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其の九



 築十年になる佐倉家は、閑静な住宅街に建っている。

 十六年前に互いに子連れで再婚をした父と母が、それまでの貯金を叩いて即金で購入した一家の城だ。

 父は大手電子メーカーの営業部長。

 母は再婚を機に保育士の仕事を辞め、細々と内職をしながら昼間の城を守っている。


 そんな佐倉家は、最近とみに賑やかになった。



「ここのところ、随分国際結婚が増えているようですが、反して出生率は下がっているもようです」

「婚姻後、そう時を経てず離婚するケースも倍増している。これは由々しき問題だな」

「国際結婚は憧れるけど、やっぱり一緒に生活していく上で文化の違いは大きなすれ違いを生みますものね」


 佐倉家の一階は、二十畳の板張りのリビングに六畳のダイニングが隣接している。

 後者の中央に置かれた四人掛けのダイニングテーブルで、三人の人物が頭を寄せ合って真剣な顔で議論していた。


「円満な家庭を保ち続ける秘訣は、何なのでしょうか? 母上殿」


 その内の一人、白く長い髪とルビーのような赤い瞳をした美貌の男がそう問うと、


「母上殿は、父上殿と離婚を考えたことはないのだろうか?」


 短い亜麻色の髪をした金色の瞳の美丈夫が、そう問いを重ねた。


「あら、そうねえ……」


 そして、二人の視線の先で頬に手を当てて答え探るような仕草をしたのは……


「――ちょっ……おかーさん!? 何、異世界のトップ会談に参加してんのよっ!」

「あら、おかえり、ユズ」


 帰宅して一階ダイニングをのぞいた柚葉が見たのは、異世界ミッドガルド皇帝ナーガとハプスブルク皇帝ラングラーとともに、大真面目な顔で議論している母だった。

 人外超絶美形二名相手に、中年女性の堂々たるエプロン姿。


「おかえり、ユズ」

「お務めご苦労、ユズハ殿」


 そんな日本の主婦を大国同士の外交会談に参加させていた皇帝二人は、柚葉の帰宅にそれぞれ目を細めて労いの言葉をかけた。

 柚葉は台所で手を洗ってうがいをすると、急に人口密度が高くなった我が家に困惑しつつ、きらびやかな男達に眉を顰めて問うた。


「ナーガとラングラーも、なんでうちで集まってんのよ」


 しかし、問うたはものの、答えは簡単。

 集まりやすいからだというのは柚葉にも分かっていた。

 ミッドガルドとハプスブルクは、どちらも異世界では歴史ある大国だ。

 両国の皇帝の会談の場を設けようとなると警備も物々しくなるし、なんと言ってもどちらも国土がだだっ広いので一カ所に集まろうにも移動が大変なのだ。

 その点、佐倉家ならば他の者に邪魔される心配もなく、移動も容易い。

 ナーガの私室と柚葉のクローゼット、そしてラングラーの私室と哲太のクローゼットはそれぞれ直通しているのだから。

 柚葉の母はお茶菓子を出して歓迎してくれるし、異世界の主婦目線の意見は新鮮で興味深いらしい。

 もちろん、柚葉に会いたいからというのが、皇帝達の一番の本音だ。

 必然的に、佐倉家はナーガとラングラー両者にとって最適な会談場所となっていた。

 

「勝手に集合場所にしないでよ! 少しは遠慮して!」

「あらユズ、いいじゃない。おかーさん、こんなキラキラしたイケメン二人に囲まれて、眼福だわぁ」


 どんどん自分の日常に食い込んでこようとする非現実的な者達に、柚葉ははかない抵抗をみせる。

 それなのに、順応性抜群の母は、自分が淹れたお茶をすすりながら朗らかに笑って彼らの存在を認めた。

 それを見て、ナーガはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ラングラーは大きく一つ頷いた。


「母上殿が我らをお茶の席にご招待くださったのだぞ。家長たる父上殿にも前もってお許しをいただいている」

「父上殿は、我々が贈ったワインをいたくお気に召されたご様子だった」

「なっ……!?」


 なんということだ――!


 父もすでに買収されていたという事実に、柚葉が愕然とした。

 着々と異世界という非常識に毒されていく佐倉家。

 わなわなと震える柚葉に対し、ナーガはとどめとばかりに高慢な口調で続けた。


「ここは確かにユズの家だが、所有者は父上と母上だろう? お二人が認めているというのに、そなたにとやかく言う権利はあるものか」

「ぐっ」


 ナーガは白い手を伸ばし、絶句する柚葉の頬を撫でながらさらに続ける。


「自分名義の家が欲しいというなら、我が国にそなたの城を建ててやろうではないか」

「い、いらないわよっ!」


 対して、反対側から伸びてきたラングラーの男らしい手が、そっと優しく柚葉の手を握った。


「我が国には、もうユズハ殿用の宮を建てている。いつでも移り住んでもらってかまわない」

「そ、そんな予定はありませんっ!」


 柚葉は真っ赤になりながら両者の手を振り払うと、慌てて壁際まで後ずさった。

 そして、照れを誤魔化すように母に向かって叫ぶ。


「お、おかーさん! トメちゃんは?」

「ユズのお部屋にいるわよ。大五郎ちゃんと一緒じゃないかしら」


 それを聞いた柚葉はダイニングから駆け出すと、ドタドタと慌ただしい音を響かせて二階へと上っていった。

 それをやれやれと苦笑しながら見送ると、母はダイニングテーブルにかけた人外二名を振り返り、にっこりと微笑んで言った。


「うちの夫婦円満の秘訣は、互いを思いやる気持ちと寛大さ、そして可愛い子供達の存在ね」







「――っ、もうっ……、くっつくなよ! 離れろっ!」

「あそぼ、あそぼ」


 柚葉が階段を上り切り、二階の自室のドアノブに手をかけた時、中からあどけない二つの声が聞こえてきた。


「僕は忙しいんだ、お前と遊んでなんかいられない!」

「ダイゴロー、あそぼ」

「気安く呼ぶなっ!」

「ダイゴロー」


(ああ、またやってる)


 そう思いつつ、柚葉はドアノブを捻って扉を押し開いた。


「ただいまー」

「――柚葉、おかえりっ!」

「――ままあっ、おかえりー」


 とたんに白い髪をなびかせて駆け寄ってきたのは、柚葉の胸ほどの背の高さになった大五郎。

 彼が両腕を広げて、ひしっと柚葉に正面からしがみついてきた。

 続いて、わたわたと翼をばたつかせて飛んできたのはトメだ。

 不格好ながらも少しだけ羽ばたけるようになった彼女は、なんとか柚葉の肩に着地して、すりすりと頬擦りをして甘えてきた。


「ああん、大五郎ちゃん! トメちゃん!」


 そんな可愛い子供達の熱烈な歓迎に、母柚葉の顔はだらしなく緩む一方だ。

 その頭に後ろからぽすんと大きな手が乗ったかと思ったら、呆れた声が上の方から降ってきた。


「おい、ユズ。締まりのない顔してないで、さっさと着替えて下りてこいよ。腹減った」

「哲太、帰ってたの? 今、ダイニングにはナーガとラングラーが……」

「知ってる。俺が帰った時にはもう居た。あいつら気にしてたら、キリがねえ」


 哲太はやれやれという風にため息をつくと、柚葉にもう一度「早く下りて来いよ」といい置いて、トントンと軽やかに階段を下りていった。

 最初は彼も自室のクローゼットに異世界の出入り口を作られたことに憤り、遠慮なく出入りするハプスブルク皇帝に困惑していたが、十日もすればその状況に慣れてしまった。

 というよりも、非常識なことをしておきながらも、基本礼儀正しく実直なラングラーに「世話になる」と頭を下げられて、無碍にはできなくなったと言うべきか。

 哲太も随分お人好しだが、姉として柚葉はそこが彼のいいところだとも思う。

 なんやかんやと言いながらも、哲太は大五郎やトメには兄のように接して受け入れてくれていて、それも柚葉にとっては有り難かった。


 ただし、ただでさえ長身のナーガとガタイの良すぎるラングラーに、こちらもなかなか長身の細マッチョに育った哲太が加わると、佐倉家のダイニングはますます狭っ苦しくなるに決まっている。

 そんな窮屈な所に行くくらいなら、しばらく自室で可愛い子供達に仕事の疲れを癒してもらおう。

 そう思った柚葉がまたデレデレした顔を部屋の中に戻すと、可愛い子供達はまたも何やら揉めていた。



「ダイゴロー、ダイゴロー。トメ、ダイゴローすき!」

「だから、気安く呼ぶな! 僕は、お前のことなんかっ……」


 大五郎は最初からトメをひどくライバル視しているが、トメの方はやたらと彼に懐こうとしている。

 柚葉から見れば他愛無い兄妹喧嘩のようで微笑ましいのだが、大五郎のイライラした様子に苦笑しつつ間に入った。


「大五郎ちゃん、強く言っちゃだめよ。お兄ちゃんなんだから」

「だって……」

「お願い、優しくしてあげて。トメちゃんはまだ赤ちゃんなんだよ?」

「……」


 とたんにぷっと拗ねた大五郎は、年相応の幼さに見える。

 それが可愛くて、柚葉がぎゅうっと彼の頭を抱き締めてやると、膨らんだ頬が赤く染まった。


「大五郎、いい子いい子。そんないい子に、今日はお土産があるんだよー」

「お土産?」


 不思議そうに赤い目をぱちくりさせた大五郎の前に、かばんの中から柚葉が取り出して見せたのは、対象年齢三歳以上の変身ベルト。

 毎週日曜日の早朝、大五郎が父と哲太と三人で夢中になって見ている特撮ヒーローが、変身する際に使用するアイテムだ。

 本日の昼休憩、毎度同じく文句も言わずに玩具屋に付き合ってくれた同僚の美沙だが、さすがにそれをレジに持っていく柚葉に「誰にあげるの?」と問うた。

 まだ大五郎達の存在を明かしていない彼女に対し、柚葉は咄嗟に「哲太に!」と答えてしまったが、大らかな美沙は大学生にもなった柚葉の弟が変身ベルトを欲しがっていると聞いても、「ふうん」と微笑むだけで驚きはしなかった。

 一方、その哲太のお古のハーフパンツとTシャツ姿の美しい少年は、細い腰にゴツい玩具の変身ベルトを装着し、子供らしく頬を紅潮させた。


「柚葉、ありがとうっ!」

「どういたしまして」


 柚葉はそれを微笑ましく見守る。

 定価で七千円近くするそれは、安月給の柚葉の財布の中を少しばかり寂しくしたが、実家暮らしのおかげでそうそう生活に困窮する心配はない。


「僕、早く大きくなって、きっと柚葉を守ってみせるよ」

「うふふ、大五郎は頼もしいなぁ」

「誰よりも強くかっこ良くなってみせるから。そしたら柚葉、僕のお嫁さんになってくれるよね?」

「ん~? えへへへ、楽しみだね~」


 何より、大五郎のルビーのような赤い瞳がキラキラと喜びに輝くのを見せられれば、柚葉はいくら貢いだって惜しくないと思った。

 トメには、ゼンマイを巻いて走らせるネズミの玩具をプレゼント。

 鷲の狩猟本能を刺激されたのか、彼女もそれをすこぶる気に入った。

 そして、痺れを切らして迎えにきた空腹の哲太に延々ゼンマイを巻かせ、飽きることなく繰り返しネズミを捕まえて遊んだ。


 プレゼントは功を奏し、その日はそれから大五郎とトメが揉めることはなく、それぞれ上機嫌のまま柚葉の両脇で眠りに就いた。




 しかし、その翌朝のこと。




「――っ、あイタっ……」



 ネズミの玩具相手に興奮しすぎたトメの爪が、出勤の支度をしていた柚葉の腕を引っかけた。

 白い肌の上にびっと赤い線が三本描かれたかと思ったら、たちまちじわりと血が滲み出す。

 もちろんわざとではなかったトメは、その光景に呆然。

 ぽろりと彼女の爪から逃れたネズミの玩具が、ジジジジ……と音を立てて床を走り、ドアにぶち当って止まった。


「柚葉!?」


 こちらも朝の出勤の支度中で、ミッドガルドの次代用ローブの上に変身ベルトを着けようとしていた大五郎は、柚葉の突然の流血に激しく動揺し、真っ青な顔をしてすぐさま駆け寄ってきた。

 そして、傷口からぷくぷくと滲んで盛り上がり始めた血液が、表面張力を破って流れ落ちる前にそれを舐め取った。


「わっ……大五郎!?」


 慌ててティッシュを引っ掴もうとしていた柚葉は、大五郎の舌が傷口を辿る度に起こるぴりりとした痛みに肩を竦めつつ、何だかとてつもなく恥ずかしい気がして頬を赤らめた。

 そうして、あわあわとパニックになっている彼女を他所に、止血を終えて顔を上げた大五郎の瞳は、まさに今舐め取った鮮血のごとく爛々と不穏な光を宿していた。


「――きさま」

「だ、大五郎!?」


 燃えたぎる怒りの矛先は、呆然としている鷲のヒナへと真っ直ぐに向けられた。

 低く地を這うような彼の声に一瞬おののいた柚葉の前で、真っ白い髪とローブがひらりと翻ったと思った、次の瞬間――



「――ぴいいっ……!」



 頭に血が上った大五郎の右手が、トメの細い首を乱暴に鷲掴んで締め上げた。

 甲高い悲鳴に、はっと我に返った柚葉はとっさに叫んだ。



「こ、こら、ダメっ!――やめなさい、大五郎っ!!」



 思わず、今までにないほどの大声で叱りとばしてしまった。

 柚葉が自分でも驚くほどのそれに、ビクリとして振り向いた大五郎の目には、みるみる涙が溢れ上がってくる。

 その手から解放されたトメが、ぽとりと床に落ちて尻餅をついた。


「……柚葉は、僕よりこいつの方が大事なの?」

「――えっ? いや、そんなことは……」

「だって、トメを庇ってばっかりだ! ……僕のことなんて、もうどうでもよくなっちゃったの!?」

「ち、違うよ! トメはほら、まだ小さいから……」


 しどろもどろに答える柚葉を、大五郎は涙の溢れる瞳でキッと睨んだ。




「小さいって理由だけで柚葉を独占できるなら、僕だって大きくなんてなりたくなかったっ!」




 そうして涙を散らして叫び、昨日柚葉がプレゼントした変身ベルトを放り投げると、大五郎はクローゼットに飛び込んでしまった。


「だ、大五郎!!」


 バタンッ! っと、柚葉の目の前で乱暴に扉が閉まる。

 それに大五郎に激しく拒絶されたように錯覚し、柚葉は胸がずきりと痛んだ。

 追い掛けようかとも思ったが、ふと壁掛け時計を見上げると出勤時間が迫っている。

 これでは大五郎と落ち着いて話せそうにはない。

 夕刻帰ってきてから改めてゆっくり話そうと思い、柚葉はめそめそと泣いているトメを宥めて母に預け、急いで家を出た。

 今朝は哲太は早くに車で出て行ってしまったので、送ってはもらえない。

 柚葉は慌てて自分の自転車に跨がり、両手でハンドルを握った。

 そして、ふと気づく。


「……もう、傷口が塞がってる」


 かなりざっくりといったはずのトメの爪痕が、もうぴりりとも痛まないのだ。

 それどころか、かさぶたを通り越して薄く皮膚さえ貼られ始めている。

 その驚異的な快復の原因として思い当たるのは……


「大五郎が舐めてくれたおかげかな……」


 彼の傷ついた赤い目を思い出し、柚葉は深く一つため息をついた。






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