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「違う」
「だめ」
「もう1回」
何がどうしてこうなった。
私は目の前で仁王立ちしているアランに、ちら、と視線を投げた。
アランが頷く。
しぶしぶ噴水から水を救い上げ、手のひらで魔術を込める。
「力がばらばら。ずっと同じ力」
「速すぎる」
「きゅってしないで」
きゅって何だよ。
集中力が切れた瞬間、ぱき、と鋭い音がして氷が割れた。
地面に落ちた氷を拾って、アランが太陽に透かす。
「昨日より透明になった」
「は、はは……」
私は力なく笑うしかない。
アランのスパルタ氷魔術訓練は、初めて噴水のところで練習をしてから、毎日続いている。
ことの発端は、アランがウサギのように私から逃げ去った次の日だ。
白い肌、紫色の瞳の下には青いくま。少し充血した瞳。しもやけのようにぼろぼろになった手に握り締められているのは1枚の紙で、そこには事細かに、どの程度の魔力をどれくらい、どんな方法でこめると、どんな氷の粒ができるのか記されていた。
なんだかよく分からないけど、アランが私のために氷の魔術のやりかたを細かく記してくれており、私は敵の手の内を知るために、訝しく思いつつも、前日と同じように氷の魔術を練習した。
少しでも違うところがあると、アランは自分で作った図表を元に、やれ魔力をこめすぎだの、最初が速くてあとが遅いだの、右手だけ強い、遅い、集中してない、などなど細かい指摘をしてきた。新しいミスが発生するとまた紙に書き込みをして、私用のオリジナル教本みたいなものができあがっていた。
その執着心とも言えそうな熱意になんだか怖くなってきたけどアランがあまりにも真剣だし、それを作るために手がしもやけになるまで試してみたのかと思うと無碍にするわけにもいかず、私は真面目に練習をしているのだ。
そこで分かったのは、私には魔術の才能がないということ。少なくとも氷の魔術については、全然進歩がない。
「割れたけど」
「それは途中で集中力がなくなったから」
人のことよく見てるなあ。
「ソフィアは最後すぐきゅってなる」
「きゅって何?」
「丁寧じゃなくて、きゅって」
アランが一生懸命手を動かす。私は自分の癖と照らし合わせて確認を取る。
「えーと、最後に焦って雑になるから急に魔力がこもってるってこと?」
ぱっと顔が明るくなった。
うんうん、と縦に何度も頷く。
「分かった。じゃあもう一回丁寧にやってみる」
アランが嬉しそうに微笑む。
私は水を浮かせて、魔術を込めて、今度は最後まで焦らず、ゆっくりと力を注いでいく。
私は魔術の才能がないけれど、ゆっくり丁寧に練習すれば少しだけ、本当に少しだけど上達しているみたいだし、それはアランの表情を見ていれば分かる。アランから命を守るために練習しているはずなのに、私はアランが喜んでくれると、ちょっと誇らしくなったりしてしまっている。
「いつまでいるのかしら。旦那様も人が良いんだから……」
その日私は練習を終えて、部屋に向かって廊下を歩いていた。
シーツやタオルが積まれた洗濯部屋を通るとき、扉の奥から聞こえてきた。暇な使用人がちょっとしたゴシップで時間をつぶすのは普通のことだ。通り過ぎてしまえばよいものの、次の言葉でつい足をとめてしまった。
「瞳の色は近くで見た?スミレみたいな紫色よ」
うちにいる紫色の瞳の人物、どころかきっと国のどこを探しても、紫色の瞳なんて1人しかいない。
「紫の瞳なんて見たことないわよ」
「ねえ聞いたんだけど、東南の国には紫色の瞳の亜人がいるって」
「じゃあ亜人の子孫ってこと?」
「そんなの御伽噺でしょ」
「でも今でも耳のとがった子どもや爪のとがった子どもも産まれるっていうじゃない」
「嘘、それが亜人の子孫なの?うちの田舎にもいたわ。ゴブリンみたいな耳で」
「亜人の子孫の男妾でもいたんじゃないの。ほら、アンゼル様が東のほうに遠征にいっていた時期があるじゃない。そのときに見世物小屋の旅人がうちの領土にも来てたの。もちろん私はそんなの観にいかなかったけど、アラン様が生まれた時期を考えるとね」
「分かる。肌は真っ白だし顔もマーサ様に似てるのに、アンゼル様に似ているところはひとつもないのよね。あんな貧弱そうで家を継げないでしょうけど、エドガ様の手前ね……」
マーサというのはアランの母親、アンゼルというのはアランの父親だ。そして、前世の記憶によると、wikiには、アランは瞳の色から母親の浮気を「疑われ」という記載なので事実ではない。アランは正真正銘マーサとアンゼルの子どもで、しかもそれを本人のいないところでこそこそと、それも主人の甥っ子について、噂話をする使用人は果たして給与を受け取る資格があるだろうか。いくら暇だといってもね。
こういう話、本当に虫唾が走ると思ったら、私が前世でこういう扱いを受けたのだ。職場で小さいながらもプロジェクトのリーダーを任されたときに、同期の1人が根も葉もない噂で私の評判を下げようと喫煙室でたむろっていた。小さいプロジェクトだ。少しがんばればその男だって同じようなポジションを取れたはず。その時はどうしていいか分からなかったし、結果を出せば文句を言われる筋合いもないと思ってひたすら仕事をして、疲れて、深夜アニメくらいしか癒しどころがなく、そのまま眠ってしまって死んだわけだ。私を殺したのは間接的にあの男だったのではないかと思えてきた。
この使用人たちを黙らせたい、と私の中に、自分のためなのかアランのためなのか分からない怒りの気持ちが浮かんできた。
アランは無口で頑固でめんどくさいけど、しかも将来的には好きになった女性を殺すかもしれないけれど、今のところ健気で良い子だ。根も葉もない噂で傷ついて欲しくない。こういう言葉は態度にも出るから。
「あの、」
私が扉をあけようとすると、その扉は私の力とは関係なく大きく開いた。使用人たちはいっせいに私のほうを向く。
「旦那様!」
使用人たちの目が驚きで見開き、頬は羞恥からか赤くなる。
父が、私の顔に影を作っていた。
「お父様」
「ソフィアにも気付かず噂話とは、少し手が空きすぎたかな」
使用人たちが気まずそうに目をそらす。
「アランも私の可愛い甥っ子なのだけど、君たちには可愛く見えないようだね。とても悲しいことだが……」
父の顔が悲しそうに歪むと、使用人たちは焦ったように顔をあげた。父のことをとても慕っているようで、悪い人たちではないみたいだった。
「旦那様、私たちはこの屋敷のためを思って言ってるんです!アラン様がいるせいで、私たち町で恥ずかしい思いをさせられました。さっきの亜人の話だって、私たちが言い出したわけではなくて、言われたんです。町で!」
「それは、この家のことを誇りに思ってくれてありがとう。けれど、君たちがアランのことを思うなら、アランのことを家族の一員としてかばってほしかったよ」
「でもアラン様は」
「アランはマーサとアンゼルの子だ。私が保証するよ」
「……」
父がはっきりと言い切ると、使用人たちは黙ってしまった。
「今日のことはとくにとがめない。人がどう思うかは私にはどうしようもできないことだからね。ただ、私がアランを大切に思っていることは理解してほしい」
「申し訳ありませんでした」
「うん、仕事を続けなさい」
父は納得しきっていない使用人たちに頷くと、後ろを向く。
「でも、証拠もないじゃない」
「しっ」
聞こえてるけど、父はその発言を無視をするようだった。
私は廊下をゆっくり歩く父を追いかけて問いかけた。
「ねえ、お父様」
「ソフィアには難しいことを聞かれてしまったね」
父が悲しい顔をする。
「アランはおばさまとおじさまの子でしょ?」
「もちろんだよ」
父の足が止まる。すこしためらうように止まってから口を開いた。
「だから、アンゼルおじさまが迎えに来たんだ。アランとは今日でお別れだよ。さみしいけど、きちんと挨拶をしなさい」
カラン、と後ろで音が聞こえた。
廊下に棒立ちになっているアランがいる。床には丸い氷の塊が転がっていた。