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其の一


「おい、ユズ。こっちだ」

「哲太」


 金曜日。

 この日は朝から雨だった。

 普段は健康的な自転車通勤の柚葉だが、雨降りの日はバスを使う。

 しかし二つ年下の弟が高校卒業とともに運転免許を取得してからは、雨が降ると彼が送り迎えをしてくれることも増えた。

 そんな律儀で姉想いの弟哲太は、持ち前の要領の良さで大学の講義と高額バイトを両立させている。

 ルックスだって、姉の贔屓目をのぞいても余裕でイケメンの部類に入るというのに、現在フリー。

 おかげで、柚葉は遠慮なく彼を送迎役として使えている。

 柚葉が雨を避けながら慌てて助手席に乗り込むと、後部座席からワークキャップを深々とかぶった頭がぴょこんと飛び出した。


「柚葉、お疲れ様」


 大きいキャップに隠されてはいるが、かすかにのぞく髪は真っ白で、柚葉に向けられた瞳の色はルビーのような赤い色。

 透けるような白い肌の、美しい少年だ。

 けれど、彼はその容貌とはいささかアンバランスな名前を持っていた。


「わっ! 大五郎も迎えに来てくれたんだ?」


 “だいごろう”

 そんな男らしい名前をつけた張本人である柚葉は、ぱっと顔を輝かせて彼に向かって微笑んだ。

 今でこそ人間の子供のような姿をしているが、柚葉と初めて会った時、大五郎は白い蛇だった。

 ――いや、その前には白い卵だった。

 しかも、それは柚葉自身が産んだのだ。


 異界に存在する、白蛇の皇帝とマングースの国民からなる国ミッドガルド。

 大五郎はそのミッドガルドの次期皇帝であり、訳あって卵の状態の時に柚葉の子宮に転移してきたのだ。

 何も知らぬまま彼を産まされた柚葉だったが、卵から孵った子蛇に接しているうちに愛着もわき母性にも目覚め、母として大五郎を育てることにしたのだった。

 そんな彼が劇的な変貌を遂げ、今のような少年の姿になったのは、一ヶ月ほど前の話。

 以来、大五郎は次期ミッドガルド皇帝となるために昼間は現帝について勉学に励んでいるが、夜になると柚葉の実家である佐倉家に帰ってきて、彼女のベッドで一緒に眠る。

 柚葉は「大五郎ったら、まだまだ甘えん坊でカワイイ!」と笑うが、大五郎が彼女を送る熱心な視線がけして幼子のそれではないと気づいた哲太は、すっかり彼をライバルと位置づけている。

 再婚した親の連れ子同士で、柚葉とは血の繋がりがまったくない哲太も、ずっと昔から彼女のことが好きだったのだという。

 

「連れてけってしつこいから、仕方なくだ。――おい、大五郎。帽子はとるなよな」

「分かっている」


 佐倉家や柚葉の勤め先があるのは、小さな町だった。

 大五郎の人間離れした美貌も、絹糸のように真っ白い髪も、ここのように小さなコミュニティでは悪目立ちする。

 周囲の好奇の目に見咎められないためにも、大五郎は深くキャップをかぶり直した。







「いやあ、奥さん。いつもながら、あなたが作る料理は絶品だ」

「あらあら、お口に合ってよかったですわ」


 柚葉が靴を脱いで玄関を上がると、奥のキッチンから楽しそうな声が聞こえてきた。

 

「わしがあと百歳若かったら、お嫁にきてくれと口説いたんじゃがのう」

「私、人妻でしてよ? 夫も子供もいますわ」

「そんなもの、わしの愛の前ではさしたる障害にはなりはしませんぞ」

「まあ! 情熱的でいらっしゃること!」


 盛り上がるキッチンを覗き込んだ柚葉は、うんざりとため息をついた。


「……ちょっとちょっと。気軽にうちのおかーさん誘惑しないでよ――ヘレットさん」


 佐倉家の四人掛けの食卓の前に座り、柚葉の母の肉じゃがを肴に焼酎をちびちび飲んでいたのは、中型犬ほどの大きさのイタチ……ではなく、ミッドガルドの民たるマングース人間だった。

 灰色の短毛に覆われた身体の上に燕尾服を羽織り、その後ろからは太めの尻尾がふわんと飛び出している。

 つぶらな瞳に突き出た鼻、頭の上にぴょこんと生えた小さな丸い耳は一見可愛らしいが、柚葉が「ヘレット」と呼んだ彼は、先代のミッドガルド皇帝より仕える重鎮中の重鎮だ。

 

「おや、おかえりなさいませ、ご母堂様」

「あら、おかえり、ユズ」


 マングースの長老ヘレットと柚葉の母は、そう言って笑顔で子供達を迎えた。


「ヘレット、どうしたの?」

「おお、次代様。爺がお迎えに上がりましたぞ」


 柚葉の後ろから顔を出した大五郎は、深くかぶっていたワークキャップを脱いだ。

 その下から出てきたの少し癖のある白い髪。

 人型へと変態した時には長くうねっていたそれを、柚葉の母がすっきりさっぱり男の子らしくカットして、帽子への収まりも随分よくなった。


「間もなく各国の皇帝が一堂に会する定例会にございますぞ。ナーガ様は、今回は是非次代様をお連れしたいとおっしゃっておられます」

「そんなの、今夜だなんて聞いていない」

「はい。本会は次の満月の開催でございますが、それに先駆け特別交流の深いハプスブルクの皇帝陛下との晩餐が、今宵の執り行なわれることと相成りましてございます」


 ハプスブルクはミッドガルドに隣接する大国だ。

 かの国の皇帝は雄々しき(わし )の化身であり、大五郎やナーガ達ミッドガルドの皇帝同様、卵として産まれてくる。

 ちなみに、国民は皆ウサギである。


「せっかく、柚葉とゆっくり過ごせると思ったのに……」


 そうつまらなそうにもらした大五郎に苦笑し、柚葉はキャップで抑えられていた彼の柔らかな髪をよしよしと撫でて言った。


「仕方ないよ、大五郎。明日は私も休みだからゆっくり遊べるよ。お務め頑張っておいで?」

「うん……」


 柚葉に慰められて頷いた大五郎は、一度両手を広げてぎゅっと彼女に抱き着くと、肉じゃがに入っていたしらたきをちゅるちゅる吸っている侍従長を促して、ミッドガルドへと戻っていった。

 相変わらず、異世界と繋がっているのは柚葉の自室のクローゼットだ。

 二人を見送った柚葉はやれやれとため息をつき、夕食の前に風呂にでも入ろうと、着替えを持って一階へと戻って行った。

 七時を回る頃には父も帰宅した。

 四国出張の部下にわざわざ頼んで買ってきてもらった、高級魚肉ソーセージの箱を抱えて帰ってきた彼は、大五郎の不在を聞いていささかがっかりした様子だった。

 大らかな柚葉の両親は、白い蛇から白い人間へと変貌した大五郎に驚いたものの、すぐさま彼を受け入れた。

 二人を「パパさん」「ママさん」と慕う大五郎の声が、蛇の姿の時と変わっていなかったからだろう。

 異世界云々についてはほとんど理解していない様子の彼らだが、大五郎を三人目の子供として自宅に住まわせることに決め、大事にとってあったらしい哲太のお古の洋服を着せて可愛がっている。

 哲太も柚葉が絡まなければ大五郎と揉めることはないので、普段は兄のように接してよく面倒をみた。

 とにかく、大五郎はすっかり佐倉家の一員として認められているのだった。





「……うう、苦しい……」


 夕食を平らげた後、テレビを見ながらお茶を飲んでいた柚葉は、突然の腹痛に身体を折って呻いた。

 近くで見ていた家族が、それに一斉に反応する。


「食い過ぎだ、ユズ。イモばっかり食うからだぞ」

「まあ、ユズちゃん。お母さんの肉じゃが、そんなにおいしかったの?」

「胃もたれにはコレだぞ、ユズ。お父さんはいつもこれを飲めば一発で治る」


 口では呆れた風を装いながらも、哲太はすかさず柚葉の背中を撫でて労り、母はマングース侍従長にも褒められた肉じゃがを誇らしげに掲げ、父は慌てて救急箱からお勧めの胃腸薬を取り出した。

 そんな家族にかまう余裕もなく、「もう寝る」と言い置いた柚葉は這うようにして自室へ戻り、そのままベッドへと倒れ込んだ。

 その頃には、腹の痛みは最高潮に達していた。。

 下っ腹はぽっこりと、堅く盛り上がっている。


 

「ま、まさか……、そんな、まさかね……?」



 とてつもなく嫌な予感に晒されて、柚葉そう独り言を呟いた。

 何故なら、そっくりなのだ。

 今、彼女を苛んでいる下腹の痛みが、あの時と。


 ――大五郎の卵を腹に抱えていた、あの夜と。


 柚葉の背中を冷や汗が伝い降りた。


 まさか、そんなはずはない。

 これは、あれだ! ただの生理痛に決まってる!!

 ちょっと今月、スペシャルバージョンなだけなのだ。

 そうだ、そうに違いないっ!


 そう必死に自分に言い聞かせた柚葉は、とにかく今はこの痛みをなんとかしたいと思った。

 自分の机の上を漁って生理痛対策に常備していた痛み止めの薬の箱を引っ掴むと、ぷつぷつとアルミを破って押し出して、水もなしにそれを二錠飲み込んだ。

 そうして再びベッドにもぐり込むと、腹を抱えるようにして身体を丸め、両目を閉じた。


 痛み止めは、この日もよく効いたようだ。

 そう時を経たず、柚葉は眠りについたらしい。


 翌朝目覚めた彼女の気分は、昨夜の痛みが嘘のように爽快だった。

 しかし、立ち上がろうとしたまた何かに足を取られ、転びかける。

 きちんと履いて寝たはずのパジャマのズボンとショーツが、一緒になって膝まで下がっていたからだ。

 それに気づいた柚葉の顔は羞恥で赤くなるのではなく、既視感を覚えて真っ青になった。

 おそるおそる顔を上げる。



「――ひいいっ……!!?」



 そうして視界に飛び込んできたものを認識したとたん、喉の奥で悲鳴を上げてベッドの上で後ずさった。




「――た、たまっ! たまっ……ごっ!?」





 佐倉柚葉、二十二歳彼氏なし。


 いまだにぴっかぴかの処女の身の上で、人生二つ目の卵を産んでしまいました。







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