに、今はフォーマルなスーツを着こなしているのだ。
その様子、その姿を前に……俺は起きたであろう事実を受け止め切れず……唖然と唾を飲み込んだ。
「……俺、もしかして……飛んだ……のか――?」
その問いに、玲香が静かに頷く。 その途端、俺の体の力がドっと抜けきった気がして……膝が崩れ倒れそうになったが、彼女がそっと支えててくれた。
「こうちゃん、危ない……」
「あ、ああ……ごめん……」
彼女に支えられたままゆっくり膝に力を篭めると、まるで生まれたばかりの小鹿の様に脚をプルプルと震わせながら立ち上がる。
もう何もかもが判らない。 眠った訳でも無いのに飛んでしまった……その事実を前にただ項垂れるばかり。
「玲香……俺、どれくらい飛んだ……?」
「んと……そうだね、6年、厳密に言えば5年と9ヶ月かな……」
どんどんと広がっていく間隔、もはや止まる事さえ出来ないのだろうか。
眠るだけでなくただ目を瞑っただけで「飛ぶ」のなら……俺はもう、彼女との時間を共にする事は出来そうにない……。
そう、口にも出さず考えを張り巡らせていると、不意に玲香が抱き込んでいた俺の体をそっと離した。
「こうちゃんは変わらないね……あの時ままだ」
一歩離れ、腕を後ろに組むその姿は……「さっき」と変わらない夕日に充てられ輪郭を映えさせる。 俺を見つめる瞳が半目で開き、彼女の優しい気持ちが手に取る様に判る表情を浮かべていた。
「さっき」までとは違う、憔悴していた彼女など最早一片すら感じられない程に麗しくなった――君。
着慣れたスーツ姿から察するに、彼女は既に就職しているのだろう。 小さなバッグや髪留めで纏め上げられた髪……先程まで働いていたかの様な身なりだ。
「玲香は随分変わったね。 さっき……いや、5年前はあんなに疲れた顔をしていたのに」
「そうだよ~あの後大変だったんだから……フフッ」
彼女が言うには、俺が消えた後……結局俺は姿を現した事には成らなかったそうだ。 反論する事を辞めた彼女は勉強に打ち込み、見事某一流大学へと進学したらしい。
だが今回の一件があり、俺の両親とは折り合いが悪くなってしまったそうだ。 また、俺が居なくなった事で父母同士も不仲となり、離婚して家を出て行ってしまったらしい。 聞くと、元々仲が良くなかったそうだが、俺が居た事でその仲を繋ぎ留めていたと母親が漏らしていた事を教えてくれた。 元々二人は仕事人間だった為か……特に争う事も無く離婚は成立したとの事。 それだけでもまだ救いがあるだろう。
ちなみに4ヶ月姿を消した際には警察を動員した探索も行ったと、今ここで初めて聞いた。
「――今ね、私……とある所で働いてるんだ。 どこか教えてあげようか?」
「うん?」
彼女が急に話題を変え、俺に問い掛けをする。 でも答えなんて判る訳は無い。 就職先なんて、彼女の様な学歴保持者であれば幾らでもあるのだから。
だが、ふと……答えてみたくなった。 そう問い掛けたという事は、俺が知っている答えなのだろう……そう思ったから。
そう思った矢先、俺が口を開くよりも先に彼女の口が得意げに開いた。
「時間切れ……答えは、『地球科学技術センター』だよ」
その答えを聞いた時、俺は言葉が出なかった。
地球科学技術センター……それは俺がこんな体になってしまった原因だと思われる隕鉄が保管されている場所。 彼女はもしや……あの隕鉄を手に入れる為にそこに就職したのだろうか? だとしたらつまり、彼女は俺の為に人生を奮ってそこに就職したという事だ。
その時、自分の中で何かが弾ける様な……頭を締め付ける感覚に襲われた。
彼女の夢は教師になる事、の筈だった。
俺達は恋人同士になる前に「将来は何に成りたいか」と語り合った事がある。 その時、教師に成りたいと言い放った彼女の顔はとても自信に満ち溢れ、本音であるのだろうという想いをひしひしと感じさせてくれたものだ。
そんな彼女が自分の夢を捨ててまで、こうやって俺の為に何かを成そうとしてくれている。
俺はそんな彼女の好意が堪らなく嬉しくて……それでいて……哀しかった。
「どうして……君は……そこまで俺の為に何かをしようとしてくれるんだ……?」
「えっ?」
「なんで君は自分を犠牲にしてまで……俺に会おうとしてくれたんだ……!? いつ戻って来るかも解らないのに……なんで――」
感情が昂り、声が詰まる。 呼吸が上手く出来なくて、声が掠れて……それが悲しみを引き寄せて、顔が歪んでいく――。
解らない。
俺には解らない。
君の気持ちが解らない。
君の心は判っていた筈なのに、君の心がまるで別の誰かに変わってしまった。 そう思えるくらいに……何も、解らなくなった。
「こうちゃん……それはね、私がこうちゃんの事が今でも大好きだからなんだよ?」
彼女の優しい笑顔が、その言葉が……逆に俺の胸を締め付ける。
「――俺も、玲香の事が好きだ……大好きなんだ!! ……大好き……だから、辛いんだ」
「こう……ちゃん?」
口から出た言葉が発端となって、俺の感情が噴き出す。 流れ出た言葉は最早留まる事無く、感情に任せ彼女に襲い掛かった。
「辛いんだッ!! 君がッ!! 好きだって言ってくれるからッ!! だから堪らなく辛いんだッ!! 俺が大好きな君が……俺の為に犠牲になる事が俺にはこれ以上に無いくらい辛いんだよォッ!!!!」
昂った感情が涙を呼び、叫んだ拍子に激しく縦に振られた顔から雫が宙を舞う。 その水滴が僅かに彼女の服に舞い散り……誰も気付かない染みを滲ませた。
「……もうっ……嫌なんだ……君を縛る事が……。 ……だから、もう終わりにしよう?」
「終わりって……」
「玲香……君はもう、俺の事を忘れて幸せになって欲しいんだ……もう俺の事を待たないで欲しいんだ……お願いだよ、じゃないと俺もう……耐えられそうにない……」
―――君が何よりも大好きだから―――
その言葉を言えば、きっと彼女は諦めないだろう。 だから……口に出す事は無かった。
それでも彼女は首を振り、潤わせた目で見つめ受け入れようともしない。 彼女は彼女なりの算段があるのかもしれない。
けれど、それすらも俺にはもうどうでもよかった。 俺が、自分自身をどうでもよくなっていたんだ。
―――だから。
胸が張り裂けそうな想いに駆られながらも、俺は精一杯の笑顔を彼女に向けた。 笑窪ができ、筋肉の動きが伴い目元が動くと、浮かんでいた涙が動きに煽られ頬を伝って流れ落ちた。
そんな精一杯の笑顔を前に、玲香は慌てその手を突き出す。
「こうちゃ―――――」
「さようなら」
暗闇と静寂が意識を支配した。
この感覚が、いわゆる「飛んだ」感覚なのだろう。
これが何なのかは、判る筈も無い。
けど、こうやって考えてる間に、時が過ぎて、でもそこに俺は居なくて。
目が開いたら、また新しいページが開く。
でもここに、開きたくない自分が居る。
いっそこのまま暗闇の中で、永遠に居続けたい……そうすら思った。
でも、意思無く「本」が閉じられるのだとしたら、きっと開くのも意思は関係ないのだろう。
そろそろ、時が来る。
きっと次はもう……
――――――
視界が白を帯び、世界を映し始める。
僅かずつ世界が色付き、輪郭を作り始めると……目の前に映った光景にただただ驚きを隠せなかった。
普通の古い家々が並ぶ馴染みのある街並みだった筈のその場所は、白く真新しい道が走り、 周囲に立ち並ぶ建物の多くがスマートに形作られた立方体の様相を浮かべ、等間隔に並ぶ樹木の色彩りを引き立たせる、そんな街並みへと変わっていた。
未来を感じさせるその姿に、関心を誘われざるを得ない。
「どうかしら、未来を肌で感じた感想は?」
突然聞こえてきた声に驚き、声の聞こえてきた方へ振り向く。 振り向き、顔を向けたその先に居るのは一人の老婆だった。
だが、そんな言葉を放つ「彼女」が誰であるかなど……判らない筈も無い。
「玲香……なのか?」
「久しぶり……いえ、貴方にとっては僅か数秒ぶり、と言った所かしらね」
僅かな化粧が乗った顔はうっすらとシワが浮かぶ。 だがその顔はどこか昔の優しい笑顔の面影を残す顔付き。 スレンダーだった体は既に歳の波には勝てずこじんまりとした体格に変わっていたが、それでも背筋を伸ばし姿勢よく佇む姿はレディである事を強調するかのようだった。
「どうして……君には幸せになって欲しいって言ったじゃないか……!! なんでここに居るんだよ!!」
思わず怒鳴りちらし彼女に訴える。 だが、彼女はそんな言葉にも動じることなく馴染みのある笑顔を浮かべ、側にある側道の腰掛けへとそっと腰を掛けた。
「えぇ、貴方の言う通り……私は幸せになったわよ?」
そう言うと、自身の手をおもむろに上げ見せつける……その薬指には銀色の指輪が嵌っていた。
「それ……結婚……したんだ」
「えぇ、おかげさまでね……私を捨てた貴方の優しさにも匹敵するくらいの素敵な男性と巡り会えた」
皮肉交じりの言葉が胸に刺さる……悲しみよりも妙に引っ掛かる感じだ。 恐らく嫉妬みたいな感情も含まれているのだろう。
「フフッ……なんてね、貴方のそんな顔を見てみたいと思ってずっと温めてた言葉なのよ?」
気付けば俺の顔はしかめっ面を浮かばせ、唇が鼻に付きそうなくらいに上がっていた。
「大人になって、随分といじらしくなったんだな」
「そうね。 大人になって、年寄りになったから、生き方を覚えたって事なんだと思うわ」
そう淡々と語る彼女の顔はどこか嬉し気で、流し目でこちらを見る姿が若い頃の彼女の姿を思い出させる。
椅子に座り佇む彼女の姿が、若い彼女の姿と重なった気がした。
「貴方が居なくなってから……おおよそ32年が過ぎたのよ」
「32年……そんなに?」
「えぇ、その間色々あったわぁ……」
もはや驚く事でもなかった。 既に年単位での「飛んだ」経験はあったし、次に飛ぶ時は数十年単位だろうという予想はしていた。 最も、彼女がここに居るという事は予想していなかったが。
「こうちゃんが消えた後も地球科学技術センターで働き続けたわ。そこで働く事に意義があったし、実力も買われていたからね」
自慢げにそう語る彼女の顔は懐かしい事を語るかの様に、うっとりとした目元が虚空を見つめていた。
「幸い、貴方という研究対象があったから、私は仕事をこなしながらずっと貴方の身に起きた事象を調べていたわ。 ちなみにその時その研究に興味を示したのが今の夫。 おかげで夫も貴方の事を認知してくれているし、子供達も貴方の事を知っているわよ」
子供が居るという事にも驚きだったが、なにより俺を研究対象にしているという点に不満を感じざるを得なかった。
「なんだよ……言うに事欠いて研究対象って……俺は実験動物かよぉ……」
「フフッ、でも他に対象が居ないんだから仕方ないじゃない? でもお陰で好評だったわよ。 その研究が実になって、今では日本のとある研究機関のトップを任されているんだから」
「それは凄いな」
自分をダシにしたとはいえ……そんな彼女のキャリアには驚かされる。 彼女は頭も良かったし、当然と言えば当然か。
そういう意味で言えば、彼女の成功に役立てたのは誇らしい気もする。 夢も成長すれば目標に変わるという事なのだろう。
「さてと……ここで全てを話すのもなんだし、家に帰りましょう? いいわよね?」
「え? あ、はい」
つい彼女の威圧感に負けて目上の人にするような返事をしてしまった。 やはり人の上に立つ人間はこういった所でも人を従わせるオーラの様な物が出ているのだろうか。
俺は玲香に連れられ、彼女の家へとやってきた。 そこは昔と変わらない、古き良き住宅街の一角。 俺がこうなる前から在り続ける家並みは、今もなお残り続けている様だった。 そして彼女の家もまた同様に昔の面影を残したまま……そしてふと顔が動いた先……俺の家もまた、同様に何一つ変わる事の無い姿を今なお晒していた。
「俺の家……」
「貴方の家はね、私が買いとったの。 中身はいじっているけど、基本的には昔のままよ」
そう言いながら自分の家の扉を開く玲香……その先には待ちわびるかの様に彼女の夫と成人した子供二人が立ち、俺を暖かく迎え入れてくれた。
玲香の言う通り、彼女の夫はとても優しい男だった。 俺の事を認知しているという事もあり、とてもフレンドリーに接してくれた。 俺自身も彼の在り方に甘え……まるで同い年の友達の様に会話を交わしていた。 ちなみに歳はと言えば、俺や玲香と同じ。 つまり、年上だが同年代という訳だ。 昔の事ならば当然話も通じるし、話題もマッチングする。 話している俺自身もあっという間に彼の事が好きになった。 勿論友達という意味でだ。
彼女の子供達はと言えば……どこか彼女の面影を感じる、既に成人した兄と妹の二人。 最初は少し抵抗があったようだが、父親と仲良く話す俺に徐々に気を許してくれる様になった。 玲香の昔の話をすると、恥ずかしがる彼女を尻目に子供達が笑い、そこに俺の自慢の冗談がその笑い声を更に高らかにさせた。
そして玲香は……懐かしの俺との会話に、昔の笑顔の面影を浮かばせていた。
楽しかった時間はあっという間に過ぎ去り、子供達が明日に備えて自室へ戻る。 夫も積もる話があるだろうと席を外し、俺達に気を遣ってくれた。
二人だけが佇むリビングで、お互いが顔を合わせ見つめ合う。 まるで俺達が今でも恋人同士であるかの様に。
「今日は……いや、今まで色々ありがとうな……そんで俺、あの時変な事言っちゃって……」
「気にしないの。 今となってはいい思い出よ。 貴女がああ言ってくれなきゃ私だって踏ん切り付かずにダラダラやっていたかもしれない」
彼女の言う通り、未来など判りようも無い。 結果、今がある……互いに、それで十分なのだ。
「少なくとも、私にとっては充実した毎日だったし、これからもそう……貴方にとっては数秒の出来事でも、私にとっては長い長い日々」
「なんだよそれ、俺に対する嫌味かよ?」
「ふふ、そうね。 ごめんなさい」
先程の彼女の秘密の暴露の仕返しなのだろう……年甲斐も無く舌をぺろりと覗かせると、「フフ」といじらしい笑顔を向けた。
「それじゃあ貴方の事に関して少し話しておかなければならない事があるから、よく聞いて欲しいの」
「……分かった」
途端彼女の顔が真剣な眼差しに変わり、その雰囲気を感じると俺もまた彼女の言葉にしっかりと耳を傾けた。
「私が研究を続けた結果、貴方の体に起きている事が何であるかの確証は得られなかったわ。 けれど仮説を立てた上で貴方の体に起きた現象を考察するに……貴方は今、とてもこの次元において不安定な存在であるという事が判ったわ」
彼女の言う事はつまり、俺の存在そのものがここに居るのか居ないのかハッキリしないという事である。
「とある一定周期、恐らく貴方の存在と、何かしらの座標が合わさった時だけ貴方の存在がこの次元に浮かび上がる。 でも浮かび上がった時は凄く不安定だから、ちょっとしたきっかけでも再び座標からズレてしまう」
「俺が道端で消えた時の事だな」
「そういうこと。 そしてその周期は徐々に広がっている。 それは恐らく宇宙の広がりと地球の自転と公転、月の引力等も影響している可能性があるわ。 勿論仮定の話だから結局は判明はしていないのだけれど」
結局何も判らないまま、という事である。 ただ仕組みとしてはこうかもしれない、というイメージが判ればなんとなく理解は出来る。
「その周期を色々と検証した結果……もっともらしい数値だと、次にこうちゃんが『飛ぶ』のは273年後、そしてその後がおおよそ3000年後、それ以上はもう何があるか判らないから推測のしようが無かったわ。 細かい話は判らないだろうから割愛するけども」
「じゃあもう……玲香と会うのはこれで最後なのか」
「えぇ、そうなるわね」
そんな事を話すと……互いが無言になり、言葉が詰まる。 彼女に別れを振っておきながら、こうやって別れを惜しむ……矛盾しているのは判っている。 それでもやはり、こういった事実があるとしても……俺は普通でありたかったと心に強く思う。
「でもね、こうちゃん……」
沈黙の間を裂いて、彼女の穏やかな声が俺の耳に優しく振れた。
「貴方にとっては、一瞬かもしれない。 その先にもう私達は居ないのかもしれない。 けれど、私達は少なくとも貴方を知っていた。 貴方を想って今ここに居た……その事を忘れないで欲しい。 忘れない限り、貴方の中にはずっと私達が居るから」
最早そこに言葉は要らなかった。
全てを語り、互いが納得し合う。 そして、別れが訪れる。
人生の縮図の様だったこの一日は、俺にとって何にも代えがたい思い出になるだろう。 少なくとも俺がこの事を忘れるまでは。
彼女と夫が俺を見送り、玄関へと誘う。 そんな俺の手には、実家の鍵が握られていた。 彼女が手渡してくれた鍵だ。
「それじゃ……二人共、いい人生を歩んでくれよな」
「貴方も、負けないでね……あっ、そうだ……はい、これ。 旅のお守り」
何かを思い出したかの様に、彼女が自身の羽織る服にあるポケットをまさぐると……そこから取り出した何かが姿を現した。
「これって……隕鉄……!?」
「えぇ、所長権限で持ってきちゃったわ。 跳躍で持っていけるかどうかは判らないけどね」
彼女は言っていた。 この隕鉄はきっと、今回の現象には何の寄与もしていないのだと。 あの時俺達が動いていたのはただの骨折り損に過ぎなかった訳だ。
「……ありがとう、大事にするよ」
「フフッ、ええ。 そうだ、添い寝してあげようか?」
「要らないよ、俺には年寄りを好む趣味は無いからさ」
そんな他愛も無い会話を最後に、俺は彼女達に見送られ彼女の家を後にした。
懐かしき我が家……一分も経たず内に辿り着くその家は、静かに人気を迎え入れる。 玄関を開け、中に入ると……勝手に電灯が付き、屋内に光が走る、完全なるハイテク仕様lの家へと生まれ変わっていた。
なんでも俺が居なくなった後、この家を引き払う予定だったそうだ。 当然だろう、この家はもう彼女の持ち物なのだから。 むしろ今日の今日まで維持してくれていた事に感謝を表したい所だ。
風呂に入り、シャワーを浴びる。 風呂から上がると、全裸のまま彼女の家に向けて手を合わせ感謝の意を表し……俺は今まで身に着けていた服を着て自室へと向かう。
自室の中央には丁寧に布団が敷かれ、側には新品の衣服が添えられていた。 きっとこれも彼女の采配なのだろう。
「用意周到過ぎてゾクゾクするよ……また全裸で祈ってやろうか」
そんな冗談を履きつつ、俺は彼女の用意してくれた服に着替え、荷物を身に着けたまま布団へと入った。 きっとこのまま眠れば彼女の言うとおりであれば273年後へと「飛ぶ」のだろう。 それを見越した準備をしてくれていたのだ。 未来人にみすぼらしい姿を見られればきっと笑われてしまうから。
「ありがとう玲香……俺、お前に会えて本当に良かった……そして、本当に……さようなら、だ……」
目元に熱い物が溢れ、零れ落ちる。
もうあの時には戻れない。 未来への一方通行。
けど俺は、玲香達が居たから……前に進めるのだと思う。
一人じゃないから……支えてくれた人達が居たから……俺は……
自分から、そのページを開く事にするよ。
―――――
ブブーッ!! ブブーッ!!
突然、奇妙な電子音が けたたましく鳴り響く。 それに反応した俺は目を見開いた。
目の前にハッキリ映る光景……白く味の無い建物が幾多にも並び、無数の白い球体が細く浮かんだ道の様な物の上を高速で飛んでいく光景。
ブブーッ!! ブブーッ!!
いまだ鳴り響く奇妙な音。 体を起こしながら煩わしい警告音とも思えるその音の発生源を探すと……すぐ横に居るではないか、小さな丸い何かが。
警光灯を回し、繰り返し音を発するその物体……その裏には高速で走っていたであろう球体が幾重にも止まり並んでいた。
「警告 この場所に 人間 の立ち入りは 許可 されていません」
「え、ああ、そうなのか?」
機械であろうその物体につい問い合わせてしまった。 あまりの状況の変化に頭が追い付いていない証拠だろう。
家に寝ていた筈が、外に居て、しかも道路らしい場所に寝ていた。 273年も経てば家など無くなるのは当然だろうが、余りにも変わり果てていた状況に焦りすら感じる。
だがそんな俺の思考すら意に介する事無く、意思無き機械は言葉を連ねた。
「当警告終了後 10秒 以内に この場から 立ち去らない 場合は 射殺します」
「えっ!?」
突然の射殺宣言。 あまりにも理不尽過ぎる警告。 慌てて俺は立ち上がり周囲に逃げようと走りだした。
「逃げ場はどこだ、どこにある!?」、そう思考を巡らせながら周囲を見渡すが……絶望的な状況に開いた口が塞がらない。
何故なら、俺が立っていたのは……宙を浮く通路……ガードレールすら存在しない、細く長く延々と続く逃げ道の無い場所。
「逃げ場が……無いッ!?」
どうしようもない。
飛んだばかりなのに、世界の事を何も知る事も出来ないまま、俺は殺されてしまうのか。 「そんなのは嫌だ!!」 俺の思考がそれを拒否して一つの答えを導く。
―――飛ぶしかない―――
それは決して身を投げ出す事ではない。 再び時間を跳躍する事だ。 この時代に辿り着いてまだ1分程しか経っていないが……死ぬのは嫌だ。 こんな理不尽な事で、無残に殺されるのだけは絶対に嫌だ。
機械の行うカウントが、間もなく「10」を数えようとした時……俺は咄嗟に目を閉じる。
途端、機械の警告音も、球体の起こす風の音も、世界の香りも、全てが遮断された。
――――――
ふわりとした感覚が体を包んだ。
きっと次は更に3000年後……3001年なのか、3999年なのか、それとももっともっと離れた時代か。
余りにも長い年月を飛ぶ、だからこの間も長く感じるのだろうか。
本当なら、ここいらで神の声だとかそういうモノが聞こえて来てもいいものだが、残念ながらそんな声は聞こえない。
孤独な空間が俺の心に触れてくる。
もうすぐ次がやってくるんだって、声じゃない声が教えてくれた。
――――――
ビョオオオオオ……!!
途端、耳を打つ激しい音が鳴り響き、立ったままの体を吹き荒れた風が絶え間なく煽る。
その風に辛うじて耐えて足を支えると……俺はそっと目を開けた。
目に映った光景は……一面の赤。
赤くキメ細かい砂が地表を覆い、強い風に巻き上げられて空を舞う。 光を遮る程の濃度の砂が、遥か向こうの景色を誤魔化して、全てを赤に染めていた。 地面にはまばらに何かの赤い塊が転がり、茶黒く何かを滲ませていた。
それは金属の様だった。 浮かんでいるのは長い年月が過ぎ去った後であろうと思える程にそれを侵食した錆。僅かに錆びを免れた何かが見た事の無い文字を描いているのが判る。
見上げると建物の様なうっすらとした影が映り、人の姿などは全く見られなかった。
―――人間は、もう居ないのか……?―――
そう、喋った筈だった。
声が出なかった。
途端、胸を突く苦しみが襲い掛かり、口と胸をその手で抑えた。
―――苦しい!! なんだこれ!? ……息が、出来ない!!―――
目にも砂が入り、痛みが襲い掛かる。 呼吸も視界も塞がり、パニックを引き起こした俺は……膝を突き、胸と口を押えたまま蹲った。
―――呼吸したい!! 空気が欲しい!!―――
俺はそのまま思うまま目を閉じた。
――――――
それは瞬きの様だった。
あっという間に、世界が移り変わる。
途端、目の痛みが無くなり……ハッとして顔を上げた。
目の前に広がるのは、真っ白の大地……そして水平線から上は漆黒の闇……砕けた大きな月が宙に浮き、暗闇にその白さを映えさせていた。
息は未だ出来ない。 いや、肺を動かす事すら忘れていた。
だが体が酸素を求める……俺は求めるがままに、瞼を何度も、何度も瞬きした。
――――――
まるでカメラが高速シャッターを切るかの様に、映る景色が次々と切り替わっていく。
―――――――――
黒い宇宙が、星々がはっきり瞬いて見えた。
――――――――――――
太陽が、白く、自分を包み込んでしまうのではないかというくらいに大きく広がり、楕円形に広がっていた。
―――――――――――――――
白い宇宙が広がっていた。
――――――――――――――――――
赤と白が広がった。
―――――――――――――――――――――
黒に染まった。
――――――――――――――――――――――――
白の点が見えた。
―――――――――――――――――――――――――――
助けて……嫌だ……死にたくない……
―――――――――――――――――――――――――――――――
誰か……助けてくれぇ……!!
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ジュジュジュ……チチチッ……
目を背けくなる程の朝の日差しが照り付け、緑が生い茂る小枝の隙間から小鳥が囀りを上げながら羽ばたき飛んでいく。 庭の木から漏れた木漏れ日と、カーテンの隙間から漏れる光が屋内を照らし、フローリングを白く滲ませていた。
「……ンハッ!?」
ビクンと体を一震わせし、途端しきりに周囲を両手でまさぐる。 床がある。 フローリングがある。
そこは、見慣れた風景……家の玄関前の廊下。 俺はそこに倒れる様に、寝転がっていた。 暖かい床が心地よさすら憶えさせる。
「あれ……俺の家……? 夢……だったのか」
壮絶なる夢……悪夢と言っても過言ではなかったその夢はあまりにもリアルで……俺は荒い息を立て、先程まで呼吸困難に陥っていた事を物語っていた。 きっと、床に口が塞がれ呼吸が出来なかったのだろう。
それでも、とても悲しくて怖かったのはハッキリ覚えている。
夢じゃなかったらどうしよう……俺はそう思うとおもむろに立ち上がり、いつもの様にポケットからスマートフォンを取り出すと日付を確認した。
そこに映る文字……「〇月〇日(月)」 という文字、これは俺と玲香が鉱石展へ行った次の日の日時。
「なんだ……そういう事かぁ……ハハッ」
安堵を覚えた俺の口から、無意識に深い溜息が吐き出された。
なんとも壮大なスケールの夢だったのだろうか。 きっとこれは玲香と恋人になった幸せから来る反動だったのだろう……そう思い、俺は堪らず笑い声を上げてしまっていた。 苦しかったから。 悲しかったから。 だから俺は笑い声を上げて誤魔化そうとしていた。
隣に在るリビングに足を踏み入れると、おもむろにテレビを点ける。 途端、画面に先日見たままのチャンネルが表示され、朝の番組が途中から映し出された。 やっている番組はいつも観る朝のニュース番組だ。 この番組は早朝にコメンテーターを呼び一つの話題に対して細かいやり取りを行うコーナーが設けられている。 俺のささやかな楽しみの一つはここにある。
100円ショップで買ったティーパックの緑茶を啜り、落ち着いた心を取り戻す様に一息を付きながらテレビを見る。
映し出された番組は既にそのコーナーに入っており、本日の話題であろう「法制改革 新制度 その始まり」という真面目なお題が掲げられていた。
『――ですからに、全てがズェロから始めるとゆう事ぐぁ、これからぁこの制度ん対する対策ぉに』
「ハハ、なんだよこのコメンテーター、活舌悪すぎだろ」
高らかに笑い声を上げながら、目前に映るコメンテーターの悪すぎる活舌から放たれる言葉に耳を傾け、一生懸命言葉を理解しようとする。 そのコメンテーターが言葉を放てば放つ程……その活舌の悪さに何度も笑いが込み上げてくる。
だが、ふと気付いた。
気付いてしまった。
その活舌の悪さは、コメンテーターだけじゃなかった事に。
「あれ……?」
唖然として声が漏れる。
コメンテーターだけでなく、自分のお気に入りの活舌の良いキャスターまでが彼の様な聞き取りにくい言葉を放っている事に気付いたのだ。
その時、俺の胸の鼓動があっという間に高鳴り呼吸が荒くなっていった。
おもむろにスマートフォンを再び取り出し日付を再確認するが、日時は先程と何ら変わらない日付を映していた。
ふと自分の体を見ると、着込んでいたのは……「夢の中」で歳をとった玲香が用意してくれた服。「こんな服を俺は持っていたのか……?」 そんな疑問が俺の脳裏を過った。
そして静かに……その服に備えられたポケットへと手を伸ばし……まさぐる。
硬い感覚が指に当たり……それを掴み取ると……手に握られていたのは、彼女に渡された「隕鉄」。
「あ……ああ……!?」
咄嗟にそれを放り投げると、隕鉄が「ゴトゴトン」と床を傷つけながら床に転がり音を立てた。
震える指を使い、スマートフォンの画面に触れる。 インターネットを開き「今日」と入れて検索を始めた。
画面のトップ映ったのは「西暦〇年〇月〇日」 という文字。
何も変わらない。
あの時と何も変わりは無い。
ただ、あの日の翌日……そう思っていた。
気付かなければ、判らなかったかもしれない。 終わったのかもしれない。
気付いてしまったから、また始まったのだろう。
「月」という文字の左下に流れる所が……上に跳ね上がっていた。
それだけじゃない。 至る所に映る漢字が、所かしこに微妙に異なっているのだ。
それを見れば見る程……俺の鼓動がどんどんと早まっていった。
「嘘だ……じゃあなんだ、この景色は、この場所は!? 一体……なんなんだ……!!」
頭を抱え床に蹲ると、体全身が震えて止まらなくなる。
ここは現実じゃないのか。
俺はどこに居るんだ。
まだ夢が続いているのか……。
「アアアアァーーーーーーー!!」
恐怖が、苦しみが、俺の心を支配する。
それでも目を瞑る事は出来なかった。
また「飛んで」しまえば、何も理解出来なくなりそうだったからだ。
「こうちゃーん、学校行く時間だよー?」
途端、聞き慣れた声が耳を突く。
「れ……玲香……?」
彼女は居る。 ここに居る。 それは今ここに……そう思うと、何故か急に胸の苦しみがスゥーっと消えていった。
「そうか……居るんだな……良かった……」
そう実感すると、摂取したばかりの水分を絞り出す様に涙がまた溢れ出してきた。 俺はそんな涙を袖で拭うと……ゆっくり立ち上がった。
「そうだ、また始めればいい……何度でも、何度でも」
失ったのなら、始まりまでまた繰り返そう。
――――――
―――
――
―
世界は幾重にも繰り返し、未来を作り続ける。
何億も、何兆も、何京も、何垓も……。
可能性が生まれて、それが成らなければ、また新しい可能性が生まれる。
その中に、今と同じ星が生まれる。
その場所に、人間が生まれる。
そして、彼女が生まれる。
その時に俺は行く。
彼女に会いに、俺は飛ぶ。
それが俺に出来る想いのぶつけ方。
不器用な俺の想いの表し方。
それが「エタリティ_ズェロ」……『永遠らしい世界の始まり』
永遠に……俺は、君に会いに行く。
本作をお読み頂きありがとうございました。
もしよろしければ、一つ感想を頂ければ幸いです。
続きがありそうな終わり方をしていますが、残念ながら続きは御座いません。
もしも続きが気になる様でしたら……読者様の想像にお任せ致します。(溢れ出る丸投げ感)
果てに続く昂輝君の物語がどの様な結末を迎えるか……きっとそれは誰も見届ける事が出来ない程に永遠なのでしょうから。