10
「アラン、ええと、久しぶり」
アランがバルコニーに足を落とした。かつん、と音がする。
「ソフィア!やっとつかまえた!」
私が足を後ろに引く前に、アランがぐっと距離をつめてきた。
ぐ、と腕をつかまれた。私の知っているアランは背が低くてやせっぽっちで、病人のような色の白さもあって弱そうだった。でも今のアランは私と同じぐらいの身長があって、手も子どもながらにしっかりしている。そして握られた腕は少し痛い。
腕を放してもらおうと抵抗すると、もっと強くつかまれる。本格的に痛くなってきた。私のことをまっすぐ見つめてくる視線が怖い。
「どうして逃げるの。僕なにかした?」
「っ……」
私が何も言えずにいると、アランがふと腕を放した。
「今日、会えるの楽しみにしてたから悲しくて……手紙も返事をくれないし、僕のことなんて忘れちゃったのかなって」
アランの瞳に涙が溜まり始める。
アランは今何て言った?手紙の返事をずっともらえなくて、不安になっていたのは、私のほうだ。
「アラン、その手紙って、」
ちゃんと確認しなくちゃ。アランは涙でいっぱいになった目を私に向ける。ぽろ、と涙が落ちる。
「きゃーーーっ!」
私がアランに手を伸ばしかけたとき、部屋の中から悲鳴が聞こえてきた。
「な、何?」
尋常じゃない悲鳴だ。私とアランがいるバルコニーに人が集まってくる。え、ちょっとまって、私とアランが2人でいるのってそんなにいけないことなの?!
「なんだあれ、火事か?!」
「え?」
人々の視線は私とアランではなくて、その向こうに向いているみたいだった。視線の先を見ると、夜でも分かるくらいの大きな灰色の煙がたっている。そして、その出所は、バラ園だった。
「私のバラが!!」
「ソフィア、危ないよ!」
バルコニーから身を乗り出そうとしたところをアランに止められた。
「でも、バラが燃えちゃう!」
「僕がなんとかするから、一緒に行こう」
アランはバルコニーの端まで走って、両手を前に出す。吹雪が吹いて、バルコニーから地面に降りる階段が出来ていた。
「こっち」
アランに手を引かれて、私は階段を駆け下りる。後ろでだれかに名前を呼ばれたけれど、振り返らずに急いで駆け下りた。
バラ園に近づくにつれてどんどん温度が暑くなってくる。肌が焼けるように熱くて、あまり近寄ることも出来ない。
「何あれ……?」
私が一生懸命育ててきたバラは、踏みにじられて、無残に燃えていた。バラ園の上には、炎が勢い欲燃え上がっていて、それはまるで狼みたいに、生き物の形をして見えた。
「フレームウルフだ。上級魔術なのに、なんでこんなところに」
炎の魔術を使って、誰かが私のバラ園を、わざとこんなふうにしたんだ。よい香りがするはずの花を全部燃え落ちて、焦げ臭いだけ。みっしりと茂っていた茎や葉も、墨になって朽ちている。
「ひどい。こんな……」
「ソフィア危ないよ!」
炎の化け物を睨むと、その口から真っ赤な炎が吹き出てきた。
「くっ!」
アランが目の前に氷の壁を作ってくれて、なんとか無事だった。
「ソフィアは下がってて」
「でも」
「僕は炎の魔術とは相性が良いから大丈夫。でも、ソフィアを守るほどの力がないから、下がって」
氷の壁はすでに溶けはじめていて、長くはもちそうがない。私は頷くしかなかった。アランが微笑む。
これまでずっと魔術の練習をしてきたのに、こんなときどうしてよいか分からない。私の魔力は強いとはいえなくて、水の魔術で攻撃しても焼け石に水なことがわかるし、風を吹かせたら炎を助けてしまう。
考えろ、考えろ。私の魔術でもできることで、この炎に対抗できるもの。
花壇にはもうバラは跡形もなく、ただ土だけが広がっている。
そうだ。土だ。炎は酸素がなければ燃えないのだから、土をかぶせてしまえばよい。
そうと決まれば、私は懇親の魔力を込めて、土の壁を作り、そのまま炎でできた狼に多いかぶせる。
ゼロからなにかを作るより、その場にあるものを動かすほうが魔力の消費はずっと小さい。私の魔力でも、花壇の土を丸ごと持ち上げるくらいは出来る。
大きな砂埃が舞った。
「はあ……」
後ろを向いたアランと目が合う。どうよ、と微笑むと、アランも微笑み返してくれた。
「ソフィア、伏せろ!」
終わった、と息をついた瞬間に、後ろから突き飛ばされた。
「いたっ!」
顔を上げると、ゲオルグ、そして、土の中から起き上がってきた炎の化け物が飛び上がって、ゲオルグに襲い掛かろうとしているところだった。
「ゲオルグ様!」
ゲオルグの顔に炎に火の粉が散る。その爪がゲオルグの顔を貫くかと思われた瞬間、炎は凍りに包まれて、そのまま地面に追突して粉々に割れた。
「これはどういうことだ」
アンゼルが慌てた顔で走ってきた。
「アラン、怪我はないか」
「僕は大丈夫です。ソフィアとアルノルド家のゲオルグ様がお怪我を…」
青い顔をした父もすぐに私のところにやってくる。
「ソフィア!ああ、顔に傷が…なんてことだ。なんてことだ」
緊張がほぐれると、顔がずきずきと痛み出した。先ほど押されたときに、顔から地面につっこんでしまったみたいだった。
「あ、ゲオルグ様は」
ゲオルグの顔の半分は火の粉が散ってまだらに焼けどになっていた。
「大変!」
「すぐに流水で冷やして、治癒の魔術を。ドクターを呼んでくれ!」
父が使用人たちに命令を出す。炎の化け物が消えたあたりは突然暗くなった。光の魔術を込めた照明機器が、室内から出てきた人とともに集まってくる。ざわざわと騒ぐギャラリーの中に、青い顔をした3人組を見つけた。
ゲオルグから顔をそらして、逃げるように暗闇へと消えていく。
「ちょっと待ちなさい!」
私は思わず追いかけていた。何か知ってる顔だった。
3人組は明るい色のドレスを着ていて、暗闇でもそう簡単には見失わなかった。屋敷の影まで走って逃げたところで、ここは私の庭だ。すぐに行き止まりまで追い詰めることができた。
「貴方達、何か知ってるんじゃないの」
「何ことかしら」
「じゃあなぜ逃げたの?」
私は目の前で体を寄せ合う少女たちに詰め寄る。一番中心にいる背の高い少女が、強気ににらみ返してくる。その両隣の明るい髪の少女と、背の小さい少女も順番に睨みつける。
こういうときは、本当なら一人ひとりばらばらにして話を聞くほうが良いけれど、残念ながら私には協力者がいないので、1人で尋問しなくてはならない。
無言の時間が過ぎていく。
「……めんなさい。ごめんなさああああい」
明るい髪の少女が突然泣き出した。
「ちょっとメアリ!」
背の高い少女がメアリと呼ばれた少女を睨んだ。
「怪我をさせるつもりじゃなかったのよ!貴方がゲオルグ様を独り占めしようとするから、ちょっと嫌な思いをさせようと思って……ゲオルグ様は私のものなのに!」
「貴方はゲオルグ様の婚約者かなにかなの?」
「違うわ。でも昔から好きなの!」
昔って、そんなこと言うほどの年でもないだろうに、といいそうになって黙った。
彼女は本気なのだから仕方ない。
「ちょっと怪我をさせるつもり……ね」
私は自分の顔をなでた。ぴり、と軽い痛みが走る。顔も洗っていないから砂利がついたままだ。
「ひっ、ごめんなさい」
私の顔が怖かったのか、3人が青ざめた。
「いいわ、もう……今日のことは良いから、二度と私の前に現れないで。次に同じようなことをしたら、貴方達も同じ目にあわせてやるわ。貴方の顔がこんなふうになっても、ゲオルグ様は好きになってくれるかしら?」
私はメアリの頬をなでた。メアリは今にも泣きそうな顔をしている。
「帰ってくれる?私、今日誕生日なのよ」
3人が無言で勢いよく頷いた。若い女の子をいじめるのはこれくらいで良いにしよう。私は3人から離れ、3人が走って去っていくのを見守った。そして、地面にしゃがみこむ。涙が出てきた。
顔が痛いからじゃない。ここまで頑張って育ててきた大切な花が、いっぺんに消えてなくなってしまったから。しかも、シナリオどおりに、10歳の誕生日に。
私がどんなに頑張っても結局シナリオどおりにしかならないなら、私が頑張る意味なんてあるんだろうか。
「ソフィア!見つけた!おじさまが心配してるよ」
カサカサと草を踏む音がする。顔をあげると、息を切らしたアランがいた。さっき私を守ってくれたのに、お礼を言うのを忘れていた。私は涙を拭いて立ち上がる。
「アラン、さっきはありがとう」
「ううん、僕、ソフィアのバラを守れなかった。ごめんね」
「いいの。こういう運命だったの」
「ソフィア……」
アランは手のひらで一輪のバラを作ってくれた。ただし本物じゃなくて、氷で出来ている。
「僕、お昼の間にソフィアのバラを見てきたよ。すごく丁寧に育てられたのが分かった。きっとバラはソフィアのことが大好きだったと思うよ」
私は氷のバラを受け取る。手のひらにひんやりと冷たい温度が伝わってくる。
「きっとまた会えるよ。一緒に育てよう?」
バラが全部なくなってしまった。慰めてくれたのはアランだった。
でも台詞は違う。
アランと私の関係だって、原作とは違うし、私がバラを頑張って育てたことは、きっと無駄なんかじゃなかったはずだ。
「アラン、ありがとう」
私の目からおさえられなくなった涙が溢れてきた。アランは少し戸惑ったような顔をしたあと、おずおずと私の背中に手をまわして、抱きしめてくれた。




