第20話 オリヴィエの祈り
僕の背後からも膝を折る音が聞こえた。
立ち位置から言ってグスタフのはずだが、まさか彼も毒牙にかかってしまったのだろうか。
「なんていう威力だ……不覚をとった!」
「アッハッハ、直視しなけりゃ平気だと思った? その答えはさー、言うまでもないよね?」
「クソッ、体が! 体が動かん!」
「戦士系は効果テキメンだねぇ。このチョロチョロ動いてた馬鹿といい、さぁッ!」
僕は杖の男に蹴り飛ばされた。
何一つ抵抗できず、地面に転がされてしまう。
意識はハッキリあると言うのに指一本動かすことも、声ひとつ上げることもできない。
まさに生き地獄という言葉がお似合いだ。
ーーなんとかしないと、このままじゃ殺されちゃう!
焦りながら頭を回転させたけど、名案は浮かんでこない。
それが一層焦りを助長する。
そんな僕の前に一歩踏み出す人物が現れた。
オリヴィエだ。
あろうことか悪漢を相手取り、真っ向から対峙している。
ーー逃げて、僕たちは自分の手でなんとか切り抜けるから!
一向に声は出てこない。
そして僕の祈りは、彼女に届くことはなかった。
「さすがに魔法職には効かないかー。でもアンタはただのヒーラーだ。何もできやしないよ。言っとくけど外傷じゃないからヒールは効かないからね」
「あなたはなぜ……人を見ようとしないのですか?」
「はぁ? 何言ってんだよ。たった今、オレはこの目で攻撃を……」
「違います。その事ではありません」
オリヴィエは戦う素振りを見せずに向き合っている。
ひょっとして説得でもする気なんだろうか。
そんな手段が通用する相手には見えないけれど……。
「あなたは街の人たちに認められたくて戻ってきた、違いますか?」
「……なんだと?」
「かつて失意の中でここを去ったあなたは、再度舞い戻ってきた。それは皆さんに受け入れて欲しいから。そうでしょう?」
「良く回る口だ。調子に乗ってると真っ先に殺しちゃうよ?」
辺りにジワリと殺意が広がる。
雲行きがかなり怪しい、このまま対話は失敗するだろう。
今からでも遅くはないから逃げてほしい。
「あなたは心を開いて相手と向き合うどころか、力で無理矢理に押さえつけています。そんな事では信頼を得ることなど……」
「うるせぇーッ!」
杖の男は逆の手に持っていたナイフを一閃させた。
それでオリヴィエの髪を切ったのか、彼女の足元にパラパラと金色の髪が落ちる。
だが、それに対して怯んだ様子は見せていない。
「勘違いするなよ。オレはコイツらを見返す為にきたんだ。凡人どもがオレの才能を認めねぇからさぁ!」
「あなたはかつて優秀だったそうですが、誰かの力になったことはありますか? 自分の為だけに才を振るえば衝突するのは当然です」
「自分の為に生きて何が悪いんだよッ!」
男はもう興奮状態だ。
迂闊に刺激すると危険だろう。
せめてオリヴィエとの間に割って入りたいが、自分の体はピクリとも動かない。
それはグスタフも同じようで、動き出す気配は今のところ無い。
「街の連中を見ろよ! 全員がテメェの事しか考えてねぇ! 行きずりのアンタらが戦っているのに、握り拳ひとつ作らねぇじゃねぇか!」
「彼らは心の在り方に迷っているだけです。ひとたび正気を取り戻せば、必ずや正しい答えに辿り着けます!」
「人間の本質は所詮動物と変わんねぇ、力の論理に支配されてんだよ! 耳に心地良い言葉で取り繕っちゃあいるが、強いヤツが奪って弱いヤツが奪われる! それがこの世の真理だろうが!」
「そんな事はありません!」
オリヴィエは叫ぶとともに、微かに光を帯び始めた。
優しげな青い光が彼女の全身を包み込んでいる。
君はいったい……何をしようとしているんだ?
「仲間外れにされた腹いせに、より強い力を振るうだなんて……子供の癇癪と一緒じゃないですか! そんな幼い発想しかできないあなたが世間を語らないでください!」
「なんだと?! テメェに何が……」
「あなたよりも深い絶望を味わい、窮地に立たされながらも、道を見失わずに懸命に生きている人もいるんです! 一度の挫折で悪の道に落ちるだなんて、恥ずかしくはありませんか?!」
「黙れ! それ以上騒ぐと……」
「私は信じます! 例え辛く苦しい世の中であったとしても……人は強く、清らかに、手を取り合いながら生きていけると。私は心から信じていますッ!」
高らかな声が辺りに響き渡った。
その叫びに応えるように、辺りに青い閃光が煌めく。
あまりの強い光に僕は目を閉じ、顔を手で覆う事でなんとか耐えた。
「あれ……体が動くぞ!?」
理屈はわからないけど助かった!
僕は薄目のまま短槍を拾い上げて、オリヴィエの前に立った。
隣にはグスタフも居る。
まばゆい光は程なくして止んだ。
視界が戻るのを期に、改めて迎撃体勢を整えた。
杖の男はというと、顔に驚愕の表情を張り付けている。
「お前ら、なぜ動ける!?」
「自分でもわかんないよ。でもこれでまた形勢逆転だ!」
「どうせ同じことだ! 今度は2度と目を醒ませない程に深く落としてやる!」
「リーダー、ヤツを止めるぞ!」
「うんッ!」
僕たちが駆け出そうとしたその時。
ーーガシャァン!
大きなガラス細工が空から降ってきて、杖の男の頭を直撃した。
そちらの方を見上げると、そこには窓から顔を出す老婆がいた。
「あんたたち! こんな子供たちに戦わせといて、自分らは眺めてるだけかい? 海の男が聞いて呆れるよ!」
窓からはコップや皿が次々に投下される。
さすがに2投目以降は当てる事が出来ていない。
「全く情けない話だよ、こんな年寄りの手まで煩わせてさぁ? ちゃんとタマついてんのかい!」
「バアさんやめろ! そんな事したら殺されちまうぞ!」
「こんな老いぼれの命なんざ惜しくないよッ。見てな、アタシがとっちめてやる!」
「ちくしょう、バアさんだけに良い格好させんな! オレたちもやるぞ!」
広場にいた何十人もの男たちが大いに暴れだした。
あまりの状況の変化に付いていけず、僕はボンヤリするばかり。
グスタフもオリヴィエも同じみたいで、小さな呻き声を漏らすばかりだ。
成り行きを見守っていると、街の人たちはあっという間に黒狼団の全員を縛り上げてしまった。
5人とも並んで地面に転がされた。
まだ意識のある杖の男は、不自由になった体を揺らしながら叫んだ。
「お前らはもう終わりだ! 何せ街の外にはオレの手下がワンサカ居るんだよ! 合図ひとつでここいらは火の海に……」
「だったらそいつらもブッ飛ばせばいいだろうがぁーッ!」
「行くぞ! 漁師の意地を見せてやるんだ!」
屈強な男たちが街の外へ駆け出していった。
数十人だったその数はみるみる膨れ上がり、数えきれない程になってしまう。
さっきまでの覇気の無さが嘘のようだ。
「これで良かった、のかな?」
「たぶん大丈夫だと思います……あっ」
「オリヴィエさん、大丈夫?!」
オリヴィエは地面にへたり込んでしまった。
緊張の糸でも切れてしまったんだろうか。
顔もいくらか青白くて調子が悪そうだ。
「すいません、安心したら足が……」
「オリヴィエ。オレたちは助かったが、アレは無茶だったぞ」
「そうですね。ですが、我慢できなくって」
「それはともかく、どこか休める場所に移動しようよ。立てないなら僕がおんぶするからさ」
僕はオリヴィエに手を伸ばした。
彼女は少しだけ震える手で掴み、僕に質問を投げ掛けた。
「おんぶと抱っこ、どっちがいいですか?」
「何それ。僕が選ぶの?」
「質問を変えますね。胸と太ももの感触、どちらを味わいたいですか?」
「なんて事を言うの。どっちもやり辛くなったじゃないか!」
この流れでそんな事は考えないよ。
言われるまで完全に意識の外だったもの。
僕は結局おんぶを選んだけど、違うからね?
『そうですか、胸派ですか』とか耳元で囁くのはやめてくれないかな。




