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其の六


 


 ――赤面



 柚葉は文字通り顔面を真っ赤にしている男をまじまじと眺めた。

 ナーガや大五郎に比べて幾分日本人に近い肌色ながら、やはり色白の部類に入るハプスブルク皇帝の顔面は、今やさくらんぼも負けそうなほどの赤に染まっている。

 ラングラーは目を大きく見開き、金色の瞳を不安定に揺らしながらさくらんぼを凝視した。

 次いで、それが載った皿を差し出す柚葉の顔に視線を移すと、今度は池の鯉のように口をぱくぱくさせ始めた。


「あ、あのー……?」


 柚葉はわけがわからないまま、困ったように声をかける。

 「ど、どうぞ」とさくらんぼの皿を近づけると、ラングラーはびくりとして椅子の背に背中を張り付かせた。


「ユズハ、どのっ……!? 私は、そんなっ……!」


 そして、喘ぐように切れ切れに叫ぶと、「ああっ……」と切ない声を上げて両手で顔を覆ってしまった。

 亜麻色の短髪からのぞく耳まで、赤く染まっている。


「ちょ、ちょっと? どうしちゃったの?」


 柚葉は戸惑い、ベッドに腰を下ろしていたナーガに助けを求めた。

 すると彼の方も大きく目を見開いて、まじまじと柚葉を眺めて言った。


「そなた……なんと大胆な……」

「え?」

「ハプスブルクの大人の鷲にとって、赤い実を差し出すのは求愛の証」

「は?」

「つまるところ、性交を要求しているのと同じことだぞ」

「い――!?」


 驚くべき事実を聞かされて、今度は柚葉が目をむく番だった。

 求愛の証として、雄が雌に食べ物をプレゼントするなんてことは、テレビの動物ドキュメンタリー番組などで見たことがあったかもしれない。

 動物界では食べ物は最高の貢ぎ物であろうから、分からなくもない。

 しかし、それがそのまま異世界ハプスブルクの皇帝の習性に当てはまるなんて、そんなの柚葉が知っているわけがないじゃないか。

 大五郎だって知らなかったようで、唖然とした様子で柚葉とラングラーを見比べている。

 柚葉もあわあわと慌てて、ラングラーに向き直った。

 すると、掌で顔を覆っていた彼は、その指の隙間からちらりと柚葉を見て、また「ああっ……」と切ない声を上げた。

 デカイ図体のくせして、反応はまるで乙女だ。

 

「ち、ちがう! ちがうんですよっ!! ちょっと!?」


 柚葉はさくらんぼの皿を両手で持ったまま、おろおろするばかり。

 そんな彼女に、片手で口を覆ったナーガがさらに追い打ちをかけた。

 

「しかも、ユズ。そなた、そんなにたくさん……」

「ちっ、ちちちち、ちがーうっ!」

「――絶倫だな」

「いやあーーーっっ!!」


 ラングラーに負けず劣らず顔を真っ赤にした柚葉は、彼に向かって「誤解ですっ!」と叫ぼうとした。


 ところが


 ――パクッ


「――え……?」


 突然、鷲の皇帝は柚葉の持った皿からさくらんぼを摘まみ上げ、口に含んだ。

 そして、もぐもぐと咀嚼しながら新たな一粒を摘んだかと思うと、それをぽかんと開いていた柚葉の口へと放り込んだのだ。


「――むぐっ!?」

「――おい!?」

「柚葉っ!?」


 そのとたん、ナーガが鋭い声を上げてベッドから立ち上がり、大五郎も驚いた様子でそれに倣った。

 トメは、柚葉の肩にぎゅっと爪をたててしがみつき、まだラングラーへの警戒を解いてはいない。

 そして当の柚葉はというと、戸惑いながらもさくらんぼに歯を立てた。

 口に入れられたからには食うしかない。

 一度口に含んだものを取り出すなんて、言語道断。

 佐倉家は食に関する躾だけは厳しかったのだ。

 迷い箸などすると、すかさず母に箸払いされるくらいに。


 もぐもぐもぐ……


 いやはや、さすがは最高級さくらんぼ。

 アメリカンチェリーとはまた違う、ジューシーな実の中には繊細でいて上品な甘さがいっぱいに詰まっている。

 これは、うまい! うますぎる!


(山形の叔父さん、ありがとう……!)


 柚葉の脳裏に、薄くなった頭に後光が反射する叔父の幻影が浮かぶ。

 それにうっとりと眩しそうな顔をしていると、ナーガの不機嫌そうな声がした。


「この馬鹿者。食ってどうする」

「え?」

「そなた、余という伴侶を持ちながら、ラングラーとも番うつもりか!?」

「は?」


 柚葉とナーガの結婚契約は、すったもんだあった末、現在も継続中である。

 一度は大五郎が本当に契約終了の書類を代筆したのだが、ナーガが柚葉との関係が切れるならばクローゼットの扉を封じると言い出したのだ。

 まだ幼い大五郎には、自力で世界を繋ぐ力はない。

 ナーガの他にそれができるのは、ミッドガルドの長老である侍従長ヘレットだけだが、彼は柚葉とナーガの結婚継続推進派なので、協力は望めないだろう。

 大五郎も柚葉も、お互いが会えなくなるのは困る。

 仕方なく、結局柚葉はナーガと一年の延長契約を結び直すことになったのだった。

 大五郎に充分な念の力がつくまで、柚葉はナーガとの結婚契約を更新し続けなければならないかもしれない。

 つまり、柚葉は今現在もまだ“人妻”のままなのであった。


 しかし、どうやらハプスブルクの大人の鷲――つまり、皇帝とその側近として仕える元皇帝候補達の習性では、赤い実を雌雄がお互いに受け取り合うと求婚成功ということになるらしい。

 遅ればせながらその事実に気づいた柚葉は、ナーガの機嫌が急降下した理由も理解した。

 現在、異世界的には彼女の“夫”であるナーガは、長いローブの裾を引き摺って一歩踏み出すと、柚葉の二の腕を掴んで引き寄せた。

 そして、彼女を己の背に隠すようにしてラングラーに対峙する。


「ラングラー殿もしっかりいたせ。一国の皇帝が果実一粒に惑わされてどうする。今のやりとりは無効だ」


 すかさず、大五郎も柚葉の胴にしがみつき、キッと赤い瞳を鋭くして鷲の皇帝を睨み上げた。

 トメはというと、皇帝との間にナーガという盾ができてほっとしたのか、柚葉の肩から皿の上へと滑り降り、おいしそうにさくらんぼを啄んでいる。

 一方、さくらんぼの種までも噛み砕いて飲み込んでしまったラングラーは、こちらも至極真剣な顔をしてとんでもないことをのたまった。



「私は別に、ナーガ殿と妻を共有してもかまわない」

「――ぶっ! んぐっ……」



 柚葉は驚きのあまり、そろそろ吐き出そうかと思っていた種を飲み込んでしまった。

 喉を硬いものが通った違和感に、彼女がうえっとえずくと、大五郎が労るように背中を撫でてくれる。

 ナーガは赤い目を細めてラングラーを見据えると、柚葉達の側を離れてつかつかと彼に歩み寄った。

 そして、自分よりもいくら背の高い男の襟首をむんずと掴むと、きょとんと金の瞳を瞬く彼を引っ張って歩き出した。



「ナ、ナーガ殿?」

「余の部屋で話をつけよう。――またな、ユズ」

「あ、は、はあ……」


 ラングラーはひどく戸惑った様子だったが、どうやら年上のナーガには逆らうつもりはないらしく、大人しく彼に引き摺られていった。

 ただしクローゼットに潜り込む寸前、「ユズハ殿……」と縋るように自分を呼んだ彼の目が、捨てられた子犬のようだったなんて、柚葉は思い過ごしだと思いたい。


「柚葉……」


 複雑な表情で異世界の皇帝二名を見送った柚葉に、腰にしがみついていた大五郎が声をかけた。

 トメはすっかり皿の上に腰を下ろして、いまださくらんぼを堪能している。


「トメちゃん、食べ過ぎちゃだめ……」


 柚葉はさくらんぼの中からヒナを掴み上げると、大五郎の背中を宥めるようにぽんぽんと叩いて大きくため息をついた。

 ハプスブルクの皇帝は、ひとまずトメを置いて去っていった。

 ただし、いろいろ面倒なことになったような気もする。

 そう思うと、次々とため息が喉の奥からせり上がってきた。

 柚葉はそれを誤魔化すように無理矢理笑みを作ると、脇からじっと自分を見上げていた大五郎に向けた。


「大五郎も、さくらんぼ食べる?」


 聡明な白い少年はこくりと頷き、自身の瞳のような赤い実を口に含んだ。

 そしてその後、いやに大人びたため息をついて言った。


「……甘いね、柚葉」

「う、うん……」


 その「甘いね」が、さくらんぼの味のことではなく自分の不甲斐なさを責められてるような気がして、柚葉はうっと言葉に詰まる。

 そんな彼女の気も知らず、再び皿の上に陣取ってさくらんぼを食べ始めたトメは、きゃっきゃと無邪気にはしゃいで言った。


「まま、おいち! おいちね~」


 そうしてトメがさくらんぼを完食した頃、階下から母の「ごはんよ~」という声が響いてきた。






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