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其の十二




 佐倉家に新たな居候が加わった日の翌朝。

 いつもは早起きのトメが今朝はまだ眠いと言って、上掛け用のタオルケットに包まって出てこなかった。

 昨夜は夜遅くまで大騒ぎをしていたので柚葉だって眠い。

 しかし、今日も普段通り出勤しなければいけない彼女は、仕方なくトメを置いて一階に降り、先に朝食を食べた。

 それから顔を洗って化粧と着替えを済ませると、再び自室に戻ってクローゼットの扉を開いた。

 その奥にはミッドガルド皇帝の私室に通じる扉があり、柚葉はそれをノックした。


「おはよう、ナーガ」

「おはよう、ユズ」


 こちらももうとっくに身支度の済んでいたらしいナーガが、扉を開いて招き入れてくれる。

 彼の私室の奥の一角には、相変わらず大きな白い繭が鎮座していた。


「……おはよう、大五郎」


 柚葉がそう声をかけて繭を撫でてみるが、返事が返ってくる様子はない。

 ただ白く柔らかい表面は温かく、耳を押し宛てればトクトクとしっかりとした鼓動も聞こえ、大五郎が中でちゃんと生きていると分かるのだけが救いだった。

 そんな柚葉の様子を黙って見守っていたナーガだが、彼女がどうにか繭に向かって行ってきますと告げて立ち上がると、そっと口を開いた。


「出かけるのか、ユズ」

「うん、今日も仕事だから。夕方、また来るね」


 今日は金曜日。

 明日と明後日は休日だ。

 トメを迎えて以来、休日平日関係なしにバタバタしっぱなしで疲れているので、少しくらいはのんびりしたいなと思う柚葉だったが、きっと大五郎のことが心配で心が休まることはないだろう。

 ふうっと人知れず、重いため息がこぼれた。

 それをどうとったのかは分からないが、扉をくぐって自分の世界に戻ろうとした柚葉の腕をナーガがぐっと掴んで引き止めた。


「――仕事をやめ、昼間の時間をミッドガルドで過ごすことはできぬか?」

「は? 突然、なにを……」


 柚葉は振り返り、訝しげに眉を顰めた。

 すると、肌も髪も服も真っ白い皇帝が、唯一色を持った赤い目で真っ直ぐに彼女を見据えて続けた。


「余の伴侶として、そなたにはもっと多くの時間側にいてもらいたい」

「え……えっと……」


 その言葉に、柚葉はひどく戸惑った。

 ミッドガルドの皇帝は、性を確立していない状態で生まれる。

 彼らは元が蛇の化身ということもあってか、性格的には非常に淡白な者が多く、ナーガのように性を固定したり伴侶を得る者は多くはなかった。

 だから、たとえその伴侶となったとしても、役目といったら皇帝を癒し次代の養育を手伝うことくらいで、政治的権限は与えられない。

 ゆえに、現在ナーガと婚姻関係にある柚葉が一日中側に居たとしても、彼の仕事を手伝うことさえできないのだ。

 そもそも、柚葉の中ではこの婚姻はあくまで便宜上の契約であり、いつまでもそれを継続するつもりはない。

 そんな彼女の思いなど百も承知のナーガは、赤い目をすっと細めた。


「そなたがどう思っていようとも、余としてはこの婚姻をいつまでも契約と称するつもりはないぞ」

「ナ、ナーガ……」

「毎日出かけてしまうよりも、次代の養育者としてもっと側にいてやってほしいと思う。ダイゴロウの成長には、最早そなたの存在が不可欠であるからな。歴代の者達とは異なり、これは余一人では育てられぬ」


 ナーガは細めた赤い目を白い繭へと向けながら言った。


「だが、次代の事情を差し引いても、やはり余はそなたをずっと側に置いておきたい」

「……」

「今すぐ決めろとは言わぬ。ただ、余の正直な気持ちを知っておいてもらいたい」


 そこまで言って、ようやくナーガは掴んでいた柚葉の腕を解放した。

 もともと体温が低くて手もひやりとしているくせに、今は何故か彼に握られていた部分がひどく熱を持っているように感じた。


「ユズ、では気をつけて」

「う、うん……いってきます……」




 柚葉が自室に戻っても、トメはやはりまだタオルケットに包まったままだった。

 ベッドの上のこんもりとした塊を撫でて「トメちゃん、いってきます」と声をかけると、柚葉は再び一階に降りた。

 すると、リビングの隣の客間から、母が盆を持って出てきた。


「お母さん、あの黒ウサギは?」

「きっと疲れがたまってたんでしょうね。ご飯はしっかり食べられたんだけれど、お熱があるようだからしばらく寝かせておくわ」

「……あの人、何食べるの?」

「ウサギは草食でしょ。ほうれんそうとにんじんの葉をお粥に入れて差し上げたら、喜んで食べてくれたわ。心配ないわよ」

「ん、別に心配してないんだけど……あの人のこと、ナーガとラングラーにはお母さんから説明してよね」

「はいはい」


 昨夜、母の決断で佐倉家にはまた居候が一匹増えることになったわけだが、件の黒ウサギは異世界においては大罪人。

 ナーガやラングラーがこのことを知れば、当然抗議の声も上がるだろう。

 それにいちいち付き合うのは面倒なので、柚葉は言い出しっぺの母に対応を丸投げし、母の方も「大丈夫、お母さん丸め込むの得意だから」と安請け合いした。

 黒ウサギのジョンジョワールはまだまだ眼光鋭く、柚葉としてはまた彼が良からぬことを企むのではないかという疑念も捨て切れない。

 一方で、ウサギのシンボルともいえる大事な耳を切り落とし、あんなに全身ボロボロになってまでトメの側に来ることを望み、恥も外聞もかなぐり捨てて土下座をして見せた姿を演技だとも思えない。

 母が昨夜言った通り、彼が住み込みの家庭教師としてトメの成長に平和的に貢献してくれるなら、柚葉も少しは彼を受け入れられるような気がした。

 ただし、大五郎にとっては、あの黒ウサギが身近でうろうろするのはあまり心地いいことではないだろう。

 ジョンジョワールは当初、彼の命を狙っていたのだから。

 大五郎が帰ってきたら、家の中で二人が接触しないようにしなければならない。

 そんなことを考えながら廊下を歩いていた柚葉は、頼まねばならないことがあったのを思い出して、玄関まで見送りに来た母を振り返った。


「お母さん。トメちゃんも今日はまだ眠いって言ってベッドに入ったままだから、あとで何か食べさせてあげてね」

「はいはい。あなたと哲太に手がかからなくなったと思ったら、急にお世話する子が増えて、おかーさん張り切っちゃうわ~」


 異世界の騒動に巻き込まれて、身体的に大変な想いをしたのは子宮を勝手に二度も利用された柚葉だが、その後の面倒を一番被っているのは母だろう。

 別にそれは柚葉だけのせいではないのだが、何だか申し訳なくなって、少々照れくさく思いつつも小さく母に向かって頭を下げた。


「ご、ごめんね。お願いします……」

「いいのよ、ユズ。ほら、いってらっしゃい」






「あ、雨……」

 玄関を出てガレージから自転車を出そうとした柚葉は、ぽつぽつと雨が降り出していることに気づいた。

 今からでは始業時間に間に合うバスはないので、レインコートでも着て雨の中を自転車で行くしかない。

 ところが、柚葉がため息をつきかけたところ、車のキーを指先に引っ掛けてチャラチャラ回しながら、哲太も玄関を出てきた。


「おい、ユズ。ぼーっとしてると遅刻するぞ。さっさと乗れよ」

「哲太。送ってくれるの?」


 今日は大学の講義は三時限目かららしく、起きたばかりの哲太は欠伸を噛み殺しながらジャージ姿のまま愛車の運転席へと乗り込んだ。

 柚葉も慌てて自転車のかごからカバンを抜き取り、助手席へと回る。

 いそいそとシートベルトを締めながら、気の利く弟様を持って自分は幸せものだと頬を緩めた。


「……大五郎は、まだこもったまんまなのか?」

「え? あ……うん」


 地元の企業に就職した柚葉の会社までは、朝夕の渋滞が激しい大きな幹線道路を使わずとも行ける。

 この辺りの地理を知り尽くした哲太は、狭い裏通りに巧みに車を走らせた。


「まあ、あんまり気にすんなよ。ユズは最初から巻き込まれただけの被害者なんだし、異世界とか皇帝とか、結局俺たちには何の関係もないものなんだから」

「うん……でも、大五郎とトメちゃんは、やっぱり私が産んだんだよね。血は繋がってなくても、やっぱり私の子供なんだ」


 元気に育って、幸せになってもらいたい……そう呟いた柚葉をちらりと横目で見た哲太は、信号で止まったとたんに彼女の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。


「……っ、もうっ! 何すんのよっ!?」

「ちびのくせに、生意気にも一端に母親を自覚してるみたいだから褒めてやったんじゃねぇか」

「お姉様に向かって、ちびとは何よ! 図体ばっかりでかくなって!」

「うるせぇな。ユズのこと、姉貴だなんて思ったことないって言ってるだろ」


 乱れた髪を手櫛で直しながら抗議する柚葉に、ふんと鼻を鳴らして哲太は続けた。


「わけの分からん奴らにばっかりモテやがって。俺が大学卒業して就職するまで、早まった真似するんじゃねぇぞ。頼むから」

「早まった真似って、何よ?」

「大五郎が成長して自分の力で世界を行き来できるようになれば、ユズはナーガとの婚姻契約を更新する必要はなくなるんだよな?」

「え? ま、まあね……」


 まるで、先ほど交わしたナーガとの会話を聞いていたかのような台詞に、柚葉は一瞬ドキリとた。

 信号が青に変わって再びアクセルを踏み込んだ哲太は、隣で柚葉が視線を泳がせているのに気づいたのかどうなのか、ぐっと話の内容も踏み込ませた。


「じゃあ、その後に俺と付き合って、結婚するって選択肢もあるわけだ」

「て、哲太は……弟でしょ」

「血は一滴も繋がってねぇよ」

「でも……」

「ユズは、俺のことが嫌いなのかよ?」

「き、嫌いなわけないじゃん! だって、ほら家族だし……。でも、恋愛できるかっていうと、ちょっと……」


 そうこうしている内に、車は柚葉の勤務する会社の前に到着した。

 ちょうど軒下にバイクを止めて濡れたレインコートを脱いでいた同僚の美沙が、お馴染みの哲太の愛車に気づき手を振っている。

 柚葉がそれに平静を装って手を振り返していると、ぐっとサイドブレーキを引いて車を止めた哲太は、ドアロックを外しつつ言った。


「別に、今すぐ答えを出せなんて言うつもりはねぇよ。悔しいけど、ナーガとの契約が切れるまでお前は名目上はヤツの嫁だしな。ただ、その後のこと、今からでも少しずつ考えておいてくれよ」

「哲太……」

「何度も言うけど、俺はユズを姉だなんて思ってないし――今更、弟のフリする気もないから」

「……」


 そう言って、運転席から助手席の方に身を乗り出してきた哲太は少しだけ髭が伸びていて、柚葉の知っているいつもの弟よりもずっと男っぽく見えた。

 それにドキリと一瞬高鳴った自分の胸に戸惑い、柚葉が逃げるように車を降りてドアを閉めると、「帰りも迎えにきてやるから」と窓越しに声をかけて、彼はあっさりと車をUターンさせて去って行った。




 会社での昼休み。

 向かいの席でお弁当をつつきながら重いため息をついた柚葉に、同僚の美沙が「ユズちゃん、何か悩み事?」首を傾げた。

 柚葉はそれに、「うう~ん」だの「う~む」だのとはっきりとしない返事を返す。

 彼女自身、自分を取り巻く今の状況に馴染み切れず、困惑を隠し切れないのだ。

 大五郎の卵を産んだことから始まった騒動の中、会社にいる時間だけが今までと変わらぬ柚葉の日常。

 のん気におにぎりを頬張る美沙の顔を眺め、ふうとまた一つため息をついた。

 

 やがて終業時間になり、雨はすっかり止んでいたが、哲太は約束通り車で迎えに来てくれた。

 自宅に到着し、車庫の前で先に下ろされた柚葉は、庭に母の姿を見つけたので「ただいま」と声をかける。

 けれど、彼女の傍らで蠢く黒い物体に気づき、ぎょっと目を見開いた。

 

「お、お母さん、何してんの?」

「あっ、ユズおかえり。ちょっと聞いて~。ジョンさんってば、お庭の手入れがとっても上手なのよ」

「誰よ、ジョンさんって……」


 母が庭いじりに飽きて放ったらかしにされている佐倉家の庭は、そろそろ草刈りをしなければやばいというところまで来ていたが、ここに来て適任者が現れたようだ。

 ジョンさんこと黒ウサギのジョンジョワールは、もうすっかり体調が快復したのか一心不乱にもぐもぐと口を動かしている。


「――うまい! マダム、本当にこの庭の食材を全部わしがいただいてしまってもよろしいのかな?」

「ええ、どうぞ」


 ジョンジョワールは黒い目を輝かせて「ありがたい!」と喜んだが、彼の言う食材とはつまり庭を覆う雑草であるので、佐倉家としては庭の草がなくなるとともに居候の食費も浮くという一石二鳥の展開である。

 よくよく見れば、昨夜はボロボロになった燕尾服のようなものを着ていたジョンジョワールは、Tシャツにハーフパンツというすっきりとした装いに変わり、すっかり寛いだ様子。

 それを眺め、柚葉は思わず苦笑した。


「うちの塀が高くてよかったよ。服着たでっかいハムスターもどきが庭いじりしてるの見たら、ご近所さんびっくりするもん」

「ハムスターではなく、ウサギ……いやいや。わしは過去を捨て、新しい人生を生きると決めたのじゃった」


 何やら生気を漲らせた黒ウサギは、短くなってしまった耳をプルルと震わせると、「よし、わしハムスターになる」なんて、柚葉にとってはどうでもいい決意表明をした。

 それに母が乗っかって、「まあ、たいへん! お父さんに会社帰りに大きな回し車を買ってきてもらわなくちゃ!」と盛り上がるのに呆れ、柚葉は彼らに背を向け家に入ろうとした。

 しかし、ふと足を止め振り返った。


「お母さん、トメは?」

「トメちゃんねぇ、眠い眠いって言って結局お昼も食べなかったのよ。具合が悪いわけでもなさそうだし無理に起こすのも可哀想だから、ユズが帰ってくるの待ってたの」

「へえ……どうしたんだろう……」


 柚葉が自室に戻ると、母の言う通りベッドの上には朝と同じ状態のタオルケットの塊があった。


「トメちゃん、ただいま。そろそろ起きてご飯食べよ? お腹空いてるでしょ?」

「……」


 しかし答えは返らず、代わりにすうすうと穏やかな寝息が聞こえるのみ。

 気持ちよく眠っているのを無理矢理揺り動かして起こすのは気が引けるが、育ち盛りの彼女が三食抜くのは無視できない。

 とりあえず夕食の時間になったら起こそうと決め、その前に柚葉はクローゼットを開けて大五郎に会いに行くことにした。


「……ナーガ?」


 ナーガの姿は私室にはなかったが、自由に出入りをしてかまわないと許可をもらっていた柚葉は、遠慮なく足を踏み入れた。

 無人のナーガの私室をなんとなくぐるりと見回しながら、その部屋の一角にある白い繭へと近づく。

 歴代の皇帝の居住区というわりには質素な調度と、清潔感溢れる室内。

 基本的にはこの部屋にはマングース人間を誰も入れないらしいので、掃除や整理整頓もナーガが自分でやっているのだろう。

 彼の几帳面で真面目な性格が表れた、実にすっきりと落ち着いた部屋だった。

 柚葉は主のいない部屋の中に一人立ち、今朝ナーガに言われたこと――形式上だけではなく、正式な伴侶になるよう望まれたことを思い出していた。

 私室同士が繋がっているナーガとはすでに一年以上の付き合いになり、随分仲良くなったと思う。

 少々強引だったり融通の利かないところもあるが、好きか嫌いかと問われれば、柚葉は彼のことが好きだ。

 しかし、それはやはり恋というよりも友情に近いように思う。


「……あーあ……」


 さらには、今朝の哲太の言葉も思い出し、柚葉は白い繭に額を押し当て深くため息をついた。

 十六年前、父と母それぞれの連れ子として出会い家族になった哲太のことは、柚葉は弟としてとても大切に思っている。

 成長するにつれて哲太は身長も態度もあっという間に柚葉を追い越し、まるで兄のように頼もしくなってしまっていた。

 だが、彼がまさか自分のことを姉ではなく女として想ってくれていて、将来のことまで大真面目に考えているなんて、自ら打ち明けてくれるまで気づきもしなかったのだ。

 ナーガも哲太もまるで申し合わせたように、今すぐ決断する必要はないと言って柚葉に猶予を与えた。

 確かに、柚葉は今自分の色恋沙汰なんかにかまっていられる余裕はないのだ。

 生まれたばかりのトメももちろんだが、やはり一番最初に出会った大五郎のことが気になって、彼が一人前になるまでは自分の恋愛などなかなか考えられないだろう。


「大五郎が大人になったら……」


 そんなことを呟くも、彼が繭にこもる前に残した言葉がぐっと柚葉の胸を衝いた。


 ――小さいって理由だけで柚葉を独占できるなら、僕だって大きくなんてなりたくなかったっ!


 柚葉はきっと、大五郎の成長を急かしすぎていたのだろう。

 そうやって無意識のうちの彼を追いつめて苦しめていたのだ。

 今朝は一端に母親の自覚があるではないかと哲太は褒めてくれたが、いきなり押し付けられた子育ては柚葉には難しくて、充分に務めを果たせているとは思えない。

 大五郎やトメが自分に向けてくれた信頼と思慕に満ちた瞳を思い出すと、いたたまれなくなってしまう。


「大五郎、ごめんね……」


 柚葉は温かい繭の表面を撫でて謝りながら、中にいる大五郎を抱き締めるつもりでぎゅっと両腕を回した。

 繭は、最初の時よりずっと大きくなって、もう柚葉の腕では回りきらなくなっていた。





「トメ? トメちゃーん? ねえ、一回起きようよ。ご飯食べてくれないと、ママ心配だよ~」


 夕食の時間になっても、トメはタオルケットから出てこなかった。

 柚葉はさっき決めた通り、そのタオルケットを引き剥がして一度トメを起こすことにした。

 父も帰宅したので、夕飯は先に始めてもらっている。

 哲太もさっさと一階に降りてしまった。

 一方、黒ウサギのジョンジョワールは、縁側の灯りを頼りにまだ一心不乱に草をむしっているらしい。

 彼の場合、それはイコール夕食になるので放っておいてもかまわないかもしれない。

 しかしながら、姫、姫とトメに対する執着を訴えておきながら、すっかり自分の腹ごしらえに夢中な爺やに対し、柚葉は少々複雑な気分だった。


「トメちゃん、タオル引っ張るよ?」


 柚葉はそう声をかけてから、自分のベッドの上のタオルケットの塊を解きにかかった。

 ううん……と、不満げな寝起きの声が中から聞こえるが、とにかく大五郎のこともあるから一目トメの顔を拝まないと柚葉も落ち着かない。

 彼女がぐるぐるに包まったタオルケットをうんしょうんしょと引っ張っていると、部屋の扉がトントンとノックされた。

 

「どーぞー!」


 おそらく様子を見に来た母だろうと思った柚葉は、相手も確かめずにそう返事をした。

 そして、カチャリと静かにドアが開いたのとほぼ同時に、トメの身体を覆い隠していたタオルケットも剥がれた。


「さあ、トメちゃん。下で一緒にお夕飯食べ……」


 とたんに、ぶわっと白い羽毛が舞い上がった。

 これまでもトメが羽ばたく度に羽毛は抜け落ちていたのだが、その比ではない大量の白いふわふわが宙を舞って、柚葉は目を丸くする。

 次いで、剥ぎ取ったタオルケットを軽く畳んでベッドに置こうとしたとたん、彼女はピキリと固まった。

 この期に及んでまだベッドから起き上がろうとしない我が子。

 その予想だにしなかった姿に、一瞬思考が停止したのだ。


「ユズハ殿、いかがなされた?」


 そんな柚葉の肩に後ろからそっと触れたのは、母のたおやかな手ではなく、骨張った男の大きな掌であった。






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