ラム(フォリンクス)肉
アトリエでの一件の後、僕以外が朝食を摂るとの事で食卓へと場所を移した。結局、顔を洗い損ねたのだけどそれは気にしない事にしよう。どうせ寝汗をかいてもいないだろうし、顔を洗わなかったところで不潔ではないと思う。
食卓に座らされていると、台所の方からかちゃりかちゃりと陶器が鳴る音が聞こえたり、肉やパンの焼ける匂いが漂ってきたりと、食欲を誘う要素が襲ってくる。身体が食事を必要としていなくても、欲望が食事を切に求める。ただ、お腹が鳴ったりはしないし唾液も出てこない。悲しいかな。五感はちゃんと働いているけど、それに対する反応は実装されていないのだった。
エミを構成している機能はえらくチグハグだ。
「待たせたね、エミちゃん。キスケくんと呼んだ方がいいかな?」
「恵美ちゃんと呼ばれる事も多かったんで大丈夫です。あ、エミちゃんで結構ですよ」
生前はアクセントを「エ」に置かれていたのが、「ミ」にアクセントを移しただけだ。それぐらいなら違和感を感じる程度で済む。僕の事を名前で呼ぶのは家族ぐらいなものだったので、キスケと呼ばれる方がくすぐったい。
リタは何かの肉を焼いたものと丸パンを載せた皿、そして何かの乳をテーブルに置くと、僕の正面の椅子に腰掛けた。椅子の配置からして、短い辺の一つにルッツが座るのだろう。その辺と隣合うやや長めの辺に僕とリタが向かい合っている。
「リタ、茶が切れているのだが買い置きはないか?」
「いつも置いてる場所にないなら、買い出しに行くしかないね」
「そうか。乳は好きじゃないんだがな……」
「そう言うなら無くなる前に言ってくれないと」
ルッツが台所から出てくる。その手にしているのはリタと同じものだ。とても美味しそうに見える。リタは既に丸パンに手を付けていて、ちぎって欠片を口に放っていた。ルッツは席に着くなり手を組んで何かを呟き、それから丸パンを手に取る。そしてリタと違って口から丸パンに噛り付く。
「……エミもいるか? そんなに見られると食べにくくて適わん」
「でも後で吐かなくてはならないんですよね? ならいいです」
「そうか。でも吐かずに済む方法がないわけでもないぞ」
「えっ、本当ですか? ……出すところがないのに?」
リタが眉をひそめた。食事中だからすごく失礼なのは僕も分かってる。だけど、具体的な名称を口に出さない気遣いにも気付いて。僕もお腹が減っているんだ。精神的に。
「がっはっは、吐かないし出さないなら答えは一つだろう。腹の中で消し去ってしまえばいい」
「具体的には?」
「エミは知らんだろうが、魔術というのは扱う際に代価が必要になるんだ。腹の中のものを代価にして魔術を扱えば、綺麗さっぱり無くせるだろうな」
あ、これは僕も知ってる。錬金術師の等価交換の原則って奴だ。人生、どんな知識が役に立つか分からないものだ。
「魔術は僕にも扱えるものなんですか? 人形じゃ駄目だったりします?」
「エミちゃん、自動人形というのは魔法使いのゴーレムを目指して作られたものなんだよ」
「ゴーレムがまず分からないんですけど、やっぱり自分で動く人形ですよね?」
「そうそう。魔法で動くのがゴーレム、魔術で動くのが自動人形ってわけさ」
なるほど、リタの言いたい事が分かったかもしれない。
「つまり魔術で動く自動人形は魔術を扱える、ってことですか?」
「そう、そういうことだ。なんだ。エミは魔法、魔術を知らないが理解が早いな」
僕のいた世界には魔法や魔術はなかったけど、空想の産物としての魔法や魔術はあった訳だから受け入れる事が出来たら別に難しい話ではないと思う。ここはそういう世界なのだ。
「そこまで分かったなら出来るだろう。リタ、エミの分も用意してあげなさい」
「はいはい。飲み物は水の方がいいかな? それとも乳の方が良い?」
「乳って何の乳ですか?」
「アークバフォ――」
「水でお願いします」
両性具有の悪魔の乳ってどういう事だ。僕の知識がそのまま此処で通じるとは思っていないけど、その乳は飲んではいけないものだとはっきり分かる。この世界は狂ってるのかもしれない。だとしたら水が狂気山脈の天然水なんて事も――。
「冗談だよ。ただのヤギの乳さ」
「それでも水でお願いします」
牛乳しか飲んだ事がないので他の動物の乳を飲むという事にためらいがあるし、ヤギが僕の知っているヤギとは限らない。それこそバフォメットと言わずともキマイラが来る可能性だってありそうなものだ。「八岐」と書いてヤギだったら……乳は出るのだろうか。
リタが用意してくれた朝食はとても美味しかった。丸パンはふんわりとしていたし、肉はカリカリに焼いてあって脂を滴らせながら食べるのは感動だった。ただ、肉が何かの塩漬けという事以外には分からなかったのが不安だ。
▼ エミ の ゲロインフラグ をおった!!