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要するにカツラ

 目覚めた時、部屋に低い太陽からの日差しが差し込んでいた。ちょっと寒さを感じるような、早朝の空気を感じる。目に入るのは見慣れた僕の部屋ではなく、家具がシックにまとめてあるのに、散らかって台無しになっているリタの部屋だ。そしてベッドから抜け出して姿見を見ると、人間らしさを感じない人形のエミがそこにいる。


「おはよう」


 鏡の中のエミは無表情に口だけを動かす。僕が人間だったとしても無表情なのは変わらないだろう、と思い直して口角を上げて笑顔を作ってみる。ぎこちない笑顔が人形の顔に浮かび、不気味の谷を越えて愛らしさを感じた。――感情を面に出すのは控えないと勘違いする輩がいるな、これは。


 部屋には誰もいない。目が覚めたのだから顔を洗いたい。あとご飯を食べたいしトイレにも行きたい。――なんて欲求は最初のもの以外はないけれど、洗面所も何処か分からない。部屋に人が訪ねてくるのを待つか悩む。


「でも起きてる気配ないしなぁ」


 誰かが歩き回る振動も感じないので、遠慮を殺して家の中を歩き回る事に決めた。部屋には鍵が掛けられておらず、かちゃりと鳴ってドアは開いた。しんとした空気が廊下を満たしている。すぐ前には階段があって、左を向けばドアが二つ見える。とりあえず知らないところよりは、知っているところだろうと結論付けてアトリエへと向かうべく階段を下りる。誰かを起こさないように静かに歩いたつもりだったのだけれど、ぎしぎしと鳴ってあまり効果はなかった。


「おはよう、エミ。よく眠れたかい?」

「あ、エミちゃーん。おはよう、いいところに来たね」


 アトリエに入ると、寝る前と変わらない恰好の二人が迎えてくれた。二人の前にはウィッグを被せられたヘッドマネキンがあって、それぞれ鋏を持って弄っているようだ。


「おはようございます。お陰様でよく眠れました。それは……?」

「エミに似合うようにドールウィッグを調整しているんだ。被ってみなければ分からないが、なかなかだろう」


 ルッツがそう言って僕に見せてくれたのは、肩に掛かる程度の長さのブラウンのウィッグだ。リタが赤毛なのだけれど、それよりもだいぶ落ち着いて見える。個人的な好みから言うと守備範囲だった。


「エミちゃん、こっちの方が似合うよ。多分、絶対!」

「リタ、エミはただの人形ではないんだぞ……」


 ルッツが溜息を吐いてリタに苦言を呈する。リタの前には腰まで届くような長さの白のウィッグがあった。腰まで、と表現したのはリタを基準に取った場合であり僕が着けたら腿のあたりまでありそうだ。その前髪は真っ直ぐ真一文字に切り揃えられていて、リタの趣味が分かるようだった。


「ルッツもリタもありがとうございます。ちょっと今も頭が肌寒かったんです。着けても?」

「ああ、構わんよ」

「私のはちょーっと待っててね。まだ拘りたいところがあるの」


 ルッツがヘッドマネキンから外して、僕の方へと来る。リタはもみあげの部分に段を作っているみたいで、鋏を入れながら唸る。僕には完成しているように見えるのだけど。


「儂が着けてやろう。ちょっと失礼するよ」

「あ、どうも」


 ぴたっ、とした感触のものが頭に当たるのが分かった。ルッツは全体を整えながら、ウィッグを僕に着けてくれている。節くれ立った指先が耳を擦るとくすぐったい。


 ルッツは何度も僕の頭を弄った後に、周りをぐるりと回ると「よしっ」と言って頷いた。そのまま背中を押されて僕は鏡台の前に座らされた。昨日のアトリエにはなかったものだが、既に鏡の前には工具が転がっている。人形の素体から出ただろうカスが鏡に付着している。エミ以上のものが作れる気がしないそうだが、人形師としてやらないわけにはいかないのだろうか。


「髪があると違いますね。ただちょっとこの目の色が合わない気が……」

「そうか。じゃあ眼球を入れ替えよう」

「いやいや、ウィッグの方を替えましょ?」


 それって視えてる眼球を抜かなきゃいけないんでしょう? 冗談じゃない。 僕は目元に迫っていたルッツの手を素早く掴み、顔から離す。抵抗を感じたが、強引にやるつもりはないようだ。恐ろしい。


「ほら来た。私の色彩センスが合ってたことを証明しましょう」


 いつの間にか背後にリタが立っており、素早くルッツのウィッグを剥がすとまるで帽子を被せるかのように容易に僕に装着させて見せた。なんなんだこの技術。


 リタのウィッグはルッツのものよりもエミにフィットしていた。現実から離れた幻想的な造形の躯体を引き立てる白の長髪は、下手に現実に落とし込もうとしていたルッツのものよりも吹っ切れている。決してリタが醜いわけではないけど、このウィッグを彼女が着けたとしても頭のおかしい女性として見られるだけだろう。


「いいですね、これ。ただ欠点を言わせてもらえれば――長すぎますね」


 そう、このウィッグは馬鹿みたいに長い。僕が座っていると、髪の先の方を床に垂らしてしまうのだ。これを普段使いにするのは厳しいだろう。


「それが保護欲をくすぐるんですよ、エミちゃん。じっちゃんとエミちゃんは難しい顔をしてるけど心配は要らないよ。分かってます、私だって。でもほら、人は慣れるものだから」


 リタが言い切る。ここまで堂々と言い切る彼女がショートなのが癇に障る点だろうか。どう考えても長髪のもつ女らしさを捨てて、ケアの簡単なショートに逃げている。


「……エミ、儂がこの色でさっきの髪型で作ってやったら着けるか?」

「是非ともお願いします」

「なんでよーっ!」


 リタが叫ぶけど、実際に使うのは僕である。だけど外にお出かけする時があったらちょっと頑張っても使ってもいいとは思っている。ウィッグごと僕を抱きしめて抗議する今のリタに言うつもりはないけれどね。


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