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イワンの何でもないようで、とんでもない一日の話

「それで、君。分かっているね?」


麗人というのは、かくも麗しく。

学院長の顔を見ていると、そんな言葉が思い浮かぶ。

確かに女性のような、たおやかさを持っているわけではない。その点で言えば、どこかがさつなのだが。それでも、彼を知る人間は、皆こぞって彼のことを優美だと評する。

書類を投げつける様は、優雅さとは無縁の動きだ。だが、その指先は弦楽器でも弾くような軽やかさである。その仕草は粗忽でしかないのに、不快感は与えない。

それも全て、彼の容姿が優れているからなのか。


「ちょっと、イアン。聞いているのかいないのか分からないけれど、あの子からサインをもらうまでは帰って来てはいけないよ。でも一応、期限を切っておこうかな。そうだ、来週の頭までにしよう。もし、間に合わなかったら分かっているね?」


僕がしっかりと話しを聞いているのかどうかも分からないのに、一方的に期日を設けて、しかも返事を待つ素振りさえ見せない。彼が、やり手だというのは知っているが。ここまで強引なのも珍しいと顔を上げれば、


「君が彼女のことを苦手だと思っているのは知っているけどね。ほら、何せあの子は今、アークと一緒だろう。彼を怒らせると面倒だからね。うん。だから、分かるね?」


否やは許さないという雰囲気で、にっこりと微笑されれば、ただ肯くしかないというものだ。

しかし、学院最強とも呼べるこの御仁が、あの偏屈な研究員を苦手に感じているのはおかしなことだった。

そんなことを口にすれば、『学院』という狭い範囲で最強と呼ばれることに、この方は不満そうな顔をするのだが。

そもそも、アークリバーを差し置いて最強の名を欲しいままにしているのだから、十分ではないだろうか。

何せ、アークの魔力は未知数。

彼の保護者であるニカさんには、測定できるのかもしれないが。とりあえず、アークの魔力は、国内の魔力測定器で測ることができない。


「僕は、あの、アークはいいんですけど……、あの、ええと、ニカさんは苦手で」


せめてもの抵抗に、それだけを口にすると、学院長はそのご尊顔をそれはそれはいやらしく歪めた。

初めは無言で微笑していたにも関わらず、やはり耐え切れなかったのか「ふふふ」と声を漏らす。不気味なことこの上ない。が、黙っておく。

多分、お見通しなのだ。僕が、ニカさんに苦手意識を抱いていることなんて。


「分かりました、分かりましたよ。仕方ないですもんね。だって、これ業務命令ですもんね……」


力なくうなだれながら、滅多に入ることのない院長室を後にする。

背中に、学院長の視線が突き刺さっている気がするけれども無視だ。


「あっ、言い忘れた……」


扉を閉めて、学院長からの視線を完全に遮ったところで、声が漏れる。

学院長の迫力に負けて、今回もまた訂正することができなかった。

僕の名前は―――――イワン=ドルトニエフである。イアンではない。


*

*


「うーん……」


木製の扉の真ん中より少し上に取り付けてあるノッカーは鉄製だ。獅子の顔をモチーフにしている。

一見、何の変哲もないノッカーだが。目を凝らせば、そこに魔法陣が見えた。

もちろん、常人には見えない。学院の研究員であれば、かろうじて見えるのではないかと思う。しかし、それも全員ではないだろう。それほどに巧妙に仕込まれているのだ。

どうしようかと思案していると、ふいに、扉が開いた。


「―――――何ですか」


黒髪の男が、僕を見下ろす。ぱちりと目が合うと、彼は扉にもたれかかって嘆息した。


「……何か気配がすると思えば、お前ですか」


いかにも面倒くさいという表情を取り繕うこともせずに、じっとこちらを見つめるその顔。

抜けるような白い肌にはシミ1つない。陶磁器でできた人形の質感である。きっと、触っても温度なんかないのだろう。……そんな風に思わせる。

学院長も確かに、はっと息を呑むほどの美貌であるが。

この男に関しては、それとは少し違う。整った顔であることは間違いない。

だが、迂闊に近寄ってはならない美というものを持っている。

それは例えば、この国の最高権力者の頭上に輝いているような、王冠に似ている。

宝石を散りばめたような豪奢な冠ではなく、ただの輪っかでしかないそれには宝石が1つしかついていない。市井の金物屋でも作れそうな代物だ。

だが、誰も、それと同じものを作ったりはしない。恐れ多くて、そんな真似はできないからだ。

当然、王の冠を複製することは犯罪であるが。

それを置いても、絶対に触れてはならない領域であるからこそ、誰も手を出さないのである。

アークリバーという男を見ていると、そういった不可侵のものを思い起こさせるのだ。


「えーと、ニカさんは?」

「は?」


間髪いれずに聞き返されては、さすがに言いよどんでしまう。彼の眉間に皺を寄せた迫力満点な顔にも気圧される。正直、怖い。


「あー、ニカさんに用事があります!」


今度は、きちんと聞き取れるように、ほんの少しだけ声を張ってみた。

それでも、彼女の名前を出した途端に泣く子も黙るような恐ろしい顔をするから、思わず早口になってしまう。


「ってか、ここはニカさんの家でしょう! 何でお前が出るんだ!」

「は?」


だいたい、この扉の魔法陣はなんだ! と言ったところで、アークが双眸を細めた。


「お前、あれが見えたんですか」

「え、あ、うん」


中に入れてくれる気になったのか、扉を開けたまま背を向けたアークの後ろに続く。

室内に入った途端に、玄関の扉は勝手にしまった。何らかの魔術が発動しているのだろう。


「あれは防犯用の魔法です。最近、冒険者と名乗る不審な輩が我が家に入り込んだので」

「え! 大丈夫なの?」

「当たり前です。だが、用心に越したことはない。何せニカには、防犯意識もなければ、何にもこだわりがないので」


やれやれと首を振っているアークには悪いが、ニカという人物は少女のような容姿をしていながら、世界最強の魔術師である。それを知っている人間は少ないが、多少、魔力のある人間であれば見破ることは容易い。

ニカ自身も、特に隠しているわけではないようだ。

そんな人間の住む家である。誰が侵入しようと危険な目に合うことは考えにくいが……。

アークリバーは何せ、ニカを崇拝している。いわゆる「神」のようなものと考えているかもしれない。

だから、それはそれは大切にしているのだ。

危険などないと分かっていても、彼女の手を煩わせるようなことが発生する事態、好ましくないのだろう。


「それにしても、あの魔法陣が見えるとは。お前も立派になったものだな」


そこでふと、ひどく愛らしい声が聞こえてきた。少女のような声音なのに、口調は古臭い。

こちらを見ている小さな顔を縁取るのは、艶のある白髪だ。けれど、老婆のような水分を失った髪質ではない。

つやつやと煌いているので、もしかしたら銀髪に近いのかもしれないと思う。

灰色の瞳は、いまいち何を考えているか分からないが、瞼が落ちてほぼ半目である。

眠たいのか、やる気がないのかどちらかだろう。

「なかなか複雑な魔法陣だっただろう?」と、首を傾げる様子は、幼い子が持つ抱き人形に似ている。

実際、体躯も小さいので、黙って座っていると人間には思えない。


「……複雑ですし、何だか不穏な気配のする魔法陣でした」


答えると、彼女はくくっと喉の奥を鳴らして笑う。少し不気味だ。

見た目とは違って随分長いこと生きているとは聞いたことがある。

実際にいくつなのかは知らないが、出会ったときとまるで変わらない容姿からすると、それも嘘ではないことが分かる。

今でこそ、僕やアークリバーよりもずっと若く見える彼女だが。

出会った頃は、彼女の方が年上に見えたのだ。それなのに、見た目年齢が、いつの間にか逆転している。

どうやらアークリバーを育てたのも彼女らしいので、想像しているよりもずっと年上なのかもしれない。


「それはいいとして。アークも早く座れ。ご飯を食べよう」


少女は、カンカンとグラスにフォークをぶつけて音を鳴らす。

「はいはい」と、返事をするアークは、ほわりと小さく笑んでいる。

学院の生徒が見れば、絶叫するはずだ。

あのアークリバーが! くらいには言うだろう。

無表情というほどではないが、限りなくそれに近い表情筋しか持たない彼の微笑は希少価値が高い。

どこか浮き足立って見えるのも気のせいではないだろう。アークは保護者の前で、実に従順な男に成り下がるのだ。


「今日は何?」


キッチンに下がって、昼食を準備しているだろうアークの背中に話しかけると「お前の分はありません」とそっけなく返される。

「まぁいいから座れ」と椅子を引いてくれたのは白髪の少女―――――ニカさんだ。

丸いテーブルに備え付けてある彼女の椅子は、ひとつだけ座高が高い。その為、足が床に着かないのだろう。子供のようにぶらぶらと揺らしている。

この国に住む成人女性の平均身長よりもずっと低い彼女はあらゆる面で苦労をしているようだ。

他の椅子とはデザインが違うので、彼女専用のものだと分かる。きっとアークリバーが用意したものだろう。ニカさん本人は、自分用にわざわざ椅子を用意したりする性格ではない。


「それでお前、私に何の用なんだ」


ニカさんの好きな果物を搾って作ったと思われるジュースに口をつけながら、彼女が問う。

「学院長に頼まれて……」と答えつつも、彼女のカップから香ってくる果物のことが気になった。


「その果実、超超高級品じゃないですか?」

「うん。学院長がくれた」

「学院長が?」


あの人、そんな優しいところあったんだ……と思いつつ眺めていると、プレートに乗った肉を運んできたアークが「あの人は、ニカにだけ優しいんですよ」と言う。


「確かに」と肯けば、アークもうっすらと笑みを刷いた。この微笑が、学院の女生徒がきゃーきゃー言う類のものではない。うっ、と思わず仰け反るような威圧感のある表情だ。

「それで、お前はせっかくの休日にここまで派遣されたというわけですね」と続けた声は普段よりも幾分か低い。『せっかくの休日』というのはアークリバーとて同じだ。何せ、同じ職場である。

暗に早く帰れと言われているようで居心地が悪い。


「と、ところで、玄関の魔法陣についてはニカさんも了承済なんですか? 防犯用とか言ってますけど」

「了承しているわけではない。我が家の玄関に余計なことをしてくれたものだと思っている」


口調こそ辛らつだが、何せニカさんの顔は少女仕様だ。むっとした表情でも、拗ねているようにしか見えない。


「防犯用っていったいどんな仕掛けなわけ?」


アークリバーに問えば、彼は沈黙し、双眸を眇める。詮索するな、というところだろう。しかし、


「不審な輩は単純に弾かれるだけだ」


あっさりと回答してくれたのは彼の保護者兼同居人のニカである。


「弾かれる?」

「5メートルくらい後ろに吹っ飛ぶ」

「……は? はぁ?!」


ちなみに、玄関の3メートルくらい後ろは敷地を囲む塀である。それ故、5メートルも吹っ飛ばされれば、必然的にそれをぶち破ることになる。

「危ないでしょ!」と、苦言を呈せば、アークリバーが乱暴に皿を並べながらそっけなく返してくる。

「不審者には、そのくらいの対応でちょうどいいんですよ」

ふんっ、と軽く鼻を鳴らしているから、ニカの家に侵入した冒険者というのに、よっぽど嫌な思いをさせられたのだろう。

そもそも、この家に「不審者」というのが入れるかどうか怪しいものである。

何せ、世界最強の魔術師が住んでいるのだ。つまり、以前、この家の中に入ったことのある「冒険者」というのはニカさんの知り合いである可能性が高い。

それなのに、その人物をアークリバーは「不審者」と呼んでいる。

思うに、単なる私怨ではないだろうか。そんな気がしてならない。

アークリバーは、ニカさんに関することに対してだけは途端に、狭量になる。


「ちょっと、いいんですか! ニカさん! 息子さん、危険なことしてますよ!」


相手が、5メートルくらい吹っ飛ばされても平気な人間であれば問題はない。

例えば、学院の研究員などは魔力が高いので、魔術で防げるだろう。冒険者などの屈強な人間も同じく、壁にぶつかったくらいでは死なないはずだ。

しかし、これが常人であれば。大怪我をする可能性がある。


「まぁ、いいんじゃないか」

「保護者失格! 保護者失格!! さっきは余計なことされたって言ってたじゃないですか!」

「もー、お前はうるさいな。ユワン」

「イワンです!」


今はすっかり、分厚い焼肉に夢中なようで。ニカは、僕の話しを聞いているのかいないのか、眉を顰めつつもナイフで肉を切っている。


「本当にお前はうるさいですね。イワン。用がないなら早く帰れ」


敬語のくせいに「お前」を連発しているアークは、丁寧なのか何なのか分からない。しかも、たった今、命令された気がする……。

微妙な顔つきになっているだろう僕のことを無視して、自分の分の器を置いたアークが、やっと椅子に腰を下した。

そして、いるかどうかも分からない神に祈りを捧げて食事を始める。

彼の保護者であるニカは、食事の前に祈りを捧げたりしないのに、一体どこで身につけたのだろうか。

ぼそぼそと呟かれる祈りの言葉は、聞き覚えのない言語だ。

彼の生まれは、この国からは随分と離れた場所だと聞いた。今、口にしている難解な言葉こそが、母国語なのかもしれない。


「用ならあります。……学院長が、ニカさんのサインをもらってくるようにうるさいんですよ!」


鞄の中から数枚の用紙を取り出して彼らの前に突きつける。……が、食事に夢中な彼らは聞いているのかいないのか返事さえしない。

しんと静まり返った食卓に、ナイフとフォークのぶつかる音だけが響いている。

たまらなくなって「あ、あの……」と声を掛ければ、


「この肉、高かっただろう。柔らかい。やわらかすぎる。歯が溶けそうだ」


ニカさんが、おもむろにそんなことを言った。

柔らかければ美味しいだろうに、その顔は、渋面である。

さっきジュースを飲んでいたときの方が生き生きしていたくらいだ。


「奮発したんですよ。ニカの魔道具が高額で売れたから」


切り分けた自分の肉を、ニカの皿の上に置きながら、アークが目を細める。相変わらず、渋い顔をしたままだが、ニカは遠慮なくその肉片を頬張った。


「あ、あの、聞いてます?」


書類を宙にかざしたまま問えば、ちらりとニカさんの目が動いた。

そして、―――――ボッと書類が燃え上がる。


「なぁああああ!!!」


声にならなとはまさしくこのことだ。実際は絶叫していたわけなので、正確には、言葉にならない。と言ったところか。実際、雄たけびを上げた後は、単語1つ声に出すことができなかった。

魚のように、ぱくぱくと唇を動かすだけだ。


「目障りだ」


ぽつんと一言だけを口にして、ニカさんは食事を再開した。

さっきまでは、ごくごく普通の対応をされていたと思うのに、急にこういうことをするから心臓に悪い。

何が起こってもいいように、事前に書類を複製していて良かったと思う。心から。


だから、僕はニカさんが苦手なのだ。

何をするか分からない、得体の知れないところがある。


彼女と出会って、ざっと二十年は経過しているが、これだけは慣れない。

「適当」と揶揄されるニカさんだけれど、実際は、それだけ執着しているものや大切にしているものが少ないというだけで。それはある意味、人間味がない、ということと同義かもしれなかった。

普通、人間が気にするようなことを気にしない。

その1つが、お金に無頓着なことであるが。それゆえ、生活能力が低いとも言えた。

魔道具なんて、大金を生み出すものを作り出しておきながら、それをタダ同然の価格で売ろうとする。

しかも、本当はもっとお金になると知っていながら、だ。

なぜそんなことをするのか、僕には理解できないけれど、アークによれば。

「愉快犯みたいなものかもしれませんね」と。

何とも、納得のいかない返答をされた。


愉快犯、というのは何ともタチが悪い。

そして、どうにも恐ろしい。







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