表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/29

其の七




 ハプスブルク皇帝が来訪した翌日。

 仕事が終わった柚葉が帰宅して自室に入ると、ちょうどクローゼットを開けてミッドガルド側から大五郎も帰ってきたところだった。

 ちなみに鷲の子トメは、昨夜のさくらんぼで見事に柚葉の母に餌付けされ、昼間は彼女に面倒を見てもらえるようになった。

 それでも、やはりトメにとっての母は柚葉であり、帰宅した彼女の肩にしがみついてスリスリと甘えている。


「いてててっ……」

「柚葉!?」


 ただし、猛禽類の爪はヒナでも鋭い。

 幼いがゆえに力加減も知らず、かぎ針のようなトメの爪は衣服越しでもかなり痛い。

 思わず柚葉が顔をしかめると、慌てて駆け寄ってきた大五郎がトメを睨み上げて怒鳴った。


「おい、気を付けろ! 柚葉に怪我をさせたら、許さないぞ!」

「あー……大丈夫、大丈夫。怖い顔しないの、大五郎」

「だって……」

「平気平気。後で、爪の先だけチョッキンしようね、トメちゃん」


 柚葉はむっと口を噤んだ大五郎の白い頭をぽんぽんと撫で、彼に怒鳴られて金色の瞳をうるうるさせたトメを宥める。

 大五郎はまだ不服げではあったが、自分が開いたままだったクローゼットからナーガが現れると、とたんに子供っぽい表情を引っ込めた。

 大五郎にとって、ナーガは師匠や父親のような存在であると同時に、柚葉を巡るライバルでもある。

 便宜上の契約とはいえ、現在立場的にはナーガは柚葉の伴侶であり、一歩リードを許してしまっているのは口惜しいところだ。

 そんなナーガは相変わらず長ったらしいローブを引き摺ってクローゼットから抜け出ると、柚葉の側までやってきて深々とため息をついた。

 

「ラングラーが、あれほど聞き分けのない男だとは知らなかった」


 昨夜、それが相手にとっての求愛行動だとは知らず、柚葉が差し出した最高級佐藤錦。

 その気になってしまったハプスブルク皇帝は、ナーガがいくらあれは求愛ではない、柚葉にそんなつもりはなかったと説明しても、受け入れなかった。

 

 ミッドガルドの皇帝同様、ハプスブルクの皇帝も自らの生殖によって次代を生み出すわけではない。

 前者の卵は城の天辺にある大木の枝の叉から産まれ、後者は四つの公爵家保有の石より産まれる。

 両国の皇帝ともに伴侶を得ることはできるが、どちらも前例はあまりない。

 しかも、ミッドガルドの皇帝は代々淡白なので、結婚したとしてもほとんどが夫婦生活のないまま生を終える。

 一方で、ハプスブルクの皇帝はもともと性別を持って生まれるからか、夫婦間のスキンシップとして性交渉を行う場合もあるらしい。

 しかしながら、ハプスブルクは国民がウサギの国。

 鷲のヒナとして幼生時代を過ごし、成長して人型になる皇帝と次代候補達にとって、同じ種族の姿をした恋の相手というのはなかなか出会えるものではない。

 そもそも、次代候補に雌が生まれる確率は非常に低い。

 ラングラーが孵化した時も、彼を含めて四羽のヒナは全員雄だった。

 つまり、彼はまったく女慣れしていない――もっと言えば、とんでもなく初心なのだ。

 そんな彼の前に、ピンクの唇をしたすべすべの肌の女が、求愛の証を差し出してきた。

 背の高い彼からすれば、小柄な柚葉は上目遣いに見えた……かもしれない。

 トメを守るために、一国の皇帝相手に啖呵を切った時の勇ましさと、一転して彼を客人としてもてなそうと、日本人の民族芸ともいえる奥ゆかしい態度を演じた柚葉。

 はからずも、そんなギャップが童貞皇帝のハートをずきゅんと打ち抜いてしまったらしかった。


「昨夜はひとまず国に帰ったが、そなたを諦めた様子はなかった。……まったく、厄介なことになった」


 ハプスブルクの黒ウサギ公爵の奸計が発覚した時より、よほど両国の状態がギクシャクしてしまうかもしれない。

 なんといっても、二つの大国の皇帝が一人の女性を巡って対立するというのだから。 

 憮然とした様子のナーガに、柚葉は困った顔をして問いかけた。


「えっと……それってやっぱり、私のせいになるのかな……?」

「……まあ、そなたに責任がまったくないとは言い切れぬな」

「だって、そんな……」


 そもそも、柚葉は最初から巻き込まれただけなのだ。

 まだぴっかぴかの処女なのに、異世界の勝手な事情で二つも卵を産まされて、迷惑なことこの上ない。

 それでも、卵から孵った大五郎とトメのことは本当の子供のように可愛いし、いくらか馴染みができたクローゼットの向こうの世界で争い事が起こるは嫌だった。

 そう思って表情を曇らせた柚葉に、ナーガは彼女がラングラーと番うことを心配しているのだと思ったらしい。

 いくらか声を和らげ、鷲のヒナを肩に乗せたままの彼女の顔をのぞき込んだ。

  

「安心しろ。余の伴侶である内は、そなたをラングラーの好きにはさせぬ」

「それって……結婚契約が切れたら、後は知らないってこと?」

「それが困るというなら、永久契約にしてしまえば問題はなくなるが?」


 ナーガはそう言うと、片手を伸ばして柚葉の肩をぐっと抱いた。


「ぴっ」


 トメは白蛇が本性の彼に怯えたように、柚葉の肩からベッドの上へと飛び降りて、お気に入りのクッションの上でじっと縮こまった。


「ちょ、ちょっと……!?」

「我らは現在正真正銘の夫婦だ。触れ合っても何も問題あるまい?」


 初めて会った時、ナーガは中性的な印象の方が強かった。

 しかし柚葉と婚姻契約を結んで自ら雄の性を選択して以降、男性的な雰囲気が強調されるようになってきた。

 恋愛経験の少ない柚葉はその対応に困り、たじたじとなることもしばしば。

 無駄に色気を漂わせたナーガの流し目に、柚葉が顔を引きつらせて後ずさる。

 すると、大五郎がそんな彼女の脇腹にぎゅっとしがみつき、叫んだ。


「永久契約なんてさせるもんかっ! 柚葉はいずれ僕のお嫁さんになるんだ!」

「——ほう」


 一瞬、大五郎とナーガの同色の瞳がバチバチと火花を散らした。

 だが、鈍い柚葉はそんなことにも気づかない。

 大五郎の発言を、幼子が母親や幼稚園の先生に抱くような可愛らしい慕情だと思い込んでいるのだ。

 だから、彼らが本性のままヘビのように鋭い目で睨み合う中、一人デレデレと顔を緩めて大五郎を抱き締め返す余裕があった。


「うわぁん、大五郎ちゃん! いつまでそんな風に言ってくれるのかな〜。大人になったら、きっと私になんて見向きもしてくれなくなるんでしょーね」

「何言ってるの!? 大人になったら柚葉をお嫁にもらうって言ってるでしょ!」

「はいはい」

「柚葉、僕は本気だよ!」

「うんうん」


 声変わり前のソプラノは必死に言葉を紡ぐが、柚葉の相槌はまったく本気にしていないようなものだった。

 それを見てナーガがフンと鼻で笑うと、大五郎はギリリと悔しげに唇を噛んだ。

 彼は、今ほど幼い自分の容姿を歯痒く思ったことはなかった。


「まあ、とにかく。ラングラーのことはユズは今後あまり気にする必要はないだろう。余は二度とあれを私室に通さぬつもりだ」


 一方、ナーガは勝手知ったるとばかりに柚葉のベッドに腰を下ろしつつ続けた。

 彼に怯えたトメが「ぴっ!」と鳴いて、再び柚葉の肩へと逃げ上がる。


「ハプスブルクの者は我がミッドガルドの者ほど念の力に長けてはおらぬ。トメの卵を転移させた黒ウサギでも、世界を完全に繋ぐことまでは不可能だ。つまり、余の私室とユズのクローゼットを繋ぐ扉を通らぬことには、ラングラーはこちらの世界には来れない」

「あ……そ、そうなんだ……」


 プルプル震えるトメの背を撫でつつ、ナーガの言葉に柚葉もようやくほっとした。

 ハプスブルク皇帝ラングラーは、悪いひとではないとは思う。

 しかし、やはりまだトメを取り戻しに来るのではないかと心配だし、何より自分の意図せぬ行動が招いた誤解のせいで、彼とは非常に顔を合わせ辛い関係になってしまった。

 さくらんぼを差し出した柚葉の行為は、ラングラーにとってはいきなりベッドに誘われたようなものなのだという。


「ああ、もう~、ありえないっ……!」


 どれだけ時間が経とうとも、その事実を思い返す度に柚葉は顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。

 真っ赤な顔をして頭を抱える柚葉を挟み、ベッドに腰を下ろして目線が同じになったナーガは、なおも彼女の胴にしがみついていた大五郎を見据えて問うた。


「ラングラーへの対応については、そなたも異存はなかろうな」

「当然だ。ハプスブルク皇帝にだって柚葉をやるもんか」


 この点については、ミッドガルドの皇帝とその次代の意見は一致している。

 隣国ハプスブルクとの今後の関係に支障が出ようとも、柚葉のことだけは譲れない。

 のん気な柚葉をよそに、大五郎とナーガはそれを確かめ合った。


 

 ところが



 ――バタンッ!



「お、おおおおいっ! ユズっ!」


 突然、ノックもなしに部屋の扉が開いた。

 駆け込んできたのは柚葉の弟、哲太だ。

 驚いたトメが、また柚葉の肩に爪を立てる。


「い、いててて……哲太、おかえり」


 この日は午後からアルバイトだった哲太は、柚葉が帰宅した時にはまだ帰っていなかった。

 柚葉の「おかえり」に、彼は「おう、ただいま」と律儀に返しつつも、すぐさま「それどころじゃねぇ!」と続けた。

 そして、顔を引きつらせて背後を振り返り、叫んだ。



「こ、こいつは、どちらさんだ——!?」



 その声に呼ばれたかのように、のそりと柚葉の部屋の扉をくぐった長身。

 その人物に、大五郎もナーガもトメも、そして柚葉も見覚えがあった。


「ラ、ラララ……!?」

「おい、ユズ! 何のん気にラララ歌ってんだよっ!」


 混乱しているせいか、哲太の突っ込みにもキレがない。

 そんな彼を含め、部屋の中に揃ったメンバーの顔を静かに見回した金色の目は、最後にぱかっと口を開いて唖然としている柚葉を捕え――


 とたん、キラキラと輝きを増した。



「――ユズハ殿」



 現れたのは、二度とこちらの世界には来れないはずの、ハプスブルク皇帝ラングラーだった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ