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エミ・キスケは静かに暮したい

 廊下の突き当たり。深い飴色のドアの前まで来ると給仕の女性はドアをノックした。天井からはまるで燭台のように魔道具が吊り下がっている。蝋燭が立っていないが、おそらく基部に魔術回路があるのだろう。窓から差し込む光はまだまだ強く、硝子越しに見える庭木が青く見えた。


「お客様をお連れいたしました」

「入ってきなさい」


 ドアの向こうから男性の低い声が返ってくる。目の前でドアが開かれて、中の様子が僕から見えるようになる。真っ先に目に入ったのは、リタのクセのある赤毛だった。


「失礼します。――リタ。先に来てたんですね」

「エミちゃーん、隣おいでおいで」


 リタに促されるがままに、彼女の隣に座ると手を握られた。アンネの部屋のソファは柔らかく生地も肌触りのいいものだったけど、流石にこの書斎のソファは革製だ。


「貴方がエミ・キスケさんだね。これはまた可憐な娘さんだ」

「ありがとうございます。グスタフ氏も男前ですね」

「ははは、最近は身体もだらしなくなってきてお恥ずかしい限りだ」


 グスタフ氏は疲れた中年の男性といった雰囲気の方だった。ブロンドの髪が一房顔に掛かっているだけだが、それに気を遣えない様子から疲労感が滲み出ている。――自分の父親が似たような雰囲気を漂わせていたのを思い出す。特別に仲のいい家族だったわけではないし、やはり仕事で顔を合わせる事も少なかったから感慨は薄いけど。元気にしているだろうか。


 ペンだこが出来ている右手を差し出され、僕はその手を握った。いや、掴んだと言った方がいいのかもしれない。何せ、今の僕ときたら幼い少女の手なのだから。


「うちのアンネローゼよりも小さい手だね。娘から話を聞いたが、こうして会ってる今でも信じられない」

「偶然ですよ、本当に」

「偶然で大人二人から逃げられるなら大したものさ。しかも自分だけじゃなくて、アンネと一緒なんだから」


 リタがグスタフ氏と握手をしているのと反対の手をにぎにぎしてくる。どうやら彼女は不愉快らしい。ほんの少しの間、握手をするのさえ駄目なのか。グスタフ氏の手を離すと、リタのにぎにぎはすりすりに変わった。指の間を擦られるのはくすぐったい。


「本当に感謝している。ありがとう」

「礼なんていいですよ。こっちこそお屋敷に招いていただいてありがとうございます」


 心じゃあまり感謝していないけれど、とりあえずこう言っておけば大丈夫だろうか。美味しい紅茶とお菓子を頂いたのは感謝してる。でもそれとこれとは別だ。


「とんでもない。御足労頂いて申し訳ないぐらいです」

「御足労だなんてそんな……」


 心を読まれているのでは、なんて思ってしまう。いや、まさか。でも見た目で判断して子供向けの言葉を使ってこないぐらいだし、結構しっかりしているだけなのかも。


「何か、私共に出来る範囲でお礼をしたいと思っているのですが、どうでしょう? 何かお望みがあればご参考までにお聞かせ願えますか」

「ほんと、お礼とかいいですから。お気持ちだけで十分です」


 下手に礼をされて僕がコホレアの興味の的になったりしたら大変である。コホレアにはリタやルッツを知る人がいるし、適当に決めた姪っ子設定なんて簡単に看破されるはずだ。時既に遅し、とは思わなくもないけど。ヴァルターさんが官憲の中にいたしね……。


「これはエンゲルス家の外聞にも係わる事なのです。どうか、礼をさせていただきたい」

「そう言われても……リタ、どうしよう」

「お金じゃ駄目です?」


 リタに尋ねると、すぐにそう返した。確かにあっても困るものではないけど、あまりに現金に過ぎないだろうか。


「構いません。しかしすぐに用意は出来ませんから、また改めてこちらから伺わせていただきましょう」

「こちらとしては改めて会うというのは、ちょっと」

「おや、何故です?」

「目立つのは嫌なんです」


 この期に及んで目立ちたくないというのも変な話だ。


「ははは、大々的に押し寄せたりはしません。なんでしたら、うちのリオネルに向かわせましょうか?」

「そう、ですね。そうして貰えると有り難いです」

「表彰しようと思っていたのですが、それも取り止めましょうか」

「ええ、是非。礼をしてもらえる、というのなら表彰の取り止めが礼でもいいくらいです」

「御無体な事を仰らないでください。金一封を贈らせていただきますよ」


 グスタフ氏は冗談を言うような気軽さで僕らにそう言うと立ち上がった。中肉中背の疲れを漂わせる立ち姿が、彼が忙しい町長なのだと思わせる。


「お待たせしておきながら、仕事が一区切りついただけでして。申し訳ありませんが執務に戻らせて頂きます。エミさん、もし宜しければアンネローゼと仲良くしてあげてください」

「――アンネとはもう友達ですよ」

「それは良かった。では、失礼致します」


 ああ、最後の彼のお願いはとてもズルい。僕は自分の秘密を守るべきで、その為に人とは極力関わらないようにしないといけないのに。僕がアンネの事を友達と呼んだ瞬間に、グスタフ氏は疲れを忘れたかのように笑った。

 

「エミちゃん、じっちゃんが何て言うか楽しみだね?」

「ルッツにどう説明したものかなぁ……」


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