踊り狂う一対の刃
特にこれと言った出来事も無く、僕はヴィルダーロッター家に帰ってきていた。アンネの護衛と言っても、僕以外の鎧に身を包んだ強そうな人がいるし、彼女は町長の娘だけあって様々な習い事をしている。常に誰かが傍にいるような状況で何が起きると言うのか。僕が習い事に巻き込まれるだけである。
アンネとのお食事、習い事の見学、亜人種の観察。エンゲルス家で働いてる上で、それ以上の事は滅多に起こらない。コボルトが庭に穴を開ける事件があったけど、それぐらいだ。まさか本当に掘るとは思いもしなかった。
時が飛んで、コホレアの人々の服装が段々と厚着になっていく頃の事だ。僕の一週間の半分以上が休日なのを利用して、狩りに行かないかと提案されたのである。誰に提案されたか、なんて言うまでもない。僕の護衛対象であるアンネだ。
リオネルに扱かれ、いらない自信を付けてしまったのか。この世界に来てからも人族の領域から出たことのない僕が頷けるはずもなく、断ってくれる事を期待してリオネルに判断を振ると「いいんじゃないか。町長を説得できれば」とアンネを焚き付けてくれた。
そして今、僕はリオネルを巻き込む事に成功し霜の降り始めたコホレアから程近い森にいるのだった。僕とアンネ、リオネルの他にも例の護衛の方々が四人いて遠巻きにして僕らを見守ってくれている。このパターン、護衛の悲鳴が上がって僕らが何かに気付くやつだ。いや、まさかそんな事があるとは思わないけど。
「うふ、ふふふふ。やっぱり家に籠ってるんじゃダメね」
「ああ、クソ。適当言うんじゃなかった」
「リオネルには感謝してるよ。ありがとね」
「へいへい、どう致しまして」
リオネルが震えてるのを他所に、アンネは外に出て水を得た魚のように活き活きとしている。やはり年を取ると寒さが身に応えるらしい。アンネを抑えてくれないからこうなるのだ。僕が引きずり込んだとはいえ、自業自得というものだ。
アンネが狩猟の目標に選んだのは【酔剣鹿】と呼ばれる魔物だった。何でも、剣を扱う人間にとっては力量を計る試金石としてよく利用されるらしい。どんな魔物かと言えば、外見は頭にククリ刀を生やした鹿らしい。体高は成人の胸に届くぐらいで、細身ながらも筋肉質だとか。
「あー、さっさと仕留めてさっさと帰るぞ」
「嫌よ。町の外にせっかく出れたのに。野宿ぐらいしたい!」
「娯楽で野宿なんてしたかねえよ。町の近くだってのに」
「森は危険ですし、僕もやめておいた方がいいと思います」
僕だってふかふかの布団で寝たい。だが今いる森はヴィルダーロッター邸とはコホレアを挟んで反対側だからそれほど期待はしていない。暗くならない内に帰ろうと思ったらお昼ご飯を食べて少ししたら帰り始めないといけないのだ。アンネの事だ。羽根を伸ばす機会をみすみす逃すような真似はしないだろう。
「じゃあ今日中に獲物が見付かったら野宿の方は諦めてもいいよ。でも、獲物が見付からなかったら野宿して明日も狩りをする。――うん、それがいいと思うの」
「そんな簡単に獲物が見付かる訳がないだろう……」
リオネルが先行し、僕とアンネがその後ろ姿を追う。それから随分と離れて、護衛の人が付いてくる。だが後ろの方で別の方角へと向かうように音が聞こえた。後ろを振り返って見ると二人に減っている。魔物に襲われた、という訳ではないだろう。恐らく獲物を探しに行く組と護衛をする組に分かれたのだ。森の中で別れてはぐれたりはしないのだろうか。恐らく魔術、魔法が解決するのだ。
「あ、そういえばアンネって魔法が使えるんだよね」
「うん?」
「ほら、願い事が叶う魔法って。それ使えば一発なんじゃない?」
「あー、今回はどうかなぁ」
「どうかなぁ、ってどういうこと?」
「本当にピンチとかだったりしないといけないんだよね……」
アンネに魔法の話を聞いたとき、嫌いなものを食べたくないと願っても無駄だったと言っていたような。ピンチの時にピンチを切り抜けられる魔法だと言うなら納得だ。毒でも盛られない限りその魔法とやらは発動しないだろう。
つまり【酔剣鹿】に出会わなければ死ぬ、という状況にでも持って行かなければアンネの魔法は使えないのだ。どんな状況なんだそれは。むしろ頭に鋭利な角を携えた魔物に出会ったら死ぬのでは。
「もしかしてさ、アンネの魔法で【酔剣鹿】が遠ざけられたりするんじゃ?」
「ピンチにならない訳じゃないよ……。っていうか【酔剣鹿】相手にピンチにならないもん。今日はアンネもリオネルもいるし」
「期待されても困るよ」
僕はコボルトとゴブリンしか魔物は見たことがないのだ。文字通りの意味で。だから、あまりアンネに当てにされても困る。アンネの中では僕は勇敢なちびっこ魔術師らしいけど、全然そんなことはないのだ。




