第26話 故郷の傍で
「アンタ、レインが生きてたよ! 早くこっちに来とくれ!」
母さんは家の方に向かって大声で叫んだ。
父さんも家に居るんだろうか。
奥から顔を見せたのは、やはり父親だった。
僕の知っている顔よりも老け込んでいて、目の光も暗い。
そしてその目を僕に向けてから、小さな会釈を送ってきた。
「どうもすみません、旅の方。妻がご迷惑をおかけしました」
「い……いえ。気にしないでください」
「一人息子を失って以来、家内はすっかり不安定になってしまって……。少し判断力が鈍っているのです」
父さんは僕に気づいていないようだ。
いや、きっとこの反応が普通なのだ。
それとは正反対に、母さんは僕の顔や頭をしきりに撫でている。
僕が息子であることを、全く疑っていないようだ。
「これからはここで暮らすんだろう? 立ち話なんかしてないで中に入りなよ」
「いや、僕は仕事があるので。今日はこれにて失礼します」
「せっかく会えたというのに随分と忙しないねぇ。一晩くらい泊まれないのかい?」
「ごめんなさい。また時間のあるときに来ますから」
「そうかい、いつのまにか大人になったんだねぇ。ここはアンタの家でもあるんだから、いつでも帰ってくるんだよ?」
その言葉を聞いて、僕は父さんの方を見た。
父さんは少しだけ顔を綻ばせながら、ゆっくりと頷いた。
「私からもお願いしたい。ご迷惑でなければ、またいらしてください」
「いいんですか? 僕は、その……」
「ここまで明瞭に言葉を話す妻を久しぶりに見た気がします。もしかすると、あなたと居ると元気を取り戻せるのかもしれない」
「……わかりました。また近々顔を見せますよ」
「行きずりの方なのに、ありがとうございます」
それから僕は両親に別れを告げ、足早に村を立ち去った。
行き先なんか決めていない。
今はとにかく、故郷から遠ざかりたかった。
足の向くままにさ迷い続ける。
道が続く限りどこまでも進んでしまいたかった。
ふと気がつくと、僕は森深くにいた。
辺りは暗く、間も無く陽が暮れるだろう。
後ろを振り向くと、みんなが心配そうな顔で僕を見ていた。
離れ離れになっていない事に安堵の息が漏れる。
「あのさ、もう夜になるんだけど……その」
「今日はここで野宿にしましょう。村に戻る必要はありませんよ」
僕が言い終わるのを待たずに、オリヴィエが言った。
誰も異論は無いらしく、慣れた手つきで野宿の準備が始められた。
その優しさが嬉しくもあり、同じくらい胸へと突き刺さる。
普段はそこそこに賑わう食事どきも、この日ばかりは静かだった。
原因が僕だという自覚はあったけど、気の利いた台詞のひとつも浮かばない。
そしていつものように見張りを順番に立てて、各々眠る事になった。
「とりあえずリーダーはゆっくり眠ってくれ。見張りは他のヤツで回すから」
「そうですね。まずは私がやりますので、みなさんはお先に寝てください」
みんな僕を気遣ってくらたけど、一向に眠れなかった。
言い表せない感情がコントロールできずに、胸の中で暴れまわっている。
いっそ叫びながらどこかへ消え去りたい。
自分にもっと力があったなら、気の済むまで周りの木々をなぎ倒したかもしれない。
僕がこうして大人しく横になっているのは、皆に心配をかけたくないその一心だった。
特にオリヴィエに悲しい想いをさせたくなかった。
この瞬間も辛いけど、彼女の失望した顔を想像すると胸が痛む。
感情に任せて八つ当たりをすれば、僕はきっと後悔する。
そこまで見えているから悶々としてしまうのだ。
眠れないならせめて見張りを変わろう。
今の僕にはそれくらいしかできない。
焚き火の前に座っているオリヴィエに声をかけた。
「オリヴィエさん。見張りを代わるよ」
「……やはり眠れませんか?」
「その通りだよ。だから僕が起きてるよ」
僕もオリヴィエに並ぶようにして座った。
彼女は考える素振りをしつつも、立ち去ろうとはしない。
「今がまさにその時でしょうね。どうぞ」
「……何の事?」
「話ならいつでも聞くと、前にも言いましたよね」
オリヴィエはいつもより優しく微笑んで、僕に向かって両手を広げた。
吸い寄せられるようにして、僕の顔は彼女の胸元へと埋められた。
いつかして貰った時のような安心感に包まれる。
トクリ、トクリと聴こえる鼓動の音がどこまでも心地よい。
「誰も気づいてくれなかった。あんなに良くしてくれたおじさんや、おばさんでさえ」
「そうですね。話しかけてくる人は誰もいませんでしたね」
「父さんが僕を見知らぬ人だって。仕方ないって分かってるけど、知らない人だって」
「実のご両親に面と向かって言われたら、とても辛いでしょう。心中お察しします」
「母さんに伝えたかった! 息子は元気にやってると、ちゃんと伝えたかった! でも、こんな状態で言っても何にもならないんだ。多くの人を惑わせるだけなんだ!」
次から次へ、とりとめもない言葉が零れていった。
自分で考えて決めたはずなのに、いざ向き合うとなるとこのザマだった。
オリヴィエはというと、嫌がる素振りすら見せず泣き言に付き合ってくれた。
その声色はどこまでも優しく、暖かみに溢れている。
「レインさん。浮き世の問題には2種類あると聞きます。すぐに解決するものと、じっくり向き合うべきものの2つです」
「……うん」
「今回の問題は、残念ながらすぐには解決しないでしょう。ですが真心を持って接し続ければ、あなたの想いもきっと届くでしょう」
「そう、なのかなぁ」
「ご両親が健在であったことは喜ぶべきでしょう。今はそれだけを覚えていれば良いと思います」
そしてオリヴィエは歌を歌ってくれた。
歌詞の無い、鼻歌だけのものを。
じっと聴いていると不思議なことに、心の荒波が治まっていった。
そして頭の奥が痺れたようになり、眠気が襲ってくる。
色々な事がどうでも良くなり、そのまま意識を手放した。
翌朝。
僕はいつのまにか寝具の上に寝かされていた。
みんなは既に起きていて、朝食の準備を進めていた。
少し気恥ずかしい気分になりながら、僕も作業に混ざった。
「みんな、おはよう。昨日は心配かけてごめんね」
周りの空気が緩んだのがわかる。
どうやらグスタフやミリィも、僕の事を気にかけてくれたようだ。
「それで、これからどうするんだ? 当初の目的地に着いたわけだが」
「その事なんだけど、提案してもいいかな?」
みんな僕の顔をじっと見つめている。
その目には信頼と、いくらかの期待感が浮かんでいた。
「ここに住まないかい? 森を少し拓いて、家を建てたりしてさ」
「そもそも当ての無い旅なんだ。オレは構わんぞ」
「私も異論はありません。ここを拠点としましょう」
「意義なーし。レインくんとの愛の巣だったらどこでもいいわよ」
「ありがとう。僕のワガママに付き合ってくれて……」
両親から離れたくはないが、今の状態で村に拠点を置くのは嫌だった。
あそこで生活をしていたら、きっとまた辛くなってしまうだろう。
村からいくらか離れた、この辺りが一番程良いと思われた。
それから朝食の準備が終わり、火を囲みながら食事を摂り始めた。
昨日とは様子が変わって、いくらか和気あいあいとした風景だった。
固いパンとスープだけの質素なものだったけど、不思議とおいしく感じられた。
「レインくんさぁ、随分と元気になったよねー」
「うーん。そうかな?」
「そうよ。はっきり言って別人よ?」
ミリィがつまらなそうに言った。
なぜ不機嫌そうにしているのか、僕には見当がつかない。
「はぁ。これが1番目の女の力かぁ。私は慰めの言葉1つかけてあげられなかったのに」
「ミリィさん。これが成せるのも信頼があってこそです。一朝一夕でどうにかなるものではありませんよ」
「そっかぁ。胸の大きさなら自信があるんだけどなー」
その言葉を聞いてドキリとしてしまう。
そんな事を言うからには、ミリィに見られてたのかもしれない。
あの時の僕の姿を。
途端に顔が熱くなっていく。
昨日とは違う意味で、僕は遠くへと逃げたくなってしまった。




