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エミ、攫われる

 僕の目の前で芳しい香りをたてる紅茶が揺らめいている。ヴィルダーロッター家では手間を惜しんでポットを温めたりはしないが、この馥郁たる香りを楽しませる一杯はしっかりと手間を掛けていた。誰が手間を掛けたか、と問われれば執事としかいいようがない。ぴしっ、と燕尾服を着こなして紅茶を淹れた老年の男性は僕の知識では執事としか呼べない。


 植物の蔓が伸びる様を意匠として織り込んだ瑠璃色の絨毯は毛並もよく、目を凝らしてみれば毛足の乱れで足跡が分かるぐらいだった。味のある使用感も出ていて、手入れの良さが何となく分かる。なんとなく。もしかしたら新品なのかもしれないけど。


 壁紙は何かの花を象った模様のパターンで、白地に淡い青が映えている。無論、壁にシミなどは見当たらない。ちなみにヴィルダーロッター邸の壁には着いてしまった塗料を消そうとした跡があらゆる所に残っていたりする。職場と住居が一体となっているのでむしろそれが職人気質を感じさせて雰囲気があったようにも思う。


 僕は柔らかなソファに腰を掛けて、僕はソーサーを持ってカップを近くまで持ってくる。僕の対面にいる女の子――アンネがそうしたように僕は真似て紅茶に口を付けた。そう、僕は何故かアンネの部屋に招かれて紅茶をご馳走になっているのだ。


「エミ、そのパイはあたしが給仕長に作ってもらったの。食べて食べて」

「あ、うん。いただきます……」


 カスタードの甘味と紅茶の風味を楽しみながら僕は考える。どうしてこうなった。




 ――リオネルに連れられて僕とアンネ、そして捕縛した男が大通りに出るとそこには官憲の人がいた。十人足らずのその中には、リタと彼女が苦手意識を持っているヴァルター・トレイガーの姿もあった。僕はリタの体格差を活かした突進からの抱き上げを食らってからこってり絞られた。


 結果から言うと、アンネを追っていた二人は何てことはないただのコホレアの破落戸だった。お嬢様をお忍びの町遊びに乗じて誘拐、皮算用を発端とした内部抗争の隙に逃げられたそうだ。実にお粗末な事件だったけど、大きな陰謀とかに絡んでこられても困るので当事者としては助かった。慣れない世界で厄介事に首を突っ込むことほど無謀な事はない。


 リオネルはヴァルターと知り合いらしく言葉を二三交わしていたが、漏れ聞いた内容から察するにただの業務連絡のようだった。リオネルは状況をヴァルターに預けると、裏道に戻らず、アンネと共に僕とリタをエンゲルス邸までエスコートしやがったのだ。


 エンゲルス家の当主でありコホレアの町長であるグスタフ氏が直々に礼を言いたいらしく、執務が終わるまで僕はアンネの部屋に招かれる事になった。顔を合わせたい、というのは分かるけれどもそれで客人の時間を取るというのだから納得がいかなかった。しかしながら、一旦帰って改めて訪問するというのもまた手間である。まさか、町長に対して「礼が言いたいならお前が来い」と言えるはずもなかった。


 置手紙一つで出てきたから、あまり遅くなるとルッツに心配をかけてしまうのも考え物だ。元々、服を受け取る為だけに町へ出てきたのだし遅くなる予定もなかった。帰ったら事の顛末を話して、ちゃんと謝ろう。


 それと自律行動が人間らしい自動人形を作るのを急いでもらおう。ヴァルター・トレイガーや魔道具屋の兄ちゃんに自動人形だと見抜かれているし、アンネと関わってしまった事で色んな人と接点が出来てしまった。外出を控える事で魂寄せの事を外部に漏らさないようにしてきたけど、魂寄せを誤魔化す別の口実が――人のように動く自動人形が――必要だ。




 自業自得ではあるけど僕は今日を頑張って乗り切らないといけない。魂寄せの事もそうだけど、魔術について突っ込まれたらどう答えればいいだろう。アンネを助けたのは【光球】による目眩ましによるところが大きい。魔術とは魔法とは違って魔術回路と代価がなければそもそも扱うことが出来ない。代価は魔力で説明できるとしても、魔術回路は説明できない。……ほんと、どうしよう。


「あんまり美味しくなかった、かな……」

「ん? あっ! 美味しかったよ、とっても」

「そう? ならいいんだけど、美味しいもの食べてる時って難しい顔はしないよね」

「あーっとね。この後、アンネのお父様に会うでしょ? それでちょっと緊張してて」


 美味しいものを頂いている自覚はある。紅茶だって手馴れた執事によって淹れられたものだ。お茶菓子にしたってそうだ。この世界に来てから甘味と言えば果物だった。焼き菓子の類は口にしていない。


 ただ、言わせてもらえるならばもっと落ち着いてる時に振る舞ってほしかった。町で一番の権力者に会う前ってどういうことだ。理性ではちゃんと分かってる。そりゃお客さんが来たらお茶のひとつも出すに決まっているってことぐらい。ただ、それでもゆっくり落ち着いてじっくりと味わいたかった。


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