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そう頻繁には使われない屋敷の大広間。窓やカーテンの周りは私のリクエストした白とグリーンを基調とした初夏らしい爽やかな花で飾られている。私自身も淡いグリーンのドレスを着て、ゆるやかにまとめた髪を金の装飾品で華やかにしてもらった。


原作のソフィアは赤をイメージとしていたから、なんとなくその反対の色を好むようになってしまっていて、たまに私はソフィアのイメージに振り回されすぎじゃないかとも思うのだけど、とにかく徹底して逆を行きたくなるのだ。なにしろ命がかかっている。


私はお誕生日の主役らしく、広間の奥中央の椅子にかけ、挨拶に来てくれた皆さんと順番に話すという役割をまっとうしている。最初のほうに短く挨拶をしただけのメルバ親子はアンゼル・メルバ伯爵とその息子アランのみ、伯爵夫人は不在だ。アンゼルとアランは、仲が悪いわけではないが親しげでもない絶妙な距離で立っている。


アランが私の視線に気付いたように顔をあげた。私は目が合う前に急いで顔をそらせる。目の前にいるお客様に集中しようと顔を見るけれど、なにも頭に入ってこない。


アランは6歳から9歳に成長する間に少し背が伸びていた。自信のないおどおどした感じは和らいで、無表情ではあるものの落ち着いている。長かった前髪は片側を耳にかけているので、左目ははっきり見えている。


その顔が、10歳のときの庭シーンのアランにそっくりなのである。そっくりって、本人に決まっているのだけれど、バラを枯らして泣いているソフィアを慰めているアランだ。あれは。


外で目の前にいるのがアランだと気付いたとき、手紙の返事をくれなかったアランが目の前にいたことにも驚いたし、アランが思ったより成長していたことにも驚いたし、色々な戸惑いでパニックになっていたけれど、とにかくこれまでに何が起こったかに関係なく、アランが原作の姿に成長するということに焦って、逃げた。そして逃げた手前、気まずくて目を合わせることができないでいる。


「どうしたんだい、私のお姫様。おなかがすいてしまったのかな?」

「お父様」


からかう様な表情で、父が呼びかける。そんなに暗い顔をしていただろうか。


「ごめんなさい。お客様の前で」

「そんなことは気にしなくて良い。今日はソフィアが主役なんだから。挨拶が続いて疲れてしまったかな。少し休憩をとろうか?」

「ありがとう。でも大丈夫」


原作ではほとんど登場しなかったけれど、父は本当に優しくて思いやりがあって、しかも仕事ができて自慢の父だ。


「ソフィアがそういうなら。もうすこしお父様に娘を自慢させてくれ」


父の優しい微笑みで少し気持ちが楽になった。


「旦那様、少々よろしいでしょうか」

「ん、どうした」


父の傍に使用人の1人が近寄って、ひそひそと耳打ちをする。


「思ったよりもお早い到着だ。迎えに行かないとな。ソフィア、アルノルド伯爵がお見えになった。お前も一緒にお迎えしてもらえるかな」

「はい、お父様」


私は父に連れられて入り口のほうへ向かった。さすがに伯爵をお迎えするだけあって入り口の使用人たちは少し緊張しているみたいだけれど、嫌な緊張ではなくて、歓迎しているようだ。


アルノルド伯爵というのは、父の主人。

この国は王族が治める国の中央のほかに、16の領土に分かれていて、それぞれを伯爵家が治めている。厳密に言うと16のうち2つは王族が公爵として治めているから伯爵は14人で、そのうちの1人がアランの父親のアンゼル・メルバ伯爵、そしてアルノルド伯爵も14人のうちの1人。一度だけ外から姿を見たときにはかなりのおじいちゃんだった。


このおじいちゃんは最初の奥さんと長男が一緒に亡くなってしまって、今は次男と、後妻が連れてきた三男、長女、次女と暮らしている。


アルノルド伯爵の家族構成に思いを馳せている間に、ヒールの音が響いてきた。グレーの豊かな髪を後ろにぴっしりと固めたアルノルド伯爵は年齢を感じさせないオーラがある。若い頃はかなりのイケメンだったんだろう。身長がとても高いわけではないけれど迫力があって小さくは見えない。そしてその後ろに続くのが次男のゲオルグ・アルノルド。赤茶色の短髪を後ろに流した姿は父親に似てキリッと男らしい顔つきだ。ゲオルグ・アルノルドはソフィアの3つ年上なので現在13歳で、ソフィアの婚約者である。

いや、ちょっと待って。私はだれかと婚約した覚えなんてないし、このゲオルグ・アルノルドと顔を合わせるのははじめてだ。


ゲオルグと目が合った。つり目気味のグレーグリーンの瞳、覚えがある。攻略対象者である。


不覚…!


ひざから崩れ落ちそうになるところを、なんとか我慢してしっかりと足に力を入れる。父と伯爵の挨拶の言葉が遠くに聞こえる。


今日のこの誕生日、10歳になったソフィアにはアランだけでなくほかにもなにかイベントがあったというところまでは覚えていたのに、それが婚約者の登場ということは覚えていなかった。どうやって婚約することになったのか全く覚えていない。


ゲオルグにとって、自分が治めることになる領土の一区画を任されている子爵の娘と結婚するより、隣の領土の伯爵の娘と結婚したほうが良いに決まっているのに。その不思議な婚約の理由が何か分かれば回避できるのに、分からないと回避できない!


とにかくゲオルグは原作のソフィアみたいな子が好きなわけだ。だから私は当初の予定どおり、素直じゃなくて、可愛くなくて、無愛想で意地っ張りで高飛車で嫌味な感じを貫きとおせばいいのだ。落ち着こう。会っただけではイベントは発生しない。


ゲオルグが型どおりの挨拶をする。私も形式にそって無難な挨拶をする。本当にこのゲオルグが婚約者だったっけ?と自分に聞いてみる。ゲオルグの赤茶色の髪は固そうに見えるが整髪料をつけていないときは意外とふわふわしていて、学園にいるころにはかなり体も大きくて大型犬みたいになっているのだ。あ、徐々に思い出してきたけどやっぱり間違いなく攻略対象の1人だった。


じっと見つめていると、ゲオルグの頬が少し赤くなったような気がする。不器用に微笑む。


あ、まずい。


彼はソフィアの誕生日のパーティー、つまり今日、人々に囲まれて明るく笑うソフィアに一目惚れをするんだった。そもそもソフィアの外見が好みなんだ。


パーティーに疲れたソフィアが庭で休んでいるところを追いかけてきて、そこで2人きりで話すうちに、気さくで明るいが少し天然なソフィアを愛しく思い、運命の相手だと感じるようになる。そして次の日、ソフィアの父親であるボルソン爵に婚約の話を持ってくるところからスタートだ。


見てる。すごく私のことを見ている。やめてください。私はソフィアだけどソフィアじゃないんで。


アルノルド伯爵は、ゲオルグ以外の子ども達を紹介して、私の父エドガと一言二言話した後、別の子爵のところに挨拶に行ってしまった。後ろからついてきていたアルノルド家の使用人たちが誕生日の贈り物を大量に運び入れてくれた。


「ゲオルグ様はオーウェン様に似てきたな。ご立派になって」


父がゲオルグの背中を追いかけながら独り言を言った。


オーウェン、とういえば、アルノルド伯爵の亡くなった長男だ。

ゲオルグとは7歳も年が離れていて、相当優秀だったようで、周囲からの期待も大きかった。その優秀な兄が母親とともに事故でなくなってしまい、ゲオルグは突然自分には関係ないと思っていた跡取りの座に。


しかも自分の下には後妻の息子が伯爵の座の継承権を待っている。ゲオルグは兄の面影を追って、日々プレッシャーと戦いながら生きていて、そんな中でソフィアに「あなたはあなたのままで良い」と言われ、ありのままの自分を認めてくれたソフィアにのめりこんでいく。


普段は爽やかで優しく、学校でも人気のあるタイプなのに、ソフィアといる自分だけが本当の自分だ、ソフィアがいないと生きられない、というように自分自身を追い詰めていくプレッシャーに弱い性格で、ソフィアが自分を見ていないと不安になる。最終的にはソフィアが自分しか見れなくなれば良いんだ、とソフィアの目に劇物を入れて失明させ、屋敷に閉じ込めて、ソフィアは学校を中退し、結婚して一緒に暮らしていく、というハッピーエンドだ。これでハッピーって嘘でしょう。


ちなみにバッドエンドでは、目に入るはずだった劇物が顔にかかり、醜く変貌したソフィアを見てわれに返ったゲオルグが罪悪感から自殺、ソフィアは痛み止めがなければ生きられない体で1人で生きながらえるという、無理すぎるルートだった。


たしかゲオルグは、身分にしか興味がなく、媚を売ってくる令嬢たちを嫌がっていた。伯爵という将来の役割から逃げられないんだと強く意識してしまうから、と。だれも俺自身を見てくれないんだ、と悲しげに語るシーンがあったはず。


とりあえずもし近くに来たらゲオルグのことをすごいすごいと褒めておくことにしよう。そうと決まればネタ集めだ。


「お父様、ゲオルグ様のことを少し教えていただけませんか。アルノルド伯爵のご子息のことなのに、全然知らなくてお話もできないなんて失礼なことをしてしまったわ」

「ゲオルグ様のことか……私もすごく詳しいわけではないけれど、領地内では評判の良いご子息で……」




一通りの挨拶が終わったので、私は軽食をつまみながら会場を観察していた。時々アランが私に気付いて近づいてこようするたびに、私は適当に誰かを見つけたふりをして少し距離をとる。それを繰り返していくうちに、アランは私には近づいてこなくなった。昔より空気を読めるようになったみたいだ。前は私が無視したり拒否してもしつこい後を追いかけてきていたのに。


小動物みたいにじっとこちらを見てくるのは正直心苦しいけれど、気まずくて話ができる気がしない。私だってアランに会えたことは、元気そうにしているのが分かったのは少し嬉しいというか、安心したけど。手紙の返事もくれないし、原作どおりに育ってるし、どう接していいのかわからない。こんなとき、原作のソフィアならためらいもなくアランに話しかけて、会えて嬉しい、と笑顔で言ったと思う。


でも私は原作のソフィアではないし、ソフィアのようには振舞わないと決めたのだ。


なんだか気が重くなってきて、ほんの少しで良いから外の空気を吸おう、と外へ向かって振り向いたら、誰かの背中にぶつかった。


「っ…」

「失礼」


私は愛想がよくないソフィアなので、謝る代わりに会釈する。無表情で相手を確認すると、そこにいたのはゲオルグ・アルノルドだった。年齢の割りに長身でがっしりした体、赤みの混じった短髪、彫りが深くキリッとした顔つき。少しつり目。原作のゲオルグよりも幼いのは年齢が若いせいだ。18歳と13歳ではかなり異なる。


そして彼の周りには、私と同じくらいの年齢から少々年上のお姉さままで、何人もの貴族令嬢がはびこっていた。何しろ彼と結婚すれば伯爵夫人である。私と同じような身分の子爵の娘やそれ以下の貴族からすれば、狙わない手はないだろう。


「ソフィア様」


雰囲気は堅苦しいけれど、表情は柔らかい。優しく、包容力のありそうな笑顔。爽やか。多分兄の面影を追って威厳のある雰囲気を保とうとしているだけで、本来の性格は素直で優しい感じなのかもしれない。まさか年下の少女の目に劇物を入れて失明させるような男には見えない。


「ゲオルグ様、失礼いたしました」

「いえ。先ほどは簡単な挨拶しかできませんでしたね。ゲオルグ・アルノルドです」

「存じています」


ピシャ、という効果音がつきそうな言い方をした。とにかく愛想がない、可愛くない感じを出す。婚約者というなら話は簡単だ。婚約をしなければ良い。

ゲオルグは、主人公の明るく素直、ちょっと天然な性格、他の貴族令嬢と違って家柄を鼻にかけず、健気なところ、そして鈴のような軽やかな笑い声、花のような笑顔に惹かれた設定だ。


ゲオルグは無言である。きっと、顔のイメージと違うとかなんとか思っているところだろう。


ゲオルグの近くにいる令嬢たちが、ゲオルグの気を引こうと、食べ物や飲み物をすすめる。私には簡単な誕生日の祝いの言葉を繰り返すけれど、彼女達が私に興味がないことは明らかだ。


「ゲオルグ様は、お食事は足りてますの?先ほどからあまり召し上がってらっしゃらないわ」

「華やかだけれどお野菜が多いのよね」


ボルソン家の領土は平地が多くて、基本的に畑が多い。若干雨が少なくて食用の家畜のえさが十分育たないから食事はそれほどボリュームがないのは事実だ。だからってそれをこの屋敷の中で言う必要はないと思うけれど。


「ありがとうございます。でも俺は……」

「育ち盛りですもの、足りませんよね」

「ゲオルグ様は普段から猟に出かけていらっしゃるんですよね。その年で魔獣もしとめたことがあるのだとか」

「はい、とはいっても1人ではなくてプロに手ほどきを受けながらですよ」

「とっても勇気があるんですね」

「すごいですわ~」


恐るべし年上のお姉さまである。13歳のゲオルグ君は好き勝手にされて不機嫌そうになってきた。

私もこの流れですごーい、ほんとー、しらなかったー、を連発しようと思ったのだけれど、そんな気分にもならない。これは一応、私の誕生日パーティーなんですけど?それに貴方達が馬鹿にした料理は、この屋敷の使用人たちが朝から一生懸命用意してくれたものだし、材料はこの領土の人たちがこの誕生日のために特別に納めてくれた食品なんですけれど?


「みなさま、パルの果実酒はお飲みになりました?」


ゲオルグを囲んでわいわいしているお嬢さんたちに向かって、私は少しだけ大きい声を出した。その場がシーンと静まり返る。近くにあるオレンジ色の液体が入ったグラスを取った。


「これは我が領土でもたった1つの家しか製造していない貴重なパルの果実酒なんです。なんと樹齢100年の木を親子2代に渡って丁寧に育てて、その少ない果実から絞った果汁を種ごと絞っています。種ごと絞っても雑味の出ない奇跡の技。見てください、こうしてグラスを傾けるととろみがあるのが分かるのでしょう?凝縮された果汁は糖分を豊富に含んでいて、こうして少し重たい液体になるのですが、口当たりはまろやかなんです。色も濁りが上品だと思いませんか」

「…え、ええ、とても美しいですね」

「パルの実は土壌の性質が変化するとすぐに枯れてしまうところを、この製造主は100年以上もの長い間守ってきたんです。その観察眼と植物への愛情の賜物なんです。こんなに貴重で愛情のこもった果実酒が飲めるのは我が家だけの特権ですわ。まろやかな口当たりは黄昏から空が光を失っていく幻想的な時間を思い起こさせるように神秘的で、口に含んだ瞬間に広がる香りは朝露を浴びた花がほころぶように優しいんです」


私はパルの畑の前でおじいさんと息子さん、そしてその奥さんと語り合った日々を思い出し、ついつい熱がこもって拳を握って自慢した。本当に素晴らしいお酒なのだ。どうですか、羨ましいでしょう?この国で飲酒が解禁されるのは15歳で、私は製造過程を見学した歳にほんの一口試飲させてもらった以上はいただくことができなかった。本当は30歳超えているなんて言えるはずがなく、泣く泣く同じ果実で作ったジュースをいただいたところだ。


ゲオルグと貴族のお嬢さんがたは、良い感じに引いていた。


「どうぞご賞味くださいませ」


私はその場にいる令嬢たち、そしてゲオルグを睨むように言った。

その瞬間、1人もグラスを手に取らずに蜘蛛の子を散らすように退散してしまったのは残念だ。本当においしいのに。私は1人で立っているゲオルグを見る。ゲオルグが背筋を正した。


「ゲオルグ様、貴方が駆逐したという魔獣、このパルの畑の傍にもよく出ておりました。貴方のおかげで畑が無事に済みましたから、お礼を申し上げます。……残りの時間も楽しんでくださいませ。失礼しますわ」


お礼を言われたのが意外だったようで、ゲオルグは呆然と私のことを見ていた。私は礼儀作法にのっとって丁寧にお辞儀をする。


メルボン家の人たちを馬鹿にされたようでカッとしてマシンガントークをしてしまったけど、結果的にゲオルグが引いてくれたなら問題ない。もう二度と会いませんように、と祈りながら立ち去る。


「ソフィア様、待ってください」


足を踏み出そうとしたところで、後ろから腕をつかまれた。


「少し俺と話しませんか。2人で」


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