12
勢いで広間を飛び出し、私は夢中で走った。どこへ行こうと考えていたわけではないけれど、いつのまにか昨日燃えたバラ園に来ていた。
燃えカスになった上に、私が土をひっくり返したので、花壇にはバラが植えられていたなごりは何も残っていない。とぼとぼと花壇の前にしゃがりこんだ。
体育すわりの膝の間に、顔を沈める。
呆然とした顔をアルノルド伯爵、そしてゲオルグは、傷ついていた。
他人からあれほど強く拒絶されたら普通の人は傷つくだろう。断ってもめげないところが怖くて、つい過剰に反発してしまったけど、彼は実質私の半分も生きてないのだからもう少し上手に断ればよかった。
この人と一緒になったら両目がつぶれるかと思うと平静さを保っているのが難しかったのも事実ではあるけれど、真剣に求婚してくれたのなら私も逃げずに誠意をもって向き合わなければならなかったのだ。
昨日のことを思い出す。燃え盛る炎は生き物のようだった。思い出すと思わず体が震える。私はどうしていいか分からずにアランに守られるだけだった。火事で死んだ記憶がトラウマになっていたからとかではなくて、とっさのときにどうしていいか分からない役立たずで、ぐずぐずしていてゲオルグにもかばってもらった。そのせいでゲオルグは怪我をして、顔の半分はまだ治療中だ。
魔術もだめ、人付き合いもだめ。シナリオに逆らおうとしてシナリオをなぞり、周りの人も自分も傷ついてぐちゃぐちゃだ。
私が持っているものは主人公らしい顔と、貴族の両親。つまり、私自身の持ち物はなにもない。ただの駄目人間。ずぶずぶとマイナス志向の沼に沈んでいく。嫌なことしか思い浮かばない。もう殺される前に死んだほうがいいんじゃないかという気持ちになってくる。
目の前がじわじわとにじんでくる。目頭が熱くて、ぼろぼろと涙が落ちてきた。つらい。こんな気持ちになるなら、前世の記憶なんてないほうが良かった。転生なんかばかばかしい。記憶がなければ、なにも考えないで、普通に恋をして楽しい人生だったのに。実際のところ恋をして誰かに殺されるかもしれないけど、こんな風にあるかないかも分からないことに振り回されて暮らさずに済んだはずだ。
体育座りで悲劇のヒロインぶってしばらく泣いていると、少しずつ冷静さが戻ってくる。自分ばかり可愛そうに見えてくるけれど、本当にかわいそうなのはゲオルグのほうだろう。そしてアルノルド伯爵も息子に頼まれてわざわざ私の両親に話をしてくれたのに骨折り損でかわいそうだし、さらにいうと私の両親は娘の玉の輿がぬか喜びに終わってかわいそうだった。
どこから対処したらよいものか。気が重いのと同じく重たい体を動かしてのそのそと立ち上がると、屋敷から走ってくる父の姿が見えた。
「ソフィア!こんなところにいたのか」
「お父様、ごめんなさい。探させてしまったの」
父は私の頬に手を添えて、悲しげな顔をした。
「泣いていたのかい」
「……ひどいことを言ってしまったと思ったら、涙が出てきたの。ゲオルグ様のほうがもっと傷ついているのに」
「傷つけてしまったことを後悔して泣いていたなら、ソフィアは優しい子だよ。ひどいことをしたと思うなら、謝ればいいんだ」
「謝っても許してくれなかったどうするの?」
父が優しく微笑む。
「許してくれる方法を考えよう。私も一緒に考えるから、1人で泣くのはおしまいにしなさい」
「はい、お父様。ありがとう」
「うん。さ、ゲオルグ様と伯爵のところに戻って、きちんとお話しよう。大丈夫。伯爵は器の大きな方で理不尽に怒ったりしないし、ゲオルグ様だって優しくて立派な方だから、許してくれるよ」
父に手を引かれて大広間に戻ると、母はおらず、アルノルド伯爵とゲオルグが椅子に腰掛けていた。私を見つけたゲオルグが、すぐに立ち上がって走って向かってきた。私は思わず父の手を握り締める。父は、私の手を優しく握り返し、微笑むと、私をゲオルグのほうへ少しだけ押し出した。父の手が離れる。私はゲオルグに向き合った。
「ゲオルグ様、その、ごめんなさい」
「ソフィア、さっきは、悪かった」
私が体を半分に折って謝るのと、ゲオルグが頭を下げるのは、同時だった。2人分の謝罪が広間に響いた。
「貴方が謝ることなんてなにもありません。心無いことを言ってごめんなさい」
「いや、俺の方こそ、君の気持ちを考えずに、自分の気持ちを押し付けて悪かった」
ゲオルグは顔をあげたけれど、腰は少し落として、私と目線を合わせてくれた。
「でも、嘘は言ってないんだ。もっとソフィアのことを知りたいし、俺のことを知ってほしい。だから、俺と友達になってくれないか」
グレーグリーンの瞳が不安そうにゆれる。初夏の午後の太陽を浴びて、黄色みを帯びている。
「はい」
私は小さくうなずいた。ゲオルグが、昨日と同じ、眩しい笑顔を見せてくれた。すぐ後ろにいる父の顔を見上げると、父は誇らしい顔をして、私にウインクして笑った。
その後、父とアルノルド伯爵は2人で少し話があるというので、私とゲオルグは椅子に座って父たちを待つことになった。昨日のダンスのときと続きで、私とゲオルグは自分たちの父の後ろを回って見たことを共有しあい、今一番興味がある魔術について話した。ゲオルグが伯爵に連れられて彼らの屋敷へと戻るとき、私は、私が15歳になったらゲオルグと一緒にパルの果実酒を飲みながら語り合おうと、その約束をしたのだった。
伯爵とその次男が馬車で移動するのを見送りながら、私は父に尋ねる。
「お父様、お父様と伯爵は、仲が悪くなったりしなかった?」
「もちろん。伯爵はとても寛大な方だし、ソフィアのことを気に入ってくれたみたいだよ。とても公正な人なんだ」
「そうなのね。お父様に迷惑にならなかったなら、よかった」
「そんなことはソフィアは心配しなくて大丈夫だよ。ところで、ソフィアは自分で選んだ人と結婚したいと言ってたね。それはアランのことなのかい?」
突然アランの名前が出てきて驚いた。私はすぐに首を横に振って否定する。
「そんなこと考えたこともなかった。そうだわ、お父様、私はアランにも謝らなければならないの。アランはもうおじさまと一緒に帰ってしまった?」
「いや……」
父は少し考え込んだ顔をしてから口を開く。
「…アランはいまちょっとお休み中みたいでね。起きているかな」
「どうして?」
「昨日使った魔力が多かったのか、なにかほかの問題があったのか、ひどく消耗してしまったみたいだよ。まさかアランがフレームウルフを止められるとは思わなかったな。とても立派だったね」
「アランも怪我をしたの?」
「いいや。怪我は軽いやけどだからたいしたことはないよ」
「お見舞いにいってもいい?」
「話しをしたいなら別の日が良いかもしれない。とても疲れているみたいだからね」
「そう……」
アランは私のことをかばってたくさん魔力を使ってしまったみたいだった。アランとちゃんと話しもしようとしないで、逃げてばかりだった私のために。
「お話しはできなくても、顔を見るだけならきっと大丈夫だ。2階の奥の客間にいるからいってきなさい」
私がよっぽどな顔をしていたのか、父は諦めを含んだ優しい顔で背中を押してくれた。
「うん」
私は父に教えてもらった一番奥にある客間に向かう。アランが寝ていた場合を考えて、音を立てないようにゆっくりと扉を開いた。部屋の奥にベッドがあり、その隣には椅子に腰掛けたアンゼルがうつむいて眠っている。
ゆっくりと中に入って、慎重に扉を閉めた。すこしだけ鈍い音が響く。私に気付いた使用人のライラが気を使って近くにきた。私は何もしなくてよいことを伝えて、足音を立てないようにベッドに近づく。
アランはベッドの上で目を瞑っている。顔色に生気がなくてまるで死んでいるみたいだ。
「アラン」
私はアランを起こさないように名前をささやいて、布団の上に出ているアランに手に触れてみた。眠っている子どもに独特の高い体温を感じて、死んでいないことに安心する。
すぐ隣に座っているアンゼルの顔にも少し疲れが見えている。もしかしたら昨日は一晩中起きていたのかもしれなかった。
「ごめんなさい」
2人に静かに謝罪した。聞こえていないから自己満足だ。あとでまたゆっくり話しに来よう。アランの手を布団の中に入れようと思って握ると、アランが身じろぎをした。指がぴくりと小さく動き、アランがゆっくりと目を開ける。
「あ、ごめんなさい。起こすつもりはなかったの」
「ソフィア?」
アランの声は乾燥からかかすれていた。私はライラに頼んで水を持ってきてもらって、ベッドのすぐ横に置いてもらった。アランが体を起こすと、グラスに注いだ水を渡す。アランは一口水を飲んでから口を開いた。
「顔に傷が残ってる」
「たいした傷じゃないわ。かさぶただし、そのうち消える」
「痛そうだよ」
「全然。……ちょっとかゆいけど」
アルノルド伯爵やゲオルグ、両親も、少し顔に傷ができたくらいで心配しすぎだ。こんなもの小さい子どもの肌の代謝があれば1週間もあれば目立たなくなってしまう。
「私より、アランが大変でしょう。魔力をたくさん使わせてしまってごめんね」
「魔術のせいじゃないよ」
「え?」
「ソフィアと話せてほっとしたから、気が抜けただけ。ここに来るまでとても緊張してたんだ」
アランは私の言葉を待つみたいに、私をじっと見ている。アランは昔からそうだ。大事なときには譲らず、じっと見つめる。
「……手紙のことね。私は、返事をもらえてないのは自分のほうだと思ったの。何度送っても反応がないから。それで、ずっと返事をくれていなかったのに、昨日突然アランが現れて、驚いてしまったわ。今更何って思って、たくさん怒った気持ちが自分の中でぐるぐるして、耐えられなくなって逃げてしまったの。一度逃げたら気まずくなって、自分から話せなくなってしまって、アランのことを傷つけたと思う。本当にごめんなさい」
昨日自分がしたことを思うと、アランの顔を見るのも気まずい。ただ今日もまた逃げるわけにはいかないので、私は最後までアランから目をそらさずに言い終えた。アランは瞬きを何回かしただけで、怒ったり、悲しんだりしなかった。
「僕たち、お互いに誤解してたんだね。ソフィアにちゃんと会いにきてよかった。こうやってまた話ができて嬉しいよ」
アランが控えめに微笑む。アランは大きな口をあけて笑うことはないみたいだけれど、笑うときに目はとても優しくなる。きっと心がとても優しいんだ。
「いい考えがあるよ。今度から手紙はキラナに運んでもらうことにする。郵便屋に頼むと、魔力を込めた手紙はくすねてしまうこともあるみたいなんだ」
「キラナ?」
「外国の商人からもらった白い鳥だよ。昨日ソフィアに手紙を届けてくれたでしょう」
「あの鳥がキラナっていうの」
「うん。キラナはとても賢くて、一度覚えた家は忘れないし、とっても飛ぶのが速いんだ。だから、また僕に手紙を送ってね。絶対返事をするから。絶対。約束だよ」
昨日あんなに逃げ回ったのに、アランは怒ることもなく、私に小指を出した。この世界でも小指を結ぶのは約束のしるしのようだけれど、針千本は出てこない。
「約束ね」




