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柔らかい絨毯の上を歩くとき、足音はほとんどしない。大きな窓から入ってくる昼過ぎの優しく寂しげな光が、廊下にぼんやりと影を作っている。

私は自分の小さな足が規則正しく右、左、と先へ進む様子を見る。

本当は、くるっと振り向きたい。振り向いて、確認したい。



今日もアランがいるかどうか。



初めて会ったあの日、私はアランに対して一言も「一緒に遊ぼう」とか、「アランの瞳ってとっても綺麗だね」とか、「アランと一緒にいると楽しいよ」とか、主人公が言いそうなことは口走っていない。確かにアランの目の色は紫色で珍しく、宝石みたいで綺麗だとは思うけれど、コンタクトを取りたくなかったから見つめてもいない。


そして母と父から、「初めましての挨拶はできたかな?実は、今日からしばらくアランが家にいることになった」と言われた時も、「やった」とも「やだ」とも言わず、礼儀正しく挨拶しただけだ。アランは長い前髪がほんの少しだけ揺れるくらいの微妙な角度に首を動かし、挨拶らしきものをした。正直無礼じゃないかと思う。

この私でさえ、将来のヤンデレ候補に向かって怯えつつも、しっかり口を開いて「こんにちは、私はソフィアです」と挨拶をしたのに!

ただしよろしくとは言ってない。



極め付けに、父は、私が頼んだ家庭教師をアランと一緒に受けるように言ってきた。友達と一緒の方が(私とアランは友達じゃない)切磋琢磨できて良いなんて言うし、母も2人が並んでいるのは可愛いと言う信じられない理由でアランと私を並べようとしてくる。私はアランを刺激したくないから何も言わないし、アランは口を開かないので、必然的に私がアランの近くにいることになってしまう。


魔術の訓練の時間も、とにかく私はイライラしているのだ。アランが将来暴走した時のために魔術を強化するのに、アランに手の内を見せてどうするっていうの?しかもアランは一言も口をきかないから、先生だって困ってる。


こんなことになると、家庭教師から習うことだけじゃ不十分。私はいつでも家族一緒にいるのが良いと主張する両親をなんとかやり過ごして、自分で秘密の特訓をしなければならなくなった。7歳らしく親を説得するのはなんて大変なことか。半分、7歳らしく理屈も何もなく「いや!」と言うだけの理由で押し切ることもあるけれど。



冒頭に話を戻して、私は廊下の絨毯の柔らかさを確かめるようにゆっくり歩いていた足をピタリと止めた。

深呼吸をして、足首をくるくると回して、それから、ダッシュした。

それはもう全力でダッシュして、角を曲がった。そして急ブレーキ、振り向く。

同じく走って角を曲がってきたアランが驚きで目を見開く。

初めて表情らしい表情の変化が見えた。あまりにも無表情で何も言わないし、人形みたいなアランに何日も後ろをついてこられることに私は発狂しそうになっていて、コンタクトを取らないと言う掟を破ることを選んでしまったのだ。

普通に話しかけても無視されるから、強行突破だ。


でも、そこから先は予想外だった。アランは思ったより勢いを残したまま私にぶつかってきて、私はそのアランの体重を支えることができず、2人して床に倒れてしまった。

アランが私を押し倒すような形になる。


「あ…」


初めて声を聞いた。

掠れすぎてどんな声なのか分からなかったけど。


アランの瞳は顔の影でほとんど黒に見える。動揺した瞳、小さく震える唇、だんだんと青白くなっていく顔色が、一つ一つ目に焼きつくように飛び込んでくる。

アランは数回ゆっくり瞬きすると、自分のことを落ち着かせようとしているみたいに固く目をつむった。

目を開けて私の上から移動する。

私もアランがいなくなったのでゆっくりと体を起こした。

アランは、私が立ち上がったことを見届けると、ポケットから何か小さな、石みたいなものを取り出した。

指が開ききっていない手のひらの上に、小さな石。私に差し出されても小さな手の影の中で佇む石が何なのか、さっぱり分からない。


「何これ?」


無言である。

自分からものを出してきたのに無言って。

私が何も言わずに、けれどそこを立ち去ることもできず、アランの手を見つめていると、アランはやはり無言で、私の手を掴んで、その私の手のひらに石を乗せてきた。


「冷たっ!」


驚いて、思わず手をはねのけてしまう。

私の手に乗せられた石は、ぽすんと微かな音を立てて絨毯に飲み込まれる。

アランが焦ったように目を見開く。けれどやはり何も言わない。

私に悪意があって渡したようには見えない。


「落としてごめんなさい。大事なものなの?」

「……」


声が出せるのは知っているんだぞ、と思いながら私は絨毯の中に手を入れる。冷たい感触が指先に伝わってきた。

触って見るとやはり冷たい。指で掴んで目の前に持ってくると、それは石ではなかった。


「これは、花?きれい…」


よく見るとそれは透明で、氷らしい。けれど手で持っていても溶けない。多分魔術。

そしてその中央には、スミレのような、小さな花が入っている。光に透かすと氷が虹色に反射して見えて、その中のスミレも花びらが透き通ったように輝く。

そのスミレの花を見つめるアランの瞳も心なしかキラキラしているように見える。

いつもより、ちょっと生気があるような。やっぱり大事なもののようだ。


「はい」


私がアランにその氷を渡そうとしても、アランは受け取らない。手は後ろ。


「どうしたの?」


無言。

いい加減にしろ。

私はそこまで怒りっぽい方ではないけれど、連日のアランのストーカー攻撃と、無言攻撃、そして自分の行動がいつアランの病み要素を引き出すかの恐怖で心の余裕はとっくにゼロなんだ。


「……う」

「う?」

「あり、がと…」


蚊の鳴くよりも小さな、小さな小さな声。もしこれでピアノの演奏が後ろであったら聞こえてない。

確かにアランは私にお礼を言ったみたいだけど、私はアランにお礼を言われるようなことは一度もしてないから、頭にハテナしか浮かばなかった。

無関心でいるために自分から話しかけたことだってないし、優しく微笑みかけたことだってないのに。

意図が分からずアランを見る。アランは何も言わない。

アランの顔はどんどん蒼白になっていく。

うっすら汗が滲んでいる。

手が震えて、ぎゅっと握られた拳は指の方に血が通っていないみたいに不自然な色になっている。

普通じゃない。


「アラン、力抜いて、深呼吸を…」


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