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其の十三




 ふわふわと、真っ白い羽毛が柚葉の部屋の中に舞っていた。


「ユズハ殿、驚かせてしまったか? これは申し訳ない」

「ラ、ラングラー……」


 ドアをノックして入ってきたのは、柚葉の母ではなくラングラーだった。

 ハプスブルクの自室と繋がっている哲太のクローゼットをくぐり、柚葉を訪ねてきたのだ。

 ちゃんと日本の作法に従い、軍服のようなかっちりとした服装ながらも足元はブーツを脱いで靴下だった。

 ラングラーは呆然としている柚葉を気遣わしげに見てから、ふと彼女のベッドの上に踞る者に目を向けて首を傾げた。


「おや、その子は?」

「え? ――あっ、そうだった!」


 柚葉もはっと我に返り、ベッドの上に視線を戻した。

 それから、おそるおそる口を開いた。


「ト、トメ……ちゃん?」


 タオルケットを引き剥がして出てきたのは、真っ白いふわふわの羽毛をした鷲のヒナではなかった。

 そこに居たのは――


「んん……ママぁ?」


 そう眠そうに両目を擦りながら、ベッドの上に起き上がったのは、真っ白い肌と真っ白い髪の小さな小さな女の子だった。

 ふわりと広げて宙に舞い上がっていた翼は、滑らかな皮膚を持った人の両腕に変わってしまったのか、大量の羽根が抜け落ちてベッドの上に散らばっている。

 伸びた爪で柚葉を傷付けてしまった両足は、こちらももっちりと柔らかそうな肉付きのいい二本の足に。

 そして、硬く尖ったくちばしは、ちょんと可愛らしい小さな鼻と瑞々しいピンク色の唇へと取って代わり、瞳の色だけは美しい琥珀色そのままだった。


「トメちゃん? あなた、トメちゃん……なの?」

「うん、トメはトメっ!」


 元気な声でそう答え、「だっこ!」と両腕を広げた幼女は真っ裸だったので、柚葉は慌てて今畳んだばかりのタオルケットを広げて彼女の肌を包み込んだ。

 昨夜遅くまで、確かに鷲のヒナの姿をしていたトメが、一日もたたずに劇的な変貌を遂げたのだ。

 柚葉はもちろん顎が外れそうなほど驚いたが、それはラングラーも同じだった。

 

「これは……一体どういうことだろう? いくらなんでも、人型に変ずるには時期が早すぎる」

「え、えっと……」

「何か、ヒナに特別なものでも食べさせたのだろうか?」

「特別なものって――あっ……!」


 そう言われて柚葉の心当たりといえば、昨夜トメが平らげてしまった切り落とされた黒ウサギの耳。

 しかし、母に丸投げしたはずの居候についての言い訳を、自分がこれからラングラーにするのが面倒で、柚葉は「な、何か食べたっけなあ~?」ととぼけて誤魔化そうとした。


 それなのに――


「どれどれ、姫は息災かな?」


 ラングラーが開けっ放しにしていたドアからひょいと顔を覗かせたのは、雑草で腹を満たして上機嫌の黒ウサギ本人であった。

 さすがは何人も皇帝候補を育ててきたハプスブルクの最長老。

 トメの姿が急変していてもさほど驚いた様子はない。

 それどころか、実にたちの悪い笑いを浮かべて、しめしめとばかりに言い放った。


「ぬふふふ、これはまた愛らしいお姿に……。オスどもが骨抜きになる光景が目に浮かぶようじゃ」


 一方、彼の姿を見たラングラーは、まずは金の両目を零れ落ちそうなほど大きく見開いた。

 次いで、眉間に深々と皺を刻む。


「――貴様、何故ここにいる?」

「これはこれは、陛下。ご無沙汰いたしておりまする」

「何故、ここにいるのかと聞いている。大罪を犯しながらも生かされたというのに、貴様はまだ何を企んでいるのだ」

「いいえ、企むなどと滅相もございません」


 黒ウサギのジョンジョワールが処刑を免れたのは、実は彼が育てたトメの前のハプスブルク皇帝候補――ラングラーの同期候補で今は彼の片腕となっている男の尽力によるものだった。

 ハプスブルクの皇帝候補達にとって、自分を輩出した各公爵家は実家のようなもので、彼らは当主である公爵のことを親のように大切に思っているのだ。

 だからこそ余計に、隣国ミッドガルドとの友好関係を脅かし、我が子のように慈しむべき皇帝候補の卵を野心を満足させるための道具として使ったジョンジョワールの行為は、ラングラーには許し難かった。

 ラングラーの猛禽類のごとく鋭い金色の瞳に、じわじわと巨大な怒りが広がっていくのが、柚葉にも見て取れた。

 しかも、その瞳はぐらぐらと煮えたぎったまま柚葉にも向けられた。

 大五郎と同じように、こちらの世界の衣服を身に着けた黒ウサギを見て、彼が佐倉家に受け入れられていると知ったのだろう。


「ユズハ殿、これは一体どういうことだ。この男が何をしたのかご存知のはずだ。あなたの身体を無断で利用し、皇帝候補を一人追放させた大罪人なのだぞ」

「まあ、そうだけど……」

「我がハプスブルクとミッドガルド――あなたには、この二つの大国に深く関わっているという自覚はないのか!」


 そう威圧感たっぷりに皇帝陛下に恫喝されて、さすがに柚葉も一瞬びくりと竦んだ。

 けれど、すぐさま腹の底から沸き上ってきたのは理不尽な叱責への怒りと、強い反抗心だった。

 柚葉は背の高いラングラーの顔を睨み上げると、片足を振り上げてガツンと彼の向こう脛を蹴りつけて叫んだ。


「――知るか、そんなこと! 大国が何よ! そんなもんに関わったつもりなんて、さらさらないわっ!」


 とたんに、ラングラーの滾っていた瞳に戸惑いの色が浮かぶ。

 柚葉はそれをも蹴りつける勢いで続けた。


「私が関わったのは、国なんかじゃない! この身体を経由してうちにやってきた子供達だ! それに便乗して勝手に人んちに上がり込んできて、偉そうに権力振りかざしてんじゃないよっ!」

「いや……ユズハ殿、私は……」

「うるさいっ! 私のやり方に文句があるなら、さっさと哲太の部屋の通路を閉じて、二度とこっちに来なければいいんだ! そうすれば、追放したヒナも黒ウサギも二度とあなたの視界に入らないでしょっ! それで満足なんでしょ!!」

「ユ、ユズハ殿……」


 怒り狂う柚葉を前に、ハプスブルク皇帝は大きい図体を縮こまらせて、必死に彼女を宥めようとする。

 しかしその足を、今度は小さな裸の足が蹴った。


「トメ、ママのみかた! ラングラー、ママのてき! ――トメのてきっ!!」


 トメはそう叫び、プニプニした可愛らしい足で、困惑して立ち竦むラングラーを二度三度と蹴り付けた。

 それを部屋の扉に凭れて傍観しつつ、ジョンジョワールはやれやれと苦笑して言った。


「陛下は、女子の扱いが致命的にヘタクソでいらっしゃいますなぁ」






 佐倉家の決定について、柚葉はラングラーに完全なる不干渉を要求した。


 国外追放を言い渡された黒ウサギが住まうことも、連帯責任で断罪されて皇帝候補から外されたトメが永住することも、ラングラーが今後口出しすることは許さない。

 それが不満ならば、即刻ハプスブルクとの関係を断絶――ラングラーの私室に通じる哲太のクローゼットを処分すると脅したのだ。

 そうなれば、二度と柚葉に会えなくなる可能性が高いラングラーは、しぶしぶ彼女の主張を呑んだ。

 ちょっとしたお持てなしにと、柚葉が高級サクランボをラングラーに勧めてから、はや幾日。

 それを求愛行動と誤解して柚葉に惚れたと思われているラングラーだが、本当はその前――トメの身柄を要求した自分に向かって啖呵を切った柚葉の勇ましい姿に、すでに特別な感情を抱き始めていたのである。

 今さっきも、柚葉に足を蹴られて怒鳴られて、実はちょっと胸がきゅんとした――なんて事実。

 鷲の皇帝様にマゾの気があってはかの国の沽券に関わるため、何卒ご内密に。

 そんなハプスブルク皇帝は、気を取り直すように一つ大きく咳払いをすると、黒ウサギの切り落とされて短くなった両耳を睨みながら、トメの急速な変態について首を捻った。


「ウサギの肉を食ったことが、この異様に早い成長の原因であろうか。あるいは、異世界渡りによる環境の変化がもたらした突然変異か」


 自然界ではウサギは鷲の獲物の一つであるが、国民がウサギ人間の国ハプスブルクでは、皇帝とはいえウサギの肉を口にすることを禁じられている。

 その禁断の肉を食べたことにより、トメの身に異常に早い成長を促す何らかの作用が働いたというのか。

 さらに、ハプスブルクの皇帝候補は、総じて亜麻色の羽根を持って生まれ、人型になればラングラーのような亜麻色の髪になる。

 髪も肌も、まるでミッドガルドの白蛇のように白いトメは、明らかに異質だ。

 彼女が歴代の候補と共通しているのは、人型に変じても猛禽類のような独特の鋭さを残す金色の瞳だけだった。

 

「トメ、はやく大きくなりたかった! ママをイタくしないお手てがほしかった!」


 難しい顔をしているラングラーを他所に、少しだけ言葉が発達したトメは、ベッドの上ではしゃいでぴょんぴょん跳ねた。

 当然、身体に緩く巻き付けただけだったタオルケットがずり落ちて、瞬く間にすっぽんぽんになってしまう。

 つるりんぺったんこな幼児とはいえ同族のオスであるラングラーの手前、柚葉は慌てて彼女をタオルケットで包み直し、それが剥がれないように抱きかかえた。

 するとトメはさらにきゃっきゃと喜んで、両手を広げて柚葉の首にぎゅうっとしがみついてきた。


「トメも、ママにぎゅってしたかったっ!」

「ぐえっ」


 力の加減も知らない腕に首を締め付けられてえずきつつも、我が子からの熱烈な抱擁に柚葉だって感動しないわけがない。

 ラングラーはそんな二人を複雑そうな顔をして見守っていた。


 その後、柚葉はトメをジョンジョワールに託して一階へと降ろした。

 黒ウサギに対しては並々ならぬ憎悪を抱いているらしいラングラーの視界から、彼を遠ざけるためだ。

 それとともに、裸ん坊のトメを母に任せるためでもあった。

 案の定、すぐさま一階から「まああ! トメちゃんなの~!?」という母の黄色い悲鳴が聞こえ、「どうなってんだよ!?」と、困惑して裏返った哲太の叫び声も聞こえた。

 続いて、夕飯もそっちのけで押し入れを引っ掻き回している音がし始めた。

 大五郎に着せたような哲太のお古が置いてあるなら、柚葉のお古の女の子用の洋服だって母はちゃんととってあるだろうと思ったが、それは間違いではなかったようだ。


「ユズハ殿……本当にこのままあのメスを育て、黒ウサギをこの家に住まわせるおつもりか?」


 二人っきりなったとたん、ラングラーはどこかそわそわ落ち着かない様子で口を開いた。

 それに対し、柚葉は高い位置にある彼の顔をじとりと見上げて答えた。


「あのメスって何よ。あの子には、ちゃんとトメって名前があるんだからね。それに、うちの家の決断したことには口出さないって、さっき約束したばっかりでしょ」

「それは、そうなのだが……」

「何度も言うけど、私がすることで何か不満があるんなら、ラングラーはもう関わらなければいい。うちにいるのはあなたの国から放り出された子達なんだから、扉さえ閉じてしまえば二度とハプスブルクには顔見せないよ」


 そして、おそらくそれで自分とラングラーの縁も切れる――

 そう言いかけた柚葉の台詞を、彼は鋭く遮った。


「それは、困る!」

「ぎゃ……」


 次の瞬間、柚葉はでっかい塔が自分の上に倒れ込んでくる錯覚に陥った。

 気がつけば、ラングラーの身体に覆いかぶさられ、彼の腕にすっぽりと抱き竦められていた。


「ちょ、ちょちょっ、ちょっとっ――!?」

「あんなに情熱的に私を誘惑しておいて、なにゆえそれほど残酷なことをおっしゃるのか」

「な、ななな、なんのことですかねっ!?」

「ユズハ殿にいただいたあの赤い実の味……私は生涯忘れることはできぬだろう……」


 突然積極的になったラングラーに、柚葉はゆでダコになりつつ困惑した。

 しかし、強く頬が押し付けられた彼の軍服もどきの下からも、胸をぶち破って飛び出しそうな勢いで心臓が激しく脈打っている音がする。

 柚葉がちろりと視線を上げれば、襟から覗くラングラーの首は真っ赤で、その上に乗っている麗しい顔もきっと盛大に赤に染まっているだろうと容易に想像できた。


「……」

「……」


 そもそも人型の異性に接すること自体柚葉が初めてのラングラーは、気持ちの昂りのまま彼女を抱き締めてみたものの、その後どうしていいか分からずそのままの体勢で固まってしまったのだ。

 対する柚葉も全く恋愛慣れしておらず、彼の衝動を軽くかわすことも受け入れることもできず、同じくぴきりと固まった。


「――おいっ! 何してんだよっ!」


 そんなどうしようもない二人の硬直を解いたのは、いつまで経っても降りてこない柚葉を呼びに上がってきた哲太だった。

 ジョンジョワールが開けっ放しにしていったドアから顔を覗かせ、中の光景に激昂した彼は、すぐさま駆け寄ってきて二人をベリッと引き剥がした。

 恥じらいで真っ赤になっている柚葉とラングラーに対し、哲太の顔は怒りで真っ赤に染まり、頭の天辺からは今にも煮えたぎったマグマが噴き出しそうだった。

 ところが、彼がその渦巻く灼熱を咆哮として吐き出すよりも一歩早く、今度は柚葉のクローゼットの扉が何の前触れもなくバタンと開いた。


「ユズ! いるか!?」


 クローゼットから飛び出してきたのはもちろんナーガで、珍しく彼もひどく慌てた様子だった。

 いつもなら、ちゃんとチャイムを鳴らしてから扉を開けるというのに。

 ナーガは柚葉の姿を見つけると、その腕を掴んで有無を言わさず引っ張った。


「ちょ、ちょっと、ナーガ。どうしたの?」

「早く来い、ユズ! ダイゴロウの繭が――」

「えっ?」

「繭に、亀裂が入った――」





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